ハイリハイリフレ背後霊過去ログ11〜20




20.岩崎 2003.02.04

高校生の時、私の知り合いに岩崎という男がいた。その岩崎が友人達と共に喫茶店に行ったときのことである。岩崎はのどが渇いていたので、テーブルの上に置いてあった水をぐいと飲んだ。ところがまわりの人々がびっくりした顔をしているので、その訳を尋ねてみると、その水は前の人が残していった水だった。岩崎が次の日の朝ふとわきの下を探ってみると、前まではなかったできものが三つできていた。岩崎は真っ青になって、どうしようどうしようとうろたえていた。しかし、その後どうということもなく、岩崎は今も生きている。

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19.クサビを打ち込みました 2003.02.03

選挙といえば話題には事欠かない。開星論のUFO党、日本愛酢党、東郷健、太田竜、宇宙の神・北里正治、京都の「マッカーサーから日本の全ての権利権限をもらった」斎藤さん…。

以下の引用は平成5年7月18日の衆院選挙兵庫1区の選挙公報からのものである。残念ながらこの人は落選してしまった。個人的には最後の「タメ」がカッコいいと思う。

   高木ユキオ
東京サミットと衆議院選挙という二つの巨大なエネルギーが
結合集中するこの機は、二度と起こることがありません。
この千載一遇の機に選挙演説を通してアメリカとフランスに
クサビを打ち込みました。
私の目的は、達成され世界の切れ者、黒幕を直撃しました。
日本の運命を左右する重要な選挙に立候補することは、
私の天命でありました。

 私は日本の羅針盤、世界の灯台です。
 私はあなたのために日本を守ります。
 社会の隅々に政治の光をあてます。
 国家政策百般の奥義を極めています。
 何人も一寸先は見えぬものです。
 高木は暗闇を照らします。
 高木なくして日本の未来はありません。

 国民の言葉は、高木の言葉であり、
 高木の言葉は、国民の言葉であります。

前略
暑中お見舞申し上げます。
暑さますますきびしいおりがら皆々様お身体を御慈愛ください。
皆々様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
                       敬具

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18.バングラッシー 2003.02.02

タージ・マハルで有名なインドの都市アグラを訪れた私と友人は、喫茶店に入った。まだ飯には早かったので、ラッシーという飲むヨーグルトみたいなものを飲むことにした。

メニューを見ると、バナナやチョコレートを混ぜたいろいろなラッシーがあった。その中でも一番高いメニューで、「キング・スペシャルラッシー」というのがあった。

いったいキング・スペシャルラッシーとは何なのだろうか。きっとものすごくキングスペシャルな味がするに違いない、と我々は話しあった。そこで、友人はそれを注文した。私は安い「バナナラッシー」というものにした。しばらくして店主がきて、本当にいいのか、などということを確認しに来た。しかし、何を言っているのか分からなかったので、「オーケーオーケー、ノープロブレム」といいかげんな返事をしてしまった。

やがて緑色のどろどろした液体が運ばれてきた。私も味見をさせてもらったが、ヨモギのような味がしてなかなかうまかった。友人はうまそうに全部飲んでしまった。

それから2時間後、友人は目を半開きにして訳の分からないことを言いはじめた。後で宿の主人に聞いたところによると、スペシャルラッシーにはバングが入っているのだそうである。バングとはなんだ、と聞くと、「マリファナだ」ということだった。それを聞いて私も飲んでみたくなったのだが、どうもあのときの友人の目つきのことを考えると恐しくて飲むことができなかった。

1997年2月27日のことである。

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17.清水の舞台 2003.02.01

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があるが、これは事実に基づいた言葉らしい。知らない人もいるだろうから紹介しておく。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/akio53/tobiori.htm より転載

清水の舞台から飛び降り234件

「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉で有名な本堂。

江戸期の庶民信仰 願いがかなう? 江戸時代、多くの庶民が願をかけて飛び降りた清水の舞台
 「清水の舞台」からの飛び降り事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが、清水寺の古文書調査で、このほど分かった。ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景に「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。

 調査は、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめた。記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。

 調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生した。年間平均は1.6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算という。男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では10代、20代が約73パーセントを占めた。

 清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85.4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを超す。60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人がが最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。
 門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る。明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。

 お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。

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さてここに体重60kgの人がいて、京都にゆかりのあるさまざまな「高いもの」の高さからまっすぐに自由落下するとする。ただし空気抵抗は無視する。その場合、以下の数字が得られる。

高いもの

高さ(m)

地表までの時間(s)

地表到達時の速さ(m/s)

地表到達時の速さ(km/h)

衝撃の強さを武蔵丸(225.5kg)の時速に換算(km/h)

肩車

2

0.6

6.3

22.5

5.3

清水の舞台

13

1.6

16.0

57.5

13.5

東寺五重塔

57

3.4

33.4

120.3

28.3

京都駅ビル

59.8

3.5

34.2

123.2

28.9

京都タワー展望台

100

4.5

44.3

159.4

37.4

大文字山

466

9.8

95.6

344.1

80.8

比叡山

848

13.2

128.9

464.1

109.0

ジャンボジェット機

10000

45.2

442.7

1593.8

374.3

気象衛星ひまわり

36000000

2710.5

26563.1

95627.3

22456.5



こうしてみると「清水の舞台」は意外と高くないことがわかる。たしかに頭から落ちなければ大丈夫そうだ。しかし時速13.5キロで走ってくる武蔵丸に体当たりをされると考えれば、老人の死亡率が高いのもなるほどとうなづける。(ちなみに普通の人が歩く速さは時速4キロぐらいである。)
 実に興味深い結果が得られたといえよう。

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16.あっぷげーげ 2003.01.31

以前、大阪の近畿大学に用があって行ったことがあった。京阪電車で京都に帰る時、目の前にいた男がいきなり大声をはりあげてこのようなことを言い出した。

あっぷげーげ・あっぷげーげ。ゆらせーてのとき・いっしょやったひと・わかるか。うつみ・おそれ・うつみ・おそれ。ふじえ・は・ふじえ・う。うつみ・けーきや・うつみ・けーきや・けーきや・うつみ・けーきや・うつみ。さのけいた・おそれ。ぺてぃおのじゃーきーのこまーしゃる。

そして、固く目を閉じて動かなくなり、七条で走って降りて行った。周りの人たちが必死でそのできごとを「なかったこと」にしていたのが印象的だった。

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15.悪は滅びる 2003.01.30

木村政彦は、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」とまでいわれるぐらい強い柔道家であった。力道山とプロレス勝負をして負けてしまったが、あれはもともと引き分けにする約束だったところを力道山が裏切ったのだという(木村政彦・談)。詳しいことは誰にもわからないが、ありそうな話だ。

その木村政彦の自伝「わが柔道」(ベースボールマガジン社)は全国図書館協議会推薦かなんだったかになっていたが、こんなにおかしな本もなかなかない。全ページに異常な記事があふれている。

「内弟子時代、味噌汁を作らされたのだが、ある日入れるものがないので松葉を入れると食えないといわれ、ムカッときたので今度は大便を入れてやった。どんな味だったかもう忘れたが、異様な臭いがしたことは覚えている」(大意)

「食べ物があまりなかったので、よく神社にいって犬を捕った。散歩中の犬を飼い主がいないうちに誘い出して棒で撲り殺した。犬のビフテキ(原文ママ)はとても美味だった」(大意)

「グレイシー柔術一門と戦うためにブラジルにいった時、木村の名前で段を発行してやった。講道館の段より有り難みがある、と好評だった」(大意)

全編こんな話ばかりである。

極めつけが力道山殺害についてのコメントだ。

悪は滅びる。

いくらなんでも殺された人間にそれはないだろうという言いぐさである。並の人間なら、「いろいろと確執もあったが、大物ではあった」ぐらい言ってしまうところだ。さすがは大・木村政彦である。

昔読んだベースボールマガジン社のものはもう売っていないので読めなかったのだが、最近学研から文庫版が出たらしいので買いたいと思う。

それにしても、武道家の本にはなぜこんなに怪しいものが多いのだろうか。植芝盛平という人は毎晩自分の幽体と剣道の稽古をしたそうだし、藤平光一という人は「氣」の力で太陽を見つめられるという。この間本屋で見かけた柳川昌弘という空手家の著書のタイトルは、「あなたにもオーラが見える」だった。

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14.あっ、今人生が変わりつつある 2003.01.29

平成9年2月25日、私と友人Tはバラナシ(=ベナレス)の沐浴場を訪問した。ガンジス河(=ガンガ)で祈る人々の写真などでおなじみの場所である。

我々が渡印前にこれはしようと決めていたことがあった。それは、ガンジス河でクロールで泳ぐこと。そして、あわよくば人生変わる感覚を体験することである。

そういうわけで、私たちはかなり期待しながら昼過ぎのガンジス河畔に出かけた。頭を一部だけ剃り残したバラモンの集団が経を唱えたりしていたし、石鹸を体中に塗りたくった男が河に入ってそれを洗い流したりしていたが、それ以外は琵琶湖の水浴場と変わらないようだった。子供たちが飛び込んで遊んでいた。うーん、何だかイメージ違うな…。

とりあえず我々も泳いでみた。少々濁っているが、プールの水みたいな水だった。足元はヌルッとしていた。あたりにはお菓子屋なども来ていて、本当に琵琶湖と同じだった。我々が泳いでいるようすをインド人たちが面白そうに見ていた。

「んー…別に人生かわらんなあ」

「昼間だからやって。きっと夜明けに水に入ってれば『あっ、今人生が変わりつつある』『あっ、今変わった』とかいうことがあるんやきっと」

「そうかなあ?」

とりあえず覚るのは次の機会にまわした。

翌26日夜明け前、我々はまたガンジス河畔に出かけた。さすがに人が大勢いて、水につかっていた。泳いでいる人もいた。向こう岸までは何百メートルもある。渡れるだろうかと話し合っていたら、本当に渡っている人がいて驚いた。しかもバタフライで!ガンジス河でバタフライして向こう岸に渡る人がいるとは…しかもこの人は毎日同じことをやっていた…、完全に予想外だった。聖なる河にしてはみんな楽しそうである。そのうち太陽が出てきた。

太陽が出てきたからといって何が起こるでもない。たしかに大勢のインド人が目の前で泳いでいるが、それだけである。その日は寒いから泳がなかった。

さらに翌27日、再び我々は夜明けのガンジス河に来て、今度こそ夜明けの太陽を拝みながら水に入った。だが、やっぱり何も起こらなかった。この日は交代で泳いで写真を撮ったり、二人で「あっ、今覚りつつある!」「あっ、今覚った!」と「覚ったごっこ」をしたりした。

結局我々の人生は別に変わらなかった。しかしこれでは癪なので、日本に帰ったら言うそれらしい台詞を用意することにした。

「インドねえ。インドといえばガンガのことをいわないわけにはいかないね。みんなが沐浴している、あのバラナシに僕らが行ったときのことでも話そうか。

…初めてガンガを見たとき、うわあ、なんてきたない川なんだと思った。でもね、大勢の他の人たちに混じって僕も沐浴してみてわかったんだ。

…母なるガンガにいだかれていると、何だか今まであくせくしていた自分の生活が急に色あせて見えてきたんだ。

ここにはあらゆる人間が集まってくる。死を待つだけの老人、物乞いをする少女、長い遍歴の果てにここにたどり着いた聖者…。だがガンガは全てを超えて流れていく。自分はなんてつまらない、ちっぽけな生き物なんだろう。

…インドへの旅は、自分と向かい合う旅だとよくいわれる。僕もそのことを実感したよ。生と死。浄と不浄。聖と俗。この全てを許容し、場所を与えているのがインドという国なんだ。ここには、僕たちの社会が見失ってしまった何かがある。僕たちは物質文明の恩恵を受けて暮らしているけど、ひとつ自分たちを見なおしてみるときが来てるんじゃないかと思うんだ」…

【1600字】

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13.デスラードリンク 2003.01.28

漫画とかアニメ……以下総称して「まんが」……に出てくる食べ物や飲み物はとてもうまそうに見える。

例えば「ギャートルズ」の有名な「肉」、「銀河鉄道999」の「ラーメン」と「ビフテキ」、「アルプスの少女ハイジ」の「パンにドローッとしたチーズをつけて食べる食べ物」、「ドラえもん」の「ドラ焼き」、「小池さんのラーメン」、「あさりちゃん」の「焼肉」、「ラーメン」(またか)などである。最近のリアルな絵のまんがの食べ物・飲み物がうまそうか、というとそうでもないというところが面白い。

私のお気に入りは、「宇宙戦艦ヤマト」で異星人「ガミラス人」の首領デスラーが飲んでいるワインみたいな飲み物……以下、「デスラードリンク」と呼ぶ……である。デスラーはいつも角が生えたグラスで黒い液体を飲んでいる。あれが幼い時から気になって仕方がなかった。一体どんな味がするのだろう。やっぱり、ワインのような味なのだろうか。

デスラーは怒るとそのグラスを床に投げ付けたりした。床に広がるデスラードリンクを見て私は「ああ、飲んでみたい」と思った。

デスラードリンクをさらに魅力的にしているのは、もし「まんがの世界に入り込める道具」があっても絶対に味わうことができないという点である。なぜなら、ガミラス人の吸う空気は地球人にとってはちょっと吸っただけで死ぬほどの猛毒であり、デスラーの部屋にヘルメットなしで行くことは不可能だからだ。飲食するなどもってのほかである。 「宇宙戦艦ヤマト3」で、主人公の古代進がデスラーのところに行った時、デスラードリンクを乾杯するシーンがあった。しかし古代はヘルメットをかぶっているので、仕方なくかっこうだけ飲むふりだけをして礼を言っていた。

「ああ、もったいない……」

テレビの前で私は歯がみしたものである。

【800字】

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12.ウの言霊 2003.01.26

「あの医者は手術がうまいから、きっと料理もうまいに違いない」そう期待する人は少ないだろう。手術と料理は全然違うものだからだ。しかし、人生論とか哲学とかいうものは手術や料理のように善し悪しが明らかでないので、立派な業績を残した人間は立派な人生論や哲学を持っていると、誤った期待をされがちである。そうでなければ偉そうに経営哲学について講釈を垂れる野球の元監督の本など売れるものではない。

冷静に考えれば分かることだが、野球のことしか知らない人間が会社の経営を云々するのは、野球を全然知らないおっさんがプロ野球選手に知ったようなことを言って意見しているのと同じことである。

「ガーンと、いこうっちゅう、ぐあーっと、この、気迫が大事なんや、気迫が!今の阪神には、それがあれへんのや!!そんなんやから、当たる球もあたれへん!わしが監督やったら、こないゆうたんのや…」

合気道の開祖植芝盛平は、大変な武術の名人だったそうである。合気道が精妙な柔術であることは認めるし、その開祖が大変優れた柔術家であったろうこともわかる。しかし、この伝記の文章は一体なんなのであろうか。

(学研ブックス・エソテリカ「古神道の本」より。)

植芝盛平

神秘の武術・合気道開祖

…その後、大正8年、植芝盛平は綾部に移住し、大本(大山注:大正時代に出口王仁三郎という霊能者が作った宗教団体)で修行することになる。おりしも綾部の神苑はどんどん拡充中で、たまたま植芝がビクともしない巨石を相手に悪戦苦闘していると、王仁三郎が通りかかり「植芝はん、これはウの言霊で力を出さんとあきまへん」といって簡単に言霊の説明をした。 いわれたとおりにすると、不思議なことに巨石はムクムクと動きだした。

(中略)

また、植芝にはこの大本時代を含めいくつかの神憑かりの神秘体験があった。

1度目は42歳のときで、散歩中に突然、大地から黄金の気が吹きあがり全身が包まれて「武道の根源は神の愛」という霊悟を開いたこと。またそれから15年後、水行の際、みずからの守護神が大猿田毘古神および速武産大神であることが わかり、この世の禊をするよう命じられたこと。さらに戦後、夜毎に 自分自身の幽体と剣道の稽古をするという体験があり、このときは最終的に自分の肉体が消えて宇宙そのものになったという。

誰がなんと言おうと、絶対にこのおっさんはおかしい。自分の友達がいきなり「思い出したよ!僕らは前世にアトランティスで出会ってたんだ!」なんて言い出したら嫌であろう。いくら高名な武道家であっても、変な人は変である。

それにしても、ウの言霊で力を出すというのはいったいどういうことなのだろうか。

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11.ミラー著/加藤諦三訳「ブレイン・スタイル」感想文 2003.01.25

1. 訳文について

この本は読んでいてもどうもよく分からないところが多い。その理由を、訳者は次のように説明している。

しかし残念ながら、英語と日本語の違いから一見難しく思える箇所が多い。(56頁)

この本はもともとが長い文章が多い。関係代名詞などを使ってやたらに文章が長くなっている。会話のように、終わりなく、文章がだらだらと続いてしまう。(28頁)

つまり、文章が分かりにくいのは私のせいじゃなくてもともとなんですよ、といいたいわけだ。

『この本を遊び感覚で読んでもらいたい』と前に書いたが、そのことは簡単にこの本が理解できることを意味しない。そう書いたのは、まず全体の五〇パーセントが理解できてから詳しく読まないと、この本の素晴らしさを理解できないまま途中で読むのをやめてしまう可能性があるからである。(27頁)

つまり、よくわからんという人は努力が足らないんですよ、といいたいわけだ。

しかし、「理解できないまま途中でやめてしまう」人がいるとしたら、なんといってもまず訳のまずさのせいだと思う。いくら言い訳をしても私の目をごまかすことはできない。なにしろ、冒頭の文章がいきなりこれなのだ。

トニー・ベネットが最近、バラードシンガーとしての成功に満ちたキャリアについて、インタビューを受けていた。(63頁)

まるで昔、受験生だったところの私によって、大学入試の英語の試験の時の解答として書かれたところの、分かりにくい日本語訳の文章のひとつのようである。

しかし、これは意味が分かるだけまだいい。問題はそのあとだ。

一九六〇年代と七〇年代は、彼にとって決して楽なものではなかったという。ポピュラー・ミュージックの傾向が変わって、トニーはあまりクラブで歌えなくなった。彼は旧友、カウント・ベイシーを訪ね、自分の音楽のスタイルをロックかディスコ調にかえたほうがいいのか聞くと、ベイシーはこう答えた。『りんごを変えようとは思わないだろう』(63頁)

確かに、「りんごを変えよう」と思う人はあんまりいないだろう。

英語特有の言い回しがあるかもしれないし、という人もいるかもしれない。ではこれはどうか。

早い決断をしていたと思っていても、それには気づかずに決断は前からしていたのであって、言われていることを聞いていなかった。(160頁)

誰が何をしていたのかさっぱり分からない。

これ以上の引用は不要であろう。私は断言するが、加藤諦三は訳が下手である。だから、分からないからといって自分の頭が悪いのではないかと悩む必要はないのだ。

2.訳者まえがきについて

訳者の加藤諦三という人、やたらと「訳者まえがき」や「コラム」をたくさん書く。317ページしかないのに、「まえがき」だけで62ページまで使ってしまう。それ以外のところも入れたら四分の一ぐらいこのおっさんの文章である。もうこうなったら「ブレイン・スタイル」は加藤諦三の本だといってもいいのではないか。

とにかく、それによると「ブレイン・スタイル」はいろんな時に人生の薬となるらしい。

何事も、『なんで?』と思ったらブレイン・スタイル!(19頁)

ええ腹が立つ。→ブレイン・スタイルだ!

うまく行かない。→ブレイン・スタイルだ!

困った困った。→ブレイン・スタイルだ!

何でもかんでも→ブレイン・スタイルだ!

しまいには、こんなことを言い出しかねない勢いだ。

◎ブレイン・スタイルのおかげで、永年の腰痛が嘘のように治りました。(兵庫県/平清盛さん)

◎すてきな彼氏ができました。ブレイン・スタイルのおかげです!(神奈川県/北条政子さん)

◎バスケがうまくなった。(東京都/田沼意次さん)

3. 本文について

茶化すのはこれぐらいにして、本文の感想に移る。

本文の趣旨は要約するとこのようになるだろう。

「人間性は、脳のタイプに依存する。脳のタイプには、4種類がある。そして、それは思い通りに変えられるものではない。人とつきあう時には、自分と相手の脳のタイプがどれであるかを知り、それに応じたやり方をするとうまくいく。それぞれのタイプの特徴と、組み合わせごとの望ましいつきあい方は以下の通り。…(以下略)」

「右脳と左脳」とか、私の「怪しい情報発見センサー」を刺激する定番のキーワードはたくさん出てくるし、データの選びかたも少々主観的すぎるような気がする。とはいえ、人の性格をいくつかのタイプに分類して分析してみるということ自体は昔から行われてきたことであり、別に怪しくない。たとえば、ヒポクラテスは「血液・胆汁・黒胆汁・粘液」の四体液が身体を循環し、人間の気質を作っているという説を立てた。クレッチマーは「やせ型・肥満型・闘士型」の三つの体型と性格の関連を論じた。さて、ここでミラーという人がまた一つ説を立てた。「Kタイプ・Cタイプ・COタイプ・Dタイプ」の4つの脳のタイプと人間性についての説だ。これこそ最後にして最高の説…なのだろうか?

今ヒポクラテスやクレッチマーの説を信じる人はあまりいないだろう。粘液?闘士?なんだそりゃ、というわけだ。しかし、なんとなくもっともらしいところもある、面白い説であるというのも事実である。「ブレイン・スタイル」も、結構「ある、ある」という話がたくさん載っていて面白かった。私はどうやらDタイプらしい。いろいろ研究するが行動に移さないところなど、「なんだこれは、俺のことか?」と思ってしまった。「ブレイン・スタイル」は理論は怪しいが、具体例の方はそれなりに役にたつこともあるだろうと思う。

4.加藤諦三について

加藤諦三がうまいところは、「註」という形を取って自分の意見を書き込み、この本の趣旨を微妙にゆがめているところである。まず、加藤諦三はこの研究をお手軽な心理ゲームにしてみせる。(43頁)そして、長い「まえがき」や「註」を加えた本書は、次のような邪悪なメッセージを放ち始めるのである。

「人にはそれぞれタイプがあって、それはどうしようもない。だから、自分はこうあるべきだという考えはやめるべきである。そう、あなたはあなたの好きなようにすればいい。あなたがあなたらしいときこそあなたは本当の自分の能力を発揮できるのだ。」

自分の生き方に自信がない人は沢山いる。そういう人にとって、上のような言葉は非常に耳に快いであろう。加藤諦三がある種の人々に人気があるのは、この「癒し」っぽい感覚を味合わせてくれるからである。このあたりはなんとなく中谷彰宏に似ている。

しかし、「人は変わることはできない」というのと「だからこのままでいいんだ!」というのを安直にくっつけてしまうのはいかがなものか?「あなたがたは罪人である。だが、生きていく上で罪はおかさざるをえない」というのと「だから罪人のままでいいんだ!」というのは違うだろう。

5.結論

くだらない本であり、読むのは時間の無駄である。

6.余談

そもそも、自分に正直に生きるというのはそんなに立派なことなのだろうか。不倫して離婚した、ある作家の元妻というのがいた。彼女が記者会見の時言っていたのがこの「自分に正直な生き方がしたくて」という台詞であった。自分に正直なら何をしてもいいのか?私も自分に正直に生きてみたいものだが、捕まるのは嫌だからやめておく。

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