ハイリハイリフレ背後霊過去ログ271〜280




280.花の子ルンルン 2004.05.26

いつかはあなたの住む町へ 行くかもしれません

        ……「花の子ルンルン」の歌

私の友人のH氏は学校に勤めている。ある木曜日、他の校舎の職員からこんなメールがきた。

「昨日、××校に入学案内を取りに来た人から自動販売機に関してのクレームがあった。その人は次のようなことを言っていた。

おととい、○○校でジュースを買おうとして、自動販売機に千円札を入れたが、ジュースも出ず、金も返ってこなかった。事務室に伝えたら、『直接、販売機の会社に電話してください』と言われたので、電話したが、つながらなかった。所持金が、1000円しかなかったので、自宅(寝屋川)まで、歩いて帰った。

大変な剣幕だったが、聞いているとおかしな点もいくつかあり、おそらく、1000円が欲しかったのではないかと思われる。ほかの校舎にも現れるかもしれないので注意してください。

それから、○○校の人は、キリンの自動販売機が故障していないか確認すること。キリンの『FIREロング缶カフェオレ』を購入しようとしたらしいので、念のため業者にみてもらってください」(大意)

そこで、その日のうちに業者に点検してもらったのだが、販売機にまったく異常はなかったので○○校の人たちは首をかしげた。

金曜日の夜、Hという人が○○校で留守番をしていたところ、受付におっさんが来た。どう見ても学生ではない。30〜40ぐらいの薄汚い格好をしたおっさんで、ばらばらの長さのひげが不規則に生えていて、パンパンに膨らんだリュックを背負っていた。その外見は、いわゆる「巡回探食労働者」にかぎりなく近かった。おっさんは下からにらむような変な目つきでこちらをにらみながら、キリンの自動販売機に千円札を入れたが出てこない、ということを広島弁のような発音でまくし立てた。

一見してメールに書いてあった奴だな、とわかったのだが、ほうっておくわけにもいかないので仕方なく外に出て裏庭の自動販売機をいっしょに見にいった。きのうは正常だったはずの自動販売機の口がたしかに詰まっている。ここでH氏は1時間以上一人でそのおっさんの相手をさせられた。運が悪い人である。

おっさんは次のようなことをわめいていたという。

「ええ加減なことしやがってどういう学校や」

「キリンの自動販売機撤去せえ、せんかったら燃やすぞ」

H氏はキリンに電話したのだが、もう営業時間外で出てくれないし、困り果てたそうだ。とりあえず千円札もらって後で連絡するので、連絡先を教えてくれと言ったのだが、おっさんは言を左右にして教えてくれなかった。

「こんなええ加減な学校にわしの個人情報教えられるかい」

というのだが、実に怪しい。

そうこうしているうちに他の職員たちがぞろぞろと帰ってきた。おっさんはそれを見て分が悪いと感じたのか、最後にこんな悪態をついて出て行った。

「千円札がどうとかいう問題ちゃうんや。また月曜日に来るからな!月曜日までに撤去しとけよ」

月曜日の朝、また業者に来てもらって調べたところ、千円札の投入口に紙切れが詰まっていたことがわかった。おそらくあのおっさんが自分で詰めたのだろう。H氏は、おっさんはもう来ないだろうな、と思った。

一応業者にも来てもらって待っていたのだが、やはりそれきりおっさんは現れなかった。

ちなみに、数年前にも同じようなことがあったそうだ。

【字数指定なし】

【参考】

日本語の「花子」と中国語の「花子」Huaziはだいぶ意味が違う。

279.ざしきわらし 2004.05.11

友人がいた専門学校に、変わった男がいた。急に太陽を見て笑ったりするのである。

あるとき、同じ寮に住んでいたほかの住人が廊下を通りかかると、彼が一人、変な姿勢で腰を振っているのに遭遇した。

「何やってんですか?」

彼は何言ってんの、という表情で答えた。

「ざしきわらしだよ!」

彼がざしきわらしと廊下で何をしていたのかは知りたくなかったらしい。

結局いろいろあったあげく彼は実家に戻されることになり、田舎から両親が迎えにきた。両親を見た彼はなぜか呪文を唱えはじめたらしい。

「兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前…」

【字数指定なし】

【参考】猫が行方不明

278.姫路城を見においで 2004.05.10(05.17追加)

Yさんから聞いた話だが、大阪第4ビルの公共貼り紙スペースに次のような貼り紙があったという。

Can 信輔

姫路城を見においで……

  和

090-xxxx-xxxx

すみませんが1週間程度はがさないで下さい。

サイズはA3、パソコンで作ってインクジェットプリンタで出力したものらしい。どういう事情があったのか気になるものだ。

気になる貼り紙で私が見たものとしては、大阪の梅田の町中の壁に貼られた「般若心経」のコピー、というのがあった。ほとんどの人は存在を気に留めもしなかっただろうが、とにかく「やむにやまれぬ何か」に駆られて貼りつけて回ったのだろう。まさかこんなところにまで、という意外なところでこの貼り紙に遭遇したりすると、一種独特の感動を覚えたものである。

演説は言葉が喋れる人なら誰でも自分の主張をすることができる方法であり、貼り紙は字が書ける人なら誰でも自分の主張をすることができる手段である。言葉にならない叫び声や文字にならない落書きもある種の「主張」であるとするなら、声と字は太古より誰もに平等に開かれたメディアであるということができる。

しかし、一般の人はあまりこれらを利用して「主張」をすることはない。特に主張したいことがあるわけでもないので、わざわざそんなことをする必要がないからである。しかし、ある種の人々…自分の中に押さえきれないぐらいの「なにか」が煮えたぎっていて、それを外に噴き出さずにはおれない人々…がいる。芸術はそれら「噴き出したもの」が昇華したものだ。しかしほとんどの場合それらは芸術になる前にただ噴き出して終わってしまう。

電車の中で叫んでいる人やそこら中に自分の主張を書いた紙切れを貼り付けて回る人は、最も単純な形で「自己表現」をしているのである。「彼らには自己表現の方法がそれしかない」からだ。これらの「自己表現」がもう少し変化すると「新聞の投書欄に投稿する」とか「インターネットでいろいろ主張する」、「人質をとって立てこもる」といったことになるのであろう。

だから何ということはないのだが、…とにかく「自己表現」を観察するのは面白い。もっとも「自分に被害がおよばないかぎり」ではあるが。

【字数指定なし】

【参考】5/16大阪の「猫茶漬」さまよりいただいた追加情報(ありがとうございます)

そういえば。
先日の「姫路城を見においで」で触れられていた般若心経の張り紙は、
今も、西天満の裁判所周囲の道路で大量に見受けられます。
ターゲットは主に放置自転車と不法投棄の大型ゴミで、
正確な文言は思い出せませんが
「ここは公共の道路で、物を捨てると法律違反です……摩訶般若波羅蜜多心経」
みたいな趣旨の、割とすっきりしたレイアウトの一枚ビラです。
裏がベニヤのテレクラの広告が電信柱に括り付けられている上に、
「街の美観を損なう」という主張とともに、この般若心経のビラが
貼り付けられてあった時には、とても感慨深いものがありました。

出現初期(3年ほど前)には、雨に濡れても大丈夫なように、
透明のビニール袋で保護されて、自転車のサドルなどに
吊されていたのをよく見かけたのですが、
最近では、パウチ加工を施された物も登場しています。

紙面の上半分を「街よごすな」の主張で、下半分を般若心経全文で埋める
レイアウトが基本のようですが、別バージョンも数タイプ存在します。
おおむね時代が下るにつれてシンプル化されてきているように観察されます。
また、白い紙に黒の印字が多い中、時折、緑色の印字も見受けられます
(直射日光で退色したのかなぁと思って、近づいてよく見たのですが、
やっぱり、緑のインクのようでした)。

自転車もゴミも看板も、当局によって、定期的に回収・撤去されるので、
それに伴ってビラも持ち去られるのですが、
ほどなく、次の放置自転車やゴミや看板が現れると、
新しいビラも、物件1個につき1枚、几帳面に添付されていきます。
ビラの主は、現在も活発に活動中です。

以上、ビラれぽでした(笑)
277.カレーはククレ 2004.05.07

Yさんが大阪で「ニュートラム」という列車に乗っていたところ、いつも注目していたおっさんが何かぶつぶつ言っていた。よく聞いてみるとこんなふうに歌っていたらしい。

「頭かゆい頭かゆい、頭かかかかカレーライス、カレーライスカレーライス、おれのカレーはククレカレー…」

【字数指定なし】

276.5年の読み物特集 2004.05.06

学習研究社の「学習」と「科学」という小学生向け雑誌がある。子供向けの趣味が多様化したので昨今はあまり売れていないようだが,私や私の兄が小学生のころはかなりメジャーなものだった。昔は読むものがあまりなかったので,バックナンバーを何度も何度も読んだものだ。

そのうちの一冊に,「5年の読み物特集」という「5年の学習」の別冊付録があった。もとは私の兄のものだったから70年代に出たものだ。表紙には野球帽?をかぶった少年が羽の生えたオープンカー?に乗って,バンザイをしつつ空を飛んでいる,という絵が描いてあった。この本になかなか忘れられない嫌な小説が載っていたので,下にあらすじを書いておく。

あらすじ

「はやく大人になりたいなあ」といつも言っている少年がいた。少年が一人でカンナの花をちぎっていると怪しい男が現れ,夢をかなえてくれるという。男のくれたチョコレートのような味のする物質を食べたところ,少年はおっさんになっていた。おっさん(少年)は女の子をつかまえて「私は医者なんだ,診察してあげよう」と話しかけるが,逃げられてしまう。(他にもエピソードがあったようだが忘れた。)そのうち,大人でいることがあまり楽しくないことに気づいてきた少年は元に戻りたいと願う。そこに怪しい男がまた現れて,「一度ちぎったカンナの花が元に戻らないように,大人が子供に戻ることはできない」と宣告する。おっさん(少年)はそれきり子供に戻ることはなかった。

おわり。

これに添えられていたイラストが異様に影の多い,気味の悪いものだったので,後味の悪さは倍加していた。以前絵本「ドコカノ国へようこそ!」を読んだとき,イラストが似ていると感じたから,同じ人が描いたのかもしれない。

この本には他に,「教室で放屁して笑いものになった主人公が修行して屁の達人になり,ついにはクラスみんなで『プィーン少年合奏団』を作って外国に遠征する」という豪快な話や,雨の講演で「カッパ・カニセン」を「カリッ。ポリッ。パリッ」と食べるおっさんの周りで様々な怪しいことが起きる話など,魅力的な話がたくさん載っていた。

残念ながら私が目を離したすきに母親に捨てられてしまったのだが,可能ならばまた読んでみたいものだ。(一般の本屋で売っていたものではないので,古本屋にもないのである。)

【字数指定なし】

275.ビジョンがない 2004.05.05

高校の、私の一つ下の学年に、いつも集まって成績の話ばかりしている四人組がいた。彼らは成績はよかったのだが、そのうちの一人のKという男はあまり人として出来はよくなかったらしく、彼が原因でやがて分裂した。なんでも、仲間に向かっていきなりこんなことを言い出したのだという。

「お前みたいなビジョンのない奴とはつきあえん」

この話はすぐに学年中に伝わり、それからしばらく

「ビジョンがない」

という言葉がはやることになった。

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274.ミックスジュース 2004.05.04

ゴミ回収のアルバイトを何度かしたことがある。重いものを投げたりしなければならないのでしんどいが、朝から昼まで働くだけで結構な額がもらえるので割りのいい仕事だった。ちなみに回収車の外にくっついて移動する兄貴たちは小学生のあこがれの的だが、これは現場では「セミ乗り」と呼ばれ、危険だから禁止されていた。

たしか彼岸のときだったと思うが、「供物回収」という仕事があった。これは普通のゴミではなく、寺のおそなえを専門に回収するというものだった。京都には寺が多いので、わざわざ専用の回収日を設けているのである。ゴミは多い寺少ない寺があり、回収のついでにあちこちの寺の客の入り具合がわかって面白かったものだ。

供物のほとんどは果物で、みかんやグレープフルーツ、りんご、もも、パイナップルといったものが多かった。それらを片っぱしから回収車に放り込んでいく。果物は回収車の鉄の刃に砕かれつぶされて多量の汁を出した。あたりにはそれら由来の酢酸エチルとか酢酸メチルといったいわゆる「エステル」の甘い匂いがたちこめた。

多くの寺を回るうちにミックスジュースは何リットルも何十リットルも回収車のタンクの中にあふれかえり、刃が回転するたびにザブザブと奥から噴き出した。また、普段のあまり汁気のないゴミなら問題はないのだが、こうも汁気が多いと機械のすきまからボタボタともれだしてくる。回収車が通った後の道路は果物の汁だらけだった。

こうして京都はその日、やたらと甘ったるい匂いに包まれたのだった。

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273.がっぷり 2004.05.03

小学生のころ、たまたま家にあった雑誌「文藝春秋」をぱらぱらと見ていたことがあった。ほとんどの記事は小学生にとって興味を引くものではなかったが、ある一編のエッセイ…タイトルも書いた人が誰だったのかも今となってはわからないが…だけは今でも鮮烈に記憶に残っている。確かこのような内容だった。

エッセイの筆者がやはり小学生のころのことだから、たぶんかなり昔のことだと思う。そのころ、近所の子供たちのあいだで梅干を竹の皮に包んで吸うのがはやったらしい。長い間吸っているとだんだん皮が赤くなってきて、梅干の味が染み出してくるのが面白かったそうだ。

筆者はガキ大将の一派にいいように扱われていたらしく、恨めしく思っていたらしい。そこで彼らがこの梅干の皮包みを家にたかりに来たとき、急に思いついて復讐を実行したのであった。

便所でりきむと、うまいぐあいにちょうどいい大きさの大便が「ころりと」出たらしい。これを梅干のかわりに竹の皮に包んだものをガキ大将に差し出したのだ。ガキ大将は当然、といった態度で「がっぷりと」それに食らいつき、チューチューと吸いはじめた。

しばらくするうちに彼の表情が「あれ?」というものに変わり、やがてある疑いに対する恐怖のためか顔色が青くなっていった。そして何もいわずに手下たちとともに逃げていってしまった。その日以来筆者は彼らにいじめられることはなくなったという。…

私は今でも「がっぷり」という表現を聞いたり目にしたりするたびに、このエッセイの話を思い出すのである。

【字数指定なし】

272.2−Aダン 2004.05.02

高校のころ、田村という顔がブルドッグに似た英語の先生がいた。この先生は野球部の顧問をしていたので、よく野球部の代表者の「檀」という男を放送で呼び出していた。

「およびだしいたします。2−Aダン!にいえい・ダン!職員室の田村(テャムラ)のところまで」

「テャムラ」というのは、この先生が「ア」の発音をするときに"cat"とか"apple"の"a"の発音になることを表現しようとするとこのような表記になるのである。

この放送がしょっちゅうあったので、われわれ3年生のあいだでは

「2−Aダン」

が大変なブームになった。Sという男はK女子高の文化祭に行ったときに

「放送してください。ダンっていうやつです。2−Aなんです」

と頼み、呼び出しの放送までしてもらった。念願かなってK女子高では

「2−Aのダンさま、2−Aのダンさま…」

という放送が流れたが、それを聞いて笑っているのはわれわれの仲間だけだった。

やがて野球部の代が変わり、

「1−Cハッサク」

が新たなブームになりはじめたころ、われわれは卒業した。

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271.わたしは新伍 2004.05.01

私は昔、中高一貫の男子校にいた。私は中学からいたのだが、高校から入ってくる者も何十人かいた。

やはり中学からいる者たちにとって、どんな新入生がいるのかは気になるもので、合格者が発表されるとすぐに情報がまわった。われわれはすぐに、合格者の中に

「ヤマシロシンゴ」

という、俳優の山城新伍と同姓同名(字は違うが)の男がいることを発見し、大いに喜んだ。はじめは

「山城新伍と同じ名前のやつがいる」

というだけの話だったのだが、なぜか

「ヤマシロシンゴは実に偉大な人物だそうだ」

というふうにうわさが変化した。

いっぽう、それとは別に吉田という男も合格していた。なぜかわからないが、そのうち何の意味もなく

「吉田はしばかないといけない」(「しばく」…「やっつける」の意)

ということになった。そして

「ヤマシロシンゴさんに吉田をしばいてもらおう」

ということで皆の意見が一致した。

やがて入学式の日が来た。ヤマシロシンゴはなんとなく「なよっ」とした、弱々しい感じの男であった。吉田をしばいてもらう云々の話は

「なかったこと」

になり、吉田は命をつないだ。

【字数指定なし】

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