ハイリハイリフレ背後霊過去ログ81〜90




90.それならあなたはなにを飲んでいるの 2003.04.23

数年前の選挙の時、大阪の淀屋橋で演説していたおばちゃんの話は変だった。普段関西弁しか喋らない人が、むりやり標準語で演説しているような感じの喋り方で、次のようなことを言っていた。

(消費税が高い、という話の後)

私の知っている、大学生の子は、こう言っています。『ぼくは、ジュースが120円になってから、もうジュースは飲まないことにしている』と。そこで、私は尋ねました。『それなら、あなたは、なにを飲んでいるの』すると、その子は答えました。『学校の食堂で、水を飲んでる』。

その子はこう言っています。『僕は、学費を稼ぐために、週に5日アルバイトをしてる。そのうち一日は、消費税のために働いてるんだ』

確証はないが、どうも本当の話ではないような気がする。少なくとも当時大 学を卒業したばかりの私にとってはそう思われた。何かが違うのだ、何かが。

【字数指定なし】

89.私はインディアンになって 2003.04.22

以前、飛騨の山奥にある友人の田舎にお世話になったことがある。その家は友人のおじさんが就職して家を出て行っていらい時が止まっていて、若い頃の浅田美代子のパネルや各地の三角形のペナント、スーパーカーの写真、水森亜土のようなタッチの男の子と女の子のイラストといったものが飾られており、とても懐かしい気分になった。

この家にある変な本、ということで「”愛”ってなあに」(落合恵子編、講談社、s49.12.16一刷 s51.9.20九刷)という本を見せてもらった。こんなポエムがたくさん載っていて、実に味があって良かった。

私はインディアンになって
      s43.1.4
私はインディアンになって
あなたを生捕りにする
木にしばりつけて
こちょぐりの刑に処する
そして言わせてみたい
私が好きだって
川崎市E.A.(23歳・学生)

こんなのもあった。

今日 お料理をつくりました
あなたのためのスープに
わたしの愛を入れました
一こじゃとても多すぎて
半分にわっていれたら
とてもすてきなだしがとれました
三鷹市T.O.(16歳・学生)

つくづく、「ポエムに年の差なし」ということを実感させられる。

【字数指定なし】

【参考】資料1資料2資料3資料4資料5

88.せめて、人間らしく 2003.04.21

私の友人が学生時代住んでいた学生寮があった。その寮はK寮といった。K寮には日本帝国主義の朝鮮侵略戦争に反対し、戦っている人々がたくさん住んでいた。全体から見るとこの人たちは数は少ないのだが、事実上寮を牛耳っていた。別のセクトの人が異議を唱えたところ、大勢に殴られたり柱に頭をぶつけさせられたりした挙げ句、寮から追い払われてしまった。自分たちが行う弾圧や暴力には反対しないらしい。

きっとここは「霊的磁場」がゆがんでいるのだろう、他にもおかしな人・不思議な人が集まっていた。日本政府の電波攻撃と日夜戦い続ける外国人、「G理研究会の新聞『K学生新聞』が取材に来ても口をきいたり試合の結果を教えたりするな。もしそういうことをするならG理研究会に加担する『敵』とみなす」という脅迫じみた回状を各サークルにまわす人たち、そして「人権問題」と戦う人たちである。

K寮では寮祭というものがあり、私もパンフレットを友人にもらった。すると、何だかおかしな所が目に付いた。一部の文字や絵がマジックで塗りつぶされているのである。まず「K■■曲94の序章、今ここに!!」よく見ると「狂騒」と書いてあるようである。「ラプソディ」だ。もうひとつはこっちに向かって中指をたてている人の絵の中指の部分である。

なんだこりゃ、と思って頁をめくると、藁半紙がはさまっていた。そこに書いてあることがとても面白いので、全文引用する。これは冗談ではなく、ほんとうに真面目な意図で配られていたものである。

パンフ中の修正箇所について

お気づきの人もいると思いますが、このパンフには2ヶ所修正してある場所があります。1ヶ所目は「K狂想曲94の序章」のうち『狂騒』の部分、2ヶ所目は「肝だめし」の記事に使われている『FUCK』ポーズです。前者は「精神障害者」を侮蔑的に表現する「狂う」という語を含み、後者は女性に対する性的脅迫を意味します。いずれも、「多数者」・「強者」の「少数者」・「弱者」に対する差別・偏見的な表現でありこのまま掲載するわけにはいかない、ということで削除することにしました。

  *      *      *      *       *

このような差別表現について、わざわざ修正することに疑問を感じる人もいるかと思います。「言葉狩りにいちいち応じる必要があるのか」と。私自身、この原稿を見た段階では「ちょっとまずいかな」と思ったもののさして気に留めませんでした。しかしながら差別表現が「障害者」・女性などの「少数者」・「弱者」に及ぼす影響を考えたとき、どうしても看過できない問題性を帯びていることは明らかです。

まず、表現自体の差別性をしっかり認識しなければいけません。「狂う」・「狂っている」という表現は、「正常でない」・「おかしい」という意味で使われています。これは「普通でない」人すなわち「障害者」、とりわけ「精神障害者」の言動をイメージさせます。そして、「狂う」という言葉を発する人も受けとる人もしばしばこのイメージに基づいて話をするわけです。つまり、「精神障害者」を「狂ったもの」の象徴として捉え、言葉にその意味を込めて使っているのです。無意識的にでも意識的にでも現実にこういった意味で使われている以上、差別以外の何物でもありません。「FUCK」ポーズについては言うまでもなく、力で女性を従わせようという意思の表現であり女性に対する最大の性的侮辱・脅迫です。最近は気合いを入れたりするためなど広い意味で使われてはいますが、だからといってその原義は差別性を到底免れる物ではありません。

次に差別表現を使うという行為そのものの持つ差別性を問わねばなりません。一口に差別表現といっても、対象を直接的に差別するものもあればその言葉が持つ差別的意味を拡大的に応用して日常的に用いるものもあります。今回の例は後者のほうだといえるでしょう。前者o鼾ct差別性はいうまでもありませんが、後者については現在のところほとんど問題にされていません。その結果、わたしたちは数多くの差別表現をそれと知らずに日常的に使うようになってしまいました。そして差別する側からは差別の存在は見えにくい、という構造のために、「それは差別だ」と指摘されても理解できなかったり「言葉狩りだ」として反発したりするようになってしまいました。「たとえそれが差別語であったとしてもそのつもりで使うのではないのだからいいのではないか」という声がよく聞かれますが本当にそうでしょうか。このような考え方は少なくとも次の点において間違っています。1つにはその言葉に象徴されるような差別に今まで無関心であったことを開き直っていること。2つには使う側の一方的な都合で差別語を使い、それを受けとる側の被差別者の心情や立場を全く理解しようとしていないこと。少なくともこのようにいまだに差別が残っているという現実を省みない態度が自分自身の差別性を正当化し、差別の存続を助長しているのです。

    *     *     *     *     *

「障害者」差別、女性差別、さらには在日韓国・朝鮮人やアイヌ人に対する民族差別など、日本にはまだまだ多くの差別が社会構造自体の差別性に助けられて根強くのこっています。K寮では反差別を自治の基本方針として掲げており、それに基づいてこれまでもさまざまな運動を行ってきました。これからも差別を根絶するためにあらゆる努力をしてゆくつもりです。その立場に立ったとき、寮祭のパンフといえども差別を助長する表現は使うわけにはいきません。したがって不自然な形にはなりますが、このような形で修正することにしました。このような事情をご理解の上、我がK寮祭にぜひともお越しください。


*「狂騒」は「共騒」と読み替えていただければ幸いです。

「狂想曲」というのはれっきとした音楽用語で、「共騒曲」などという言葉は存在しないのだが、そんなことは問題ではないのだ。そんなふうに屁理屈をこねまわして自分自身の差別性から目をそらす、その態度が日本の差別構造を支えているということを自覚せねばならないのである!

【字数指定なし】

【参考】資料1資料2資料3

87.限界状況論 2003.04.19

げんかい
ワー
ギャー
ワギャー

(小学生の頃の、Mという友人が残した落書き)

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昔、武田という友人が家族旅行に出かけ、帰ってくると風呂の浴槽の中に猫が浮いていたという。浴槽には半分ほど水がたまっており、蓋が開いたままになっていた。猫は下に足がつかず、上に手が届かず、溺れてしまったのだった。

このようにどうしようもない事態に陥ることを私と武田は「限界状況」と呼ぶことにした。そして、学生時代はお好み焼き屋で酔っ払ってはいつもこのようなことを話していた。

・宇宙服のような大きな球形のヘルメットをかぶって歩いていて、マンホールに落ちる。ヘルメットの方がマンホールより大きくて、頭だけ外に出た状態で宙ぶらりんになる。

・床下収納庫に尻がはまって抜けなくなる。

・高いところから落ちて、先が槍になっている旗竿に仰向けの状態で刺さってしまう。なお、その旗竿は根元が固定されている。

・公園などにある、大きなコップのような形をしたオブジェに頭を下にしてすっぽり入ってしまう。もがいているうちに雨が降ってくる。

なお、「限界状況」という言葉は本当はもっと含蓄のある言葉らしいが、それとこの話には関係はない。

【字数指定なし】

86.NASAおじさん 2003.04.18

Yさんから聞いた話である。

1996年の夏、彼女は大阪のインターネットカフェでアルバイトをしていた。ある日、60歳過ぎぐらいのおっさんが来て、

「宇宙に興味があってな、いろいろ調べたいんや」

と言いながら会員になる手続きをした。その頃ちょうどインターネットが注目を浴び始めた時期だったので、はじめはただ先進的な人だなぁと感心していた。おっさんはジャージ姿にサンダルという軽装だったが、そのときはたいして気にも留めていなかった。

おっさんは熱心にNASAのホームページを見ながら、ときどき店員の彼女らに解説してくれる。しかし、どうも言っていることがおかしい。

「NASAに知り合いがおるんや」

とか

「今度ちょっと会いに行こうと思ってるねん」

などと言うのである。とうとうある日おっさんは

「NASAにメールを出したのに返事が来ない。どうなっているんだ」

と騒ぎ出した。

「お知り合いは日本人の方ですか?」

「いや、アメリカ人」

「メールは英語で書かれましたか?」

「いや、日本語」

「…?それは本当にご友人なのですか?」

「いや、わしが知っているだけで向こうは知らん」

【字数指定なし】

85.矢田さんを呼んでくれ 2003.04.17

以下は、Yさんという人から聞いた話である。

不思議な人がYさんの勤めている会社に来た。ハンチング帽にジャンパーを着た80歳ぐらいのよれよれのじいさんで、受付を素通りして勝手に事務所に入ってきた。不審に思った社員が引き止めたところ、じいさんは

「図面を持ってきた。矢田さんを呼んでくれ」

と言う。

事情を聞くと、そのじいさんは技術者で、自分で開発した新型消防車両の提案を買ってくれ、と2年ほど前にこの会社に来たということであった。そのときどうやら矢田という名前の社員が対応して、「わが社では買えません」と答えたらしい。じいさんは

「つい先日矢田さんから電話があり、また図面を持ってきてくれとのことだったので、やって来たのだ」

と言う。しかし、調べても矢田という名前の社員はいなかった。いくつかの関連会社にも電話して聞いてみたが、やはりそんな人は見つからなかった。

そういうわけでお引取り願うと、じいさんはこんな名刺を置いてしぶしぶ帰っていった。

科学開発事業部(会社名はない)
××××(名前)
住所:堺市北野田××(どう考えても自宅)

【字数指定なし】

84.平成の坂本龍馬 2003.04.16

「巨人の星」より

しかし竜馬はこういった いつ死ぬかわからないが いつも 目的のため 坂道を登っていく 死ぬときは たとえどぶの中でも 前のめりに死にたい…と
つまり かぎりなき 目的への前進だ! たとえどぶの中で死んでも なお 前向きで死んでいたいっ… それが男だ!
死に こだわったり おそれたり あるいは どうせ死ぬんだといって 前進を止めるようなやつは 男じゃない!

「平成の坂本龍馬」を自称する政治家は多い。しかし、大抵は口先だけである。本物の平成の坂本龍馬は、このような人物のことであろう。

(平成十年九月二四日朝日新聞夕刊より)

刃物で車強奪 逃走中に死亡

京都・八幡で男性

二十四日午前零時二十五分ごろ、京都府八幡御幸谷の国道1号で、男女二人が乗った乗用車が、同府久御山町内の専門学校生(一八)の乗用車と正面衝突した。男は、後続の大阪府東大阪市内の会社員(二八)の乗用車を止め、持っていた刃物で会社員に切りつけたうえ自分の首や胸などを刺し、さらに後続の大阪府交野市内の会社員(二四)の乗用車を奪って逃走。約一キロ先の八幡市八幡南山の同国道左側の土手に衝突した。男は病院に収容されたが、まもなく死亡。同乗していた女性(二五)と専門学校生、切りつけられた会社員の三人が手や胸にけがをした。
八幡署の調べでは、男は免許証などから京都市××区×××××町、無職××××容疑者(二四)。同容疑者は正面衝突の前にも二台の乗用車と接触事故を起こしていた。その際、同乗の女性と口論していたという。同署は同容疑者を被疑者死亡のまま強盗、傷害などの容疑で書類送検する方針。

次の朝のNHKのニュースによると、龍馬は「訳のわからないことを叫んでいた」そうであった。いつもこういうニュースの時に思うのだが、何を叫んでいたかちゃんと内容まで伝えて欲しいものである。

【字数指定なし】

83.魔法のサングラスもってこい!! 2003.04.15

以下は、平成12年1月12日の朝日新聞朝刊より引用した記事である。この手の人の言動は「わけのわからないことを言っている」などとぼかして書かれることが多いのだが、この時は幸いメモが残っていたようである。

◆教室で中1が首を切られる――放課後、20センチけが

11日午後4時ごろ、和歌山県かつらぎ町妙寺、××××中学校(×××校長)の教室で、同町、会社員××××さん(45)の長男で同中学校1年生の×(×××)君(13)が、男に包丁(刃渡り約20センチ)で切りつけられた。穣君は首に約20センチの傷を負い、約3週間のけが。男はそのまま逃げ、自宅に戻っているところを同県警妙寺署員に殺人未遂と銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕された。
調べによると、逮捕されたのは、学校近くに住む無職の男(35)で、調べに対して、わけのわからないことを話しているという。穣君は野球部員で、ほかの3人の部員とともにクラブ活動を終え、着替えをするため、1階の教室に入ると、男がついてきた、という。男は、「俺は日本神話だ!!俺は本者の人だ!!。魔法のサングラスもってこい!!」などと意味不明の文章を書いたメモを生徒に見せ「わかるか」と尋ね、「わからない」と答えると、持っていた包丁で×君に突然切りつけたという。
ほかの生徒の通報で、教師3人が、まだ校内の中庭にいた男を追いかけ、自宅に戻ったのを確認。駆けつけた妙寺署員が、逮捕した。同中学校はこの日が始業式で、生徒は午前中で帰宅したが、クラブ活動のために事件当時は30−40人の生徒が残っていた。
現場は、JR和歌山線妙寺駅北東約400メートルで、住宅と田畑が広がっている。

【字数指定なし】

82.らんま1/2メモリアル 2003.04.14

昔、「らんま1/2」という漫画があり、学生時代に風呂屋でよく読んでいた。ギャグ漫画なので「このシーンは物理的におかしい」などという突っ込みは無粋であると承知はしているが、最終章のあかね人形の話はいまだに納得いかない。

「主人公『らんま』は格闘家である。今、岩をも溶かす高熱を発する技を使う恐るべき敵と戦っている。この敵の直撃を受けて、ヒロイン『あかね』は体中の水分を奪われ、人形のような姿になってしまう。」

ここまではいい。しかし問題はこの後だ。

「次に主人公も直撃を食らう。しかし、懐に入れていた「あかね」がその熱を吸収してくれ、主人公は命を拾う。もう乾燥しきっているので、これ以上水分を失うことはない、というわけだ。その後紆余曲折があって主人公は敵にうち勝ち、『あかね』は元の体を取り戻す。」

まったく馬鹿げた話である。まず新聞紙を水に浸して、火にかざしたらどうなるか。だんだん水が蒸発していき、乾いたら今度は燃え出すであろう。下手な理屈をつけるぐらいなら、奇跡で押し切ればいいのだ。

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以下は、平成9年ごろに某所で出た課題「最近読んだ雑誌の記事について1200字で論評せよ」に対して書いたものである。今だったら「どうせ新連載までの埋め草だし、こんなもんだろ」と思ってしまうところだが、当時は本気だった。

「らんま1/2メモリアル」について

「少年サンデー」連載の、「らんま1/2メモリアル」は、先日終了した同誌の連載マンガ「らんま1/2」のメモリアル企画である。誌面構成は、数回を除いてほぼ次のようになっている。まず、「らんま1/2」のキャラクターの列伝があり、次に読者の投稿欄、終わりに原作者への質問コーナーがある。

小学館という、「らんま1/2」の原作者を擁した会社が、「サンデー」という大部数の雑誌で、このような企画を行う。これには、次の二つの利点がある。一つは、原作者の声を直接伝えることができる点。もう一つは、数多くの読者の意見を知ることができる点である。

けれども、実際の誌面を見ると、それらの利点が生かしきれていない。つまり、キャラクターの列伝という、原作を読めば誰にでも作れる記事が大半を占めており、独自性の強い部分がほとんど無いのである。

小学館ならでは、「サンデー」ならではと言えるのは、投稿欄と質問コーナーである。しかし、これらも内容の貧相さにはひどいものがある。例えば、こんな質疑応答があった。「シャンプーが戦うときに両手に持ってるぼんぼりのような物は、いったいなんなんですか?」「シャンプーが持っていると、装飾品のように見えますが、実はアレ、れっきとした中国の武器なんです。振り回して、球の部分でドカンと一発。もしホントに殴られたら、かなり痛いと思いますよ…」戦うときに両手に持つ物といえば、普通武器である。球の部分で殴ることは、絵で分かる。殴られたら痛いのは、当然である。つまり、この解答は「中国の」と「かなり」以外は全く意味がないのである。

「らんま1/2メモリアル」を真に面白い物にするためには、多くの改革が必要である。

まず、メインの特集を、「サンデー」独自のものにする。具体的には、以下のようなものが考えられる。他作品と、「らんま1/2」の相関関係。アシスタント・編集者の紹介。アニメ化に関しての、当事者達の意見、といったものである。正確を期すため、原作者に内容確認をするのはもちろんである。

次に、投稿欄と質問コーナーの拡大と、内容の充実を図る。特に後者は、本質的な質問を選ぶようにせねばならない。矛盾をあらわにするような質問でも、内容がもっともであれば載せる。難しい質問を無視するのは、読者への裏切りである。

最後に、スタッフに「らんま取材班」などというニュートラルな立場を捨てさせ、個々人に濃い内容の記事を書かせる。万人受けを狙うと、内容のない誌面になるからである。

誰にでも書ける記事を載せても、しかたがない。原作を読んでもわからない情報を、読者は求めているのである。それが無ければ、この企画は凡百のコミック研究本や同人誌の域を出ることができないであろう。

【1200字】

【字数指定なし】

81.ポエム野郎 2003.04.13

私がいた高校にはポエム野郎がいて猛威を振るっていた。「奴」はもともと小説やらポエムやらを学内誌に載せたりしていたのだが、それらはあまり面白いものではなかった。しかし、編集長に「他の記事を載せるスペースが足らない。ページ数を減らせないのか」と言われただけで激怒し、「キミは何を言ってるんや!省くんならつまらない記事を省けばいいやないか!…」という風にネチネチとカン高い声で何十分も叫びまくる「奴」にそのことを指摘できる人間は誰もいなかった。

学内誌とか同人誌に載せる分にはまだ良かったのだが、自分の才能に微塵の疑いも持たない「奴」は、もっと大勢の人間が読む、文化祭のパンフレットの1ページを自分のために使わせろ、とまで言い出した。編集部は拒否したのだが、例によって「奴」はネチネチと文句を言いだしたので、結局「あーあーわかったわかった」ということになってしまったのである。

パンフレットの表紙の裏には、本当に1ページを使って「奴」のポエムがでかでかと掲載されてしまったのだった。元々はイラストなども挿入するはずだったのだが、「奴」が「ここは僕の表現のページなんやから勝手に手入れんとってや!」と強硬に主張したので、白いページに細い斜体の活字で書かれたポエムだけ、という異常な空間が出来てしまった。

以下が問題のポエムである。

なぜつまらないの
なぜおもしろくないの
感動はこんなにたくさんあるのに、
君の心はまだ眠っているの

心には弦がある
そしてプリズムがある
弦が感動でふるえると、
プリズムがそれを虹色にする

もう朝だよ
眠っていた心をおこそうよ
ゆるんでいた弦を巻いて、
くもっていたプリズムをみがこう

おはよう 自分の中の自分
今日からは僕の口ぐせ
Exclamation.
〜さあ、もっと驚こう〜


そういえば
朝の電車の女の子
少し夏の香りがしていたな

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では順を追って内容に検討を加えることにしよう。

なぜつまらないの
なぜおもしろくないの
感動はこんなにたくさんあるのに、
君の心はまだ眠っているの

これはまあいいとしよう。

心には弦がある
そしてプリズムがある
弦が感動でふるえると、
プリズムがそれを虹色にする

弦がふるえて出るのは音である。プリズムは太陽光線を虹のように波長ごとに分ける道具である。どうして音がプリズムで虹色になるだろうか。おかしいではないか。

もう朝だよ
眠っていた心をおこそうよ
ゆるんでいた弦を巻いて、
くもっていたプリズムをみがこう

「眠っている」か「眠った」ならわかるが「眠って『いた』」のならもう起こす必要はない。「ゆるんでいた」「くもっていた」も同様である。

おはよう 自分の中の自分
今日からは僕の口ぐせ
Exclamation.
〜さあ、もっと驚こう〜

この詩は「君」に対して歌っていた筈なのに、いつのまにか「僕」の話になっている。人を起こしたり勝手にびっくりしたり、忙しいことである。



この「タメ」が恥ずかしい。しかも締めがこれである。

そういえば
朝の電車の女の子
少し夏の香りがしていたな

声に出して読めばわかるのだが、「少し夏の香りが」というところが読みにくい。「夏の香りが」ならまだしも(それでもかなり恥ずかしい)。大体何が「そういえば」であろう。

ここにスピーチが好きな親父がいて、みんなそれを知っているのだが、親父は「俺は何も考えてないよ」という顔をしている。しかし喋りたそうなのは表面に出ている。そのうち親父の順番が回ってきて、親父はうれしくてしょうがないんだが、懸命に何気なさを装って言う。

「え、わしか?おーおーおー、そういえば…」

この「そういえば」はまさにそれである。つまりこの聯は「奴」の一番書きたかったところなのである。しかしそれは「朝の電車の女の子」の「夏の香り」という手垢の付いた言葉にすぎなかった。親父のスピーチの「えー新郎は柔道の猛者でもあるわけですが、その得意の寝技をこれからは夜の生活でも生かしていただきたいと!」に匹敵する陳腐さである。

以上より、このポエムははじめから終わりまでどうしようもない内容であることがわかった。

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ポエムの内容がめちゃくちゃだろうが陳腐だろうが、実はそのことは恥ずかしいことではない。恥ずかしいのは、はじめから終わりまでこのポエムのことを「なかなかいい作品だ」と信じて疑わなかった「奴」のナルシストぶりなのである。

たとえ話にするとこういうことだ。スケートが下手くそなのは別に恥ずかしいことではない。しかし下手なのにもかかわらず、「俺ってスケートうまいねん」と信じ込み、主張し、他人を小馬鹿にするのは恥ずかしいことである。ポエムもスケートのようにうまい下手がはっきりしていれば良いのだが、そうではないのが難しいところだ。

【字数指定なし】

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