ハイリハイリフレ背後霊過去ログ201〜210




210.学習理科工作図鑑 2003.08.29

小学生の頃のある時期、私は電気を使った工作が好きで、ブザーやモーターを作って遊んでいた。その元ネタの本は「保育社の学習図鑑6 学習理科工作図鑑」(実野恒久著、保育社、昭和33年4月15日初版・昭和47年12月25日改訂発行)であった。私の家に昔からあったものを発掘したのである。

小学生向けの工作の本であり、他には糸電話・潜望鏡・発ぽうスチロールカッター・ブーメランといったものが載っていた。「ピースのかん」だの「かいこのまゆ」「糸車」「竹」といったものを使う工作が多いところが昔風だが、これだけだったら今もある普通の工作の本である。この本の魅力は、小学生相手にまったく容赦せず、硫酸や100ボルト交流電源を使った危険極まりない実験をバンバン載せている点であった。私も子供心に

「怖い、でもやってみたい」

と見るたびにワクワクしたものである。

電池の工作(コップの中に液体と金属板があり、そこから豆電球へ線がのびている写真)

(中略)水300ccに濃硫酸50ccを静かに混ぜながら加え(中略)これを防ぐために、あえん板に水銀をぬって、アマルガムを作っておきます。

アーク燈の工作

極の間に火花が出て、アークがあらわれます。

バーナーの工作

たばこのピースのあきかんを使って、石油バーナーを作ってみましょう。(中略)かんに、灯油を半分ほど入れ、口に火をつけると、フランネルにしみこんだ油がもえます。足ふみふいごで空気を送ると、ほのおが強くなります。

文章の合間合間に写真が入るのだが、その中ではこういう実験を、力道山の映画に出てきたようなすごい刈り上げの子供たちが当たり前のような顔をしてやっているのである。

中でも、特に印象深かった記事を引用してみよう。

火山模型の工作

1.木箱に紙ねんどで、山を作ります。山の中にピースのあきかんをうずめ、かんの中に、塩素酸カリ1に、白ざとう3の割合で、入れておきます。

2.火口からスポイトで、こい硫酸を数てき、かんの中に流しこみます。危険ですから、薬品を多く使わないようにします。

3.火口から、煙がむくむくと立ちのぼり、黒いよう岩のようなものが、ふき流れてきます。ほんとうの火山のふん火を見るようです。

薬品の量をふやしてちょっと工夫したら、ゲリラが使う「自動発火装置」そのものである。そういう危ないものを扱いながら

「ほんとうの火山のふん火を見るようです。」

ですましてしまうところが、この本のたまらない魅力なのであった。

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陽気に優雅にニコニコしながらものすごい反則やらかすところがたまらねえローデスの魅力!!

(梶原一騎・原田久仁信「プロレススーパースター列伝」より)

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209.マユゲとショーコー 2003.08.28

T君が高校生の頃の話である。

教室の掃除をしていると、短い毛が妙にたくさん落ちているのに気付いた。友人に

「ちょっとこれ変やで」

と教えたが、きっと眉毛を抜いて整えているやつが多いからだろう、と相手にされなかった。しかし、どうも量が尋常でない。何日か観察していたところ、毎日多量にあった毛がふっつりとなくなった。おかしいな、と思っていると、ニ三日してまた毛がたくさん落ちるようになった。

ある日、Mという男がWという女の眉毛の形が左右で違っていることに気付いた。片方の眉毛が妙に上の方にあって、アニメ「一休さん」の将軍様のようにちょっとしかないのである。普段はマッシュルームカットのため見えなかったのだった。見ているとWは化粧直しをはじめ、眉のあたりを拭きはじめた。

「眉毛が片方完全になかったんですよ!!」

Mの報告によると、もう片方の眉毛も半分ぐらいなかったのだそうである。近くで観察していると、授業中ずっと鏡を見ながら毛抜きで眉毛を抜きつづけていたらしい。こうして、謎の毛の由来は明らかになり、Wは影で「マユゲ」と呼ばれるようになった。後にマユゲの眉毛は全部なくなってしまったが、あいかわらず呼び名はマユゲのままだった。

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マユゲの友達にオウム真理教の麻原彰晃にそっくりな女がいた。髪がちぢれて長いところなどもそっくりで、甲高い声で奇天烈なことをしゃべった。当然影では「ショーコー」と呼ばれており、「マユゲとショーコー」と言うだけでT君たちはげらげら笑った。

遠足の時の集合写真が壁に貼ってあったものに、ショーコーの顔にヒゲを描き足したものがいた。それがあまりにも本物の麻原彰晃にそっくりだったため、問題になったほどである。

修学旅行のとき、お前誰が好きやねん、などという話になることはよくあるが、そんな話のときもショーコーは人気で

「宇宙人(男のあだ名)とショーコーお似合いやで」

「宇宙人とショーコーが結婚したら空飛ぶ子供が生まれたりして」

などと皆かってなことを言って笑っていた。

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208.きっとおなかがすいてるんだわ 2003.08.27

私の友人(女)が、母親・親戚のおばさんと一緒に着物の展示会に行ったことがあった。来たのはいいが、どうしようもない着物ばかりでまったく買いたいという気が起こらないのでうんざりしていた。

友人親子の守りが堅いのを見た店員たちは、弱そうな親戚のおばさんを引き離して篭絡するという作戦に出た。

「奥様はこちらへ」

などと言って親子を他のところへ連れて行こうとするのだ。案の定この手の勧誘に弱いおばさんは変な柄の着物をいくつも買わされてしまった。

展示会のあとは中華料理を食べさせてもらえるという趣向だったのだが、気分を害したので途中でもう帰してくれ、と店員に申し出た。店員はふんふんと聞いていたが、ぼそっとつぶやいた。

「ああ、きっとおなかがすいてるんだわ」

これを聞いた親子はますますいきり立ったのだが、店員には怒りはまったく通じなかった。

この後、この話を聞いた人の間で「きっとおなかがすいてるんだわ」という言葉がはやった。

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207.やらないか 2003.08.26(2003.08.27改訂)

Yさんの会社にSさんという男の人がいる。

以前、この人がひどく酔っ払って電車の中で寝てしまったことがあった。目覚めると知らない駅だった。帰ろうとしたが、もう終電なので帰れない。仕方がないので駅の近所のバス停のベンチで寝ていると、自転車を押した老人が通りかかった。

「どうしたんや」

と尋ねるので訳を言うと、老人は、それなら自分の家に来なさい、と言う。自転車を押しているぐらいだから近所なのだろうと思い、Sさんは

「お願いします」

と答えた。すると、老人はいきなり自転車をその辺に捨ててタクシーを拾い、Sさんを乗せた。

タクシーはどんどん山奥に入っていき、一軒の家についた。老人は一緒に寝よう、などとあからさまに怪しいことを言ってSさんに迫ってきた。Sさんはそういう趣味がないので強硬に断り、こたつで寝ていた。するとこたつに老人がやってきてちょっかいを出してくるのである。

Sさんはさすがに怒って帰ろうとしたが、山奥なのでそれもできない。送らないと殴るぞ、と怒鳴って無理やり送らせ、ようやく山を降りると、ちょうど夜が白々と明けてきたところだった。

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206.耳をすませば 2003.08.25

「耳をすませば」というアニメ映画がある。中学生男女の恋愛を描いた映画だ。その主人公たちが知り合うきっかけは、自分が借りる図書館の本のカードにいつも同じ名前があるのに気付く、というものだった。この映画と同じように、図書館の本にいろいろ変わったものがはさまっているということはよくある。

私がまだ15歳ぐらいの頃、高校の図書室で借りた「されどわれらが日々−−」(文藝春秋社)という本には、字がたくさん書いてある400字詰め原稿用紙がはさまっていた。内容は次のようなものだ。

”四百字提言” 無言者

こんな本を読んだって、偉くはなれないだろう。でも、本当に読みたいと思っている人間は、読めばいいと思う。ところで、僕は小林秀雄のあの、独断的な文体が好きで、何冊か読んだ。

 

−−その後、二年の半ばごろからか、私はオナニイを覚えた。私はやはりそれがよくないことのように思われ、やめようとしてもやめられずにいた。やめられないことに罪悪感を抱いた。−−

右の文章は北杜夫の『どくとるマンボウ追想記』の一節だ。

 

−−西の窓から夕日が斜めに差し込んでいるアトリエの中で、画家の奥野賢司は一枚の絵を怒ったような表情でにらみ続けていた。−−

これは、文芸部からこっそり盗んできた『風説』という雑誌からの一節だ。推薦。

(大山注:欄外の書き込み)

『文芸読本・志賀直哉』の中を見よ。

’84・10・31

残念ながらはさまっていたものは「耳をすませば」のようにさわやかなものではなかった。

さて、作文の最後に触れられている「文藝読本・志賀直哉」はすぐ近くの棚に入っていた。開けてみると、同じ筆跡の作文がはさまっていた。紙はやはり400字詰め原稿用紙である。

感想記

よくもまあ、一人の作家についてこれだけ多くの人間がいろいろと勝手なことを書くものだ。これでは志賀直哉が「批評家は無用の長物だ。」と激怒するのももっともなことだ。というのも、各批評家がそれぞれ、少しでも他人と違った事を書こうと苦労して、結局全員が悪口ばかりを繰り返しているのである。僕はこれらの批評文を読み進むにつれて、生理的とも言えるような一種の嫌悪感が沸き上がってくるのを禁じ得なかった。彼ら批評家は、他の評論家が書いた作家について書いた評論文をさらに批評するという、ばかな事を繰り返し、それで喜んでいるのだ。評論家なんて、小林秀雄一人で十分だ。まったく、ゴチャゴチャと不必要な事ばかり繰り返して、愚かな事だ。こんなことを書く暇があるのなら、長編小説の一つや二つでも書いたら良かろう。そうして、自分の作品の批評文でも書いて、一人で楽しみたまえ。

−−昭和五九・五・十三 読書子記す。

「いやな気分になった」と書けばすむことを「生理的とも言えるような一種の嫌悪感が沸き上がってくるのを禁じ得なかった」と精一杯偉そうに表現している様がほほえましい。

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205.インド旅行記の書き方 2003.08.24

たとえインドに行ったことがなくても、インド旅行記を書くのは簡単である。以下のキーワードを文章の中に適当にちりばめれば、皆が納得する文章が書けるだろう。

キーワード

注意点

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【参考】あっ、今人生が変わりつつある

204.カンシャク玉 2003.08.23

私が中学3年生のときのことである。学校に新築の柔道場が完成し、プレハブの柔道場は取り壊された。新道場はトレーニング器械も置かれた、大変立派なものであった。

この新しい柔道場を使って、市内の中学の大会が開かれたことがあった。場内の人数は200人は超えていたと思う。その連中が皆試合前に「受身」や「打ち込み」をしているので、かなりの熱気があふれていた。

この時、私の学校の柔道部の連中は事務の手伝いをさせられていた。とはいってもまだ大会は始まっていなくて暇だったので、ある連中はトレーニング器械をいじって遊んでいた。Bが鎖を引っ張って重りを持ち上げていると、Nという男がやってきて、持ち上げた重りの下にカンシャク玉を置いて言った。

「これほんとに落としたら面白いやろな」

するとBは本当に重りを落としてしまった。

「バン!!」

破裂音があたりに響き渡り、それまでざわめいていた場内は突然沈黙に包まれ、視線は一斉にトレーニング器械のほうに向けられた。Nは逃亡した。場内が再び元の雰囲気を取り戻すまでには、しばらく時間が必要だった。

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203.鉄板ばばあ 2003.08.22

H市のT君から聞いた話である。小学生の頃、近所に「鉄板ばばあ」と呼ばれている人がいた。家の前に車が入るための?鉄板が置いてあるのだが、この鉄板の上に乗るとものすごく怒るのである。小学生は冒険に飢えている。このばばあのことは彼らの間で噂になり、冒険にやってくる者が後を絶たなかった。ばばあはますます怒り狂い、はじめは叫んだり追いまわしたりするだけだったのが、武器を持つようになった。武器もはじめはホウキなどだったのが、やがて包丁に進化した。小学生たちはますます面白がった。

やがて、ばばあの家で葬式が行われた。後でわかったところによると、死んだのはばばあの夫の爺さんだった。爺さんは心臓の病気で寝たきりの生活をしていて、大きな音をまわりで立てるのが禁止されていたのだった。葬式の後、ばばあは出てこなくなった。

【字数指定なし】

202.まじめな老人 2003.08.21

高校にいた頃の話。Mという男が夕方電車に乗っていると、老人が小学生にからんでいた。Mがあきれた老人だと思って見ていると、老人は急にMのところによってきて

「俺はまじめやぞぉ」

と言った。そしてMの腕に両手をかけてすりよってきた。電車は満員だったが、彼らの周りには半径1メートルぐらいの円ができていた。Mが人々の目を気にして対応に苦慮していると老人はいきなりMの股間部をつかんだ。彼は

「わっ」

と思ったが、自分の股間に人々の熱い視線を感じ、どうすることもできなかった。老人は次の駅で降り、また別の若い男にからんでいた。Mと一緒にいたはずのCとTははじめから終わりまで他人のふりをしていた。彼らもその駅で降り、老人とは別の車両に乗 り換えた。

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201.激昂する男 2003.08.19

友人からの情報である。阪急電車に、変わった男が出るらしい。まず、自分が座席に座る。そして、まるで隣の車両に知り合いを発見した、というそぶりをして、席から立ち上がる。すると空いた席に他の人が座る。座ると男は帰ってきて、自分が今までいた席が埋まっているのを発見する。男は激昂した様子で

「くそっ!!」

と叫び、つり革を網棚の枠に叩きつける。まわりの人たちはおびえる。

はじめて見たときは驚いたらしいが、何度も目撃するようになり、さらに、見るたびに同じことをしているのがわかったので、「またや」ぐらいにしか感じなくなったという。この男には、20時から20時半ぐらいの間に、阪急神戸線(神戸行き)に乗ると出会える。真ん中あたりの車両にいるそうだ。

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