ハイリハイリフレ背後霊過去ログ71〜80




80.六甲駅の「岩本」 2003.04.12

私の兄が中学生の時の話である。

阪急電車の六甲という駅で、兄とその友人たちは電車を待っていた。そのうちなんとなく、彼らは待合室に入った。待合室の中の壁にはぎっしりとシャチハタネームで「岩本」という名前が押してあった。なんだこりゃ、などと言い合っていると、窓の外を不思議な少年が

「ほーーーーっ」

と叫びながら通過していった。

あいつが岩本に違いない、と、彼らは噂しあった。

【字数指定なし】

79.あっ、ありさんだー 2003.04.11

私の友人は大学時代、合気道部に入っていた。合気道部の人々は、ランニングの時も黒っぽい袴をつけて走るのが習慣だった。ある朝体育館の近くを大勢で走っていると、変な女がいた。女は近くの車のバックミラーを覗き、そこにうつっている彼らに向かって

「あっ、ありさんだー」

と言った。そして、

「君たちー、このタバコすてるよー。ポイッ!」

と言って、吸っていたタバコを捨てた。その時、タバコの火が移って、女の服が燃え出した。火は、近所のおばちゃんがあわてて消していた。

【字数指定なし】

78.あいつがやらしいことするからじゃあ 2003.04.10

以下は昔T君からもらった手紙に載っていたエピソードである。孫引きなのでどうかとは思うが、面白いので残しておく。ちなみに阪急電車とは関西の私鉄の一つである。

さて、十月十六日、研究室の先生に大変愉快な話を聞きましたので御紹介します。先生が阪急電車に乗っていると、突然、満員の車内から若い女性の叫ぶ声がしました。見ると三十くらいの割と綺麗な女性がサラリーマンに痴漢行為をされたとかで怒っている様子です。サラリーマンは身に覚えがないのか、やや困った顔をしています。

(中略)

女性のサラリーマンを罵る口調は到底婦女子の言葉とは思えぬ汚ないものであったそうです。「おまえ、女やと思ってなめとんのか、こら、ええ加減にせえよ」など。そして遂にそのサラリーマンを拳で殴りつけ、倒れたサラリーマンに馬乗りになり、半狂乱になって殴りまくったそうです。まあここまでならちょっと激しい女もいるものだと思う程度ですが、ここからがこの話の本番です。その女の母親と思われる人物が女の襟首をつかみ、園田駅のホームに引き擦り出し、「またあんたはこんなことして何考えてんのよ」と叫びつつ、女をぼこぼこに殴ったそうです。女は「あいつがやらしいことするからじゃあ」などと喚き、電車に再び乗ろうとして突進します。その女を母親が無理矢理に外へ出し、殴りまくるのです。殴られたサラリーマンは、もう、呆然としていたそうです。

(中略)

先生は翌日、部下の女性にこの暴力女のことを云いました。すると部下の女性は暴力女を知っていて、梅田駅で目撃したそうです。先生が見たのと全く同じシチュエーションであり、女が男を殴った後、親娘での死闘があったと云います。

【字数指定なし】

77.走る男 2003.04.09

大阪で働いている友人から聞いた話である。

地下鉄に、いつも車内を息せき切って走り、汗をだらだら流すうっとうしいおっさんがいる。汗を拭いたタオルを連結器のところでしぼっている現場を見たところ、ボタボタと水がたれるのでかなりショックだったらしい。もっとも、100パーセント汗だったのかどうかは確認されていない。

おっさんは走っていないときは、車内でハアハア息をつきながらバナナをモグモグ食ったり、リンゴをシャクシャクかじったり、菓子パンをガツガツ食ったり、チョコレートをムシャムシャ食ったり、コーヒーをゴクゴク飲んで「ッカーッ」と息を吐いたりし、周りの人にその飲み食いしているものを勧めるのである。これまた迷惑な話で、友人はいつも断るのが大変だとこぼしていた。

ある日、いつものようにそのおっさんは車内を走ってきて、友人の目の前にいた外人のおばちゃんの前で立ち止まると、チョコレートを差し出した。おばちゃんが仕方なく一つ受け取ると、またおっさんは隣の車両に走り去っていった。残されたおばちゃんはつまらなそうな顔をしたままチョコレートをもごもごやっていたという。

【字数指定なし】

76.カメムシ(「テキコン地方予選」参加作品 テーマ「緑」) 2003.04.08

カメムシは美しい外見をしているが、いじめると非常に不快な臭いを発する。ある意味で、もっとも恐れられている虫である。恐れられている虫といえばハチもそうだが、ハチの被害は一人で済む。それに対し、カメムシの被害はその付近一帯すべてに及ぶからである。

Nがいた小学校は山の上の新興住宅地にあり、そこには緑色のカメムシがよく飛んできたという。Nはその日、深い考えもなく壁にたくさんとまっているカメムシを一匹一匹割り箸でつまんでは、半透明のプラスチックのフィルムケースの中に集めていた。そしてある程度集まったところで、今度は何を思ったのか、そのケースの中に水を注いでみたのだった。すると、太陽に照らされた水の中に、ちょうど砂糖を溶かしたときのようなもやもやとした影が現れるのが見えた。本能的な恐怖に駆られたNは、カメムシとカメムシのエキスが満ちたフィルムケースを二階から校庭に投げ出してしまった。やがて下から悲鳴があがった。異臭騒ぎのため、しばらく児童が避難する事態となった。

「まあ、詳しい話をするとですね、小学校の壁には寒くなる頃になるとカメムシが結構な数張りついているんですよ。なんでこんなに奴らは臭いのかと考えた訳です。フィルムケースの半分かそれよりちょっと少ないぐらいになった時に、何を思ったのか水をそこに入れた。するとモヤーっとにおいエキスらしきものがフィルムケースで泳いだ。はじめは好奇心からだったが、そこで自分の行いを恐怖し、それを教室のベランダから投げてしまった。これは悲しい話なんです。」(Nの談)

------

やや遠きものに思ひし

テロリストの悲しき心も――

近づく日のあり。

――石川啄木「悲しき玩具」より

【800字】

【参考】寄せられた批評・感想 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/2583/yosen.html

■カメムシ
評価:○
あー、カメムシって臭いですね確かに。
文章は「カメムシ臭い」と「フィルムケースに閉じ込めて水を入れたら……」と云うエピソードのインパクトで 引っ張るのにちょうど良い長さなのでしょう。しかしその一方でやや淡白すぎるようにも感じます。フィルムケースが 落下した後の騒ぎをもう少し書き込んでも長すぎると云うことはなかったのでは。
このへんは加減が難しいところなんですけどね。
あと(Nの談)部分で内容と言い回しの一部が重複しているのが気になりました。この部分は削るか、別の方向から 書くかするほうが面白かったかも。
・うわー全然わからない。なぜNの談話が必要なの?な んの告白にもなってないし。評価不能ってつけたい。
・読みやすい。
・題材は面白いけれど、見せ方に芸がない。啄木に代弁させたんでまとまってはいるが。
・何が言いたいのかさっぱりわからない。Nの談とやらも、上 にあるのとほとんど同じ内容を繰り返しているだけだし。 落ちがないってやつだな。
・ネタ系としては、オチがもう一段ほしい。これで終わりか いな、って感じ。
・コメントもできませぬ。
・少し量が少ないのでもう少し描写を増やすかエピソードを 増やした方がいいかもと思った。詩は最初に持ってきた方 が分かりやすいかも。最後の語りが語りになってないのが 難点。
・良:実際に実験してみたくなるような少年時代のエピソード。
悪:これも緑に絡めただけであるカメムシという題材。 「で? それが?」という感想も勿体無い。 悲しい話? ふざけんな。
0点
■全体の感想
参加作品は全て大変楽しく読まさせていただきました。
その中から敢えて2本残すとするならば「帰ってきた奴」と「淡い桜の木の下で」でしょうか。
同じ書き手の方が書いたものをまた読んでみたいなぁ、と思った順でいくとこうなります。
あと、このリーグに限らずWebの文章全般の話なんですが、まず入り口の段階で読者を興醒めさせない工夫がもう 少し欲しいものが多く見受けられます。例えば文章にtitleタグが無いであるとか、そう云う細かい点です。
また、私感ですが白背景に黒文字の文章を見ると、もうそれだけで素人臭く、野暮ったく見えてしまいます。
むやみやたらと凝る必要は感じませんが、スタイルシートなどを使って文字サイズや行間を整えたり、文章の背景色と 文字色について少し考えてみるのもいいかもしれません。(ちなみに書体の指定は環境依存が高まるのであんまりお 勧めできないです)
参加文章の内容、表現力もさることながら、HTML文章を読ませるところで既に損をしてしまうと云うのは大変惜しいと 思うのです。
ともあれ、みなさんお疲れさまでした。
・うううん。言いたくないけど、レベル低い。おもしろ くない。一度やられてしまったテーマだから、ネタに 困るっていうのはわかるけど。「同じ料理の仕方で も、私ならこう書いてみせる。どうだ、面白いだろ う」ぐらいの気合いでいってほしいものです。
・あえてひねってオチに賭けるより淡々と綴っている文章の方が読みやすい。
・良作揃いで相対的に他の作品の評価が下がってしまいました。
・うーん、他でも指摘されてるように、やっぱり本戦に比べ て小ぶりな感じがある。たぶん1回目からすごいのはなか なか書けないんでしょう。
しかし、地方戦ならではの個性もちょこちょこ見えます なあ。
1位は「帰ってきた奴」。これは、しらっとこういうスタ イルをとったことの勝利。田舎へ帰ってきた息子じゃない んだから、と大笑いしてつっこみたくなる。アイディアの 勝利ですな。でも、次は同じ傾向のアイディアは使えない よね。
2位は、ファンタスティックな「カメレオン」かなあ。 書き足りてないけど、雰囲気が良かったので。
3位は「淡い桜の木の下で」なんですけど、途中は読ん でて良かったんだけど、安直に殺しすぎだと思いました。 色盲だけでこういう展開は。ちょっと一考してほしいで す。
「オーガズム」は個々の描写には面白いものがありますけ ど、ストーリーがとってつけたよう。もっとなんで侵入し たのかとか、いろいろ設定をきちんと決めてから書いた方 がいいと思う。
でも、全体にちゃんとオチまで持っていった作品が多 かったですね。最低限の水準はクリアしてると思いまし た。
・文章の間隔が全然ないと何故か読みたくなくなる。普 段まどもな文献よんでないからでしょうけど(笑)読 む側の事も考えて書いてほしかった。中にはレベルの 高いテキストもあってなかなかよかったのではないで しょうか
・物語を作る能力のある人とそうではなく、いわゆるネタ一 発で勝負しようとする人との差がはっきりしていた。ネタ 一発で長い文章を持たすのは非常に苦しい。また、オチが 分かってしまうのも難点。 やはり「淡い桜の木の下で」が飛び抜けて上手かった。

【結果】

上位進出ならず。

75.ゲバ棒の中の青春 2003.04.06

神戸の大地震の前の年の夏、T君と私は、S大の学生運動セクト「S同K派」のBOXの遺跡に忍び込み、「部落解放」ヘルメットをかぶって写真を撮ったりした。そのBOXには何年も人が入っていないらしく、ほこりだらけだった。書類がたくさん残っていて、他の資料と合わせていろいろなことがわかった。このセクトは革マル派と敵対していたこと、その数年前にHという女性が逮捕されて滅んでしまったこと、彼女はその凶暴さから他セクトに恐れられていたらしいこと等である。ほかにも驚くべきことが明らかになった。あの《 》思想研究家の講師に対するインタビュー記事が、彼らの機関誌から発見されたのである。

《 》思想とは、すべてのものをカッコでくるむという(?)思想である。S大のある講師が唱えたものだ。その講師は《 》思想に基づいて、壁や屋上のあちこちに《 》マークをペンキで書き殴って回ったり、学内でたこ焼きを売ったりしたので、解雇されてしまった。ところが、彼は自分の部屋を手放そうとしなかった。業を煮やした学校は、部屋のドアを塗りつぶして壁にしてしまった。それ以来、その部屋は外から見たらあるのに中から見るとない、不思議な部屋になった。彼はその後も学校で、自分の主張を訴える機関紙を配っていたという(ただし、内容は意味不明)。ペンキの字はずっと後まで残っていた。

彼は学生運動に理解を示したらしいのだが、その理解が《 》思想に基づくものだったので、記事は珍妙極まるものとなっていた。

ずっと後になってから、自分の学校の寮の友人の部屋に行ったとき、同室者(寮なので1部屋に2人で住んでいた)の人と喋っていてなぜか学生運動とセクトの話になった。すると彼は「Hって知ってる?」ときいてきた。なんと彼は以前S大にいて、まさに逮捕されて暴れる彼女の姿を見たというのである。世間は狭いものだなあ、と感動したものだ。

【字数指定なし】

【参考】T君の文章(名前など一部改変)

革命思想

私は所謂左翼と呼ばれる人々に興味を抱き、革命を目指す彼らの行動、生態を観察した時期がある。彼らの行動を理解するために、立花隆著「中核V.S.革マル」を読んだのを皮切りに、連合赤軍犯人の自伝や全共闘の写真集、体験談などを貪るように読んだ。

私のいた大学のK学部には革マル派の人々がよく出没していた。革マル派は正式名称をマルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派という。神戸小学生殺人事件について、犯人逮捕後に権力の陰謀による冤罪説を主張し、健在ぶりを見せてくれた事は記憶に新しい。彼等と彼等に敵対する民主青年同盟(民青同盟)の論争は第三者から見れば蝸牛角上の争いと言えるが、当事者にしてみれば全人格を賭している。学内に現存する革マル派、民青同盟に加えて、かつては社会主義青年同盟解放派(社青同解放派)というセクトがあり、三つ巴の対立闘争を繰り広げていたらしい。K学部の随所にある闘争の跡から当時の模様を推察できる。解放派は神社を焼き討ちし、学生寮に住む革マル派のO氏を鉄パイプ襲撃するなど、激しい闘争をしていた。革マル派のO氏は私が入学した頃はまだ第II課程の学生として在籍していた。「革マル派Oを殲滅したぞ!」という古びたビラもK学部に残っていた。当時のO氏は二十八歳、何年も留年していた。

K学部B110教室の裏には解放派の本拠地が残っていて、私は何度かそこに侵入してみた。解放派は学内では部落解放研究会(解放研)として行動しており、あろう事か大学公認団体で、内線電話まで引いていた。そこはまるでタイムトンネルのような所であった。天井に大きく「団結」の文字があり、機関紙、対立するセクトについての資料、古い輪転機、ヘルメットなどがあった。敵の急襲に備えて窓にはすべて金網が張られ、入り口は本棚やロッカーで狭く、入り組んでいた。解放派の学内における最後の代表者はHという女性で、かつてその人が使っていたと思われる女物の筆箱と折り畳み傘も残っていた。Hこそが革マル派のO氏を鉄パイプ襲撃した人物である。女性ながら恐ろしいものである。K学部のトイレに「解放研=解放派・Hによる住吉寮長O君襲撃を怒りを込め糾弾する! 青ヘル姿でO殲滅は偉大なる戦果と宣伝するHは…(以下不明)」というビラが残っていた。

とにかく、我々の世代とは縁遠いものと考えていたゲバ棒の青春が身近な所に残っていたのだった。この部屋は2年ほどして何故か施錠されてしまった。何度目かの侵入の際に「部落解放」と書かれたヘルメットを失敬したが、今となっては貴重な財産である。プレイボーイが平凡パンチを失ったように、革マル派も解放派を失ってしまった。今の敵の民青同盟は所詮は共産党の傀儡でしかない。解放派と革マル派の熱き闘いを是非この目で見たかったものである。

前述のB110教室で自主解放講座を開いた造反教師松下昇氏が、一昨年他界した。松下氏はK学部A棟4階にある開かずの部屋を使っていた人である。学生運動吹き荒れた時代は、学内における有名人であった。廊下に「永続するS大闘争」「六甲空間は世界を包圍する」といった落書きが数年前まで残っていたが、これも松下氏の仕業である。彼は造反教師として学生と共に大学当局と闘い、その象徴としてB110の前の広場で蛸焼きを売ったりした。学生には人気があったという。M棟の屋上に〈 〉マークが多く書いてあったが、これは松下氏の全ての物をカッコで括るというイデオロギーの表われらしい。松下氏は大学を免職になった後もたびたび部屋に出入りしたため、大学当局は部屋を封鎖してしまった。以来二十年、松下研究室は開かずの間となったのである。だが松下氏はなお研究室の使用権を主張し、私が国際文化学部にいた頃は時々部屋に来ていたようである。ドアに封筒がつけられてあり、松下昇概念集といったプリントがあった。前述の解放派のボックスにも、松下昇公演の記録が残っていた。オウム事件の際、ティローパ早川紀代秀がS大出身という事で、TV局が松下氏にインタヴューをした事があった。ここで私は初めて松下氏の声を聞いた。松下氏の死後、開かずの間は改装され、会議室になった。こうして松下氏の遺物は消えて行く。そして一時代を築いた松下氏の事も遠からず忘れ去られてしまうのだろう。冥福を祈りたい。

友人の大山氏が通っていたK大では革マル派は少なく、むしろ活躍しているのは中核派の人々である。流石に旧帝大だけあって彼等の活動は活発である。私の友人Oは大学でテストを受けているときに突然中核派の人々が乱入し、「君達、テストなんか受けている場合じゃないだろう。北朝鮮が侵略されようとしているんだぞ」と言われたらしい。北朝鮮に国連の査察が入る事で揉めていた時期である。同じ頃、私が大学で拾った革マル派のビラに「特別天然記念物的に学内に生息している権力の走狗集団=中核派断固として追いつめつつ…」というK大の同志からの報告が載っていた。一応K大にも少数ながら革マル派はいるわけだ。左翼の特徴として無謬主義がある。K大で革マル派は中核派に数の上で劣っているのだが、関係なくこのような強気な発言をする。互いに反革命と呼び合う両派の対立は根深く、既に何人もの犠牲者が出ている。思想を持つのは大いに結構だが、落命しては何にもならない。

革命思想とは無縁だが、このK大には革セー同ML派という団体があった。革命的セーラームーン主義者同盟ムーンライト派の略である。新左翼セクトとして社学同ML派(社会主義学生同盟マルクス・レーニン主義派)というものがあったが、恐らくこれを意識して作った名前であろう。知人によると、革セー同ML派は中核派の人々で、かつセーラームーンが好きだという人によって構成されているという説があるらしい。だとすれば前時代的な革命思想と現代アニメーションの奇妙な融合である。

ゆえあって八丈島の南約七〇キロの青ヶ島という島に渡ったとき、元革マル派の闘士で今は自然主義に落ち着いた人に出会った。青ヶ島は東京都には属するものの、週数便の八丈島からの連絡船を頼りに生きる孤島である。彼は早稲田大にいた頃の闘争や解放区を作った話を聞かせてくれた。留置所にも何度か入った事があるらしい。そして革マル派の結党当時の指導者で今も思想的中心である黒田寛一、今はユダヤ陰謀史観に陥っている太田龍などの高名な思想家とも面識があり、当時の闘争の様相を問わずがたりに語ってくれた。彼は今、革命思想を捨てて孤島で農業を営んでいるが、元革命家と聞いても印象にそぐわぬ、温和な人であった。「気障な言い方をさせてもらえれば、人間は土と離れたら生きていけないんだ」こう語る彼の瞳には何か強い意志が宿っていた。よもや絶海の孤島で革命の話を聞けるとは思ってもいなかった。本当に貴重な経験をしたものである。

この他、先日出所した神戸在住の孤高の闘士奥崎謙三や、友人Tが所属していたゼミにいる世界統一政府思想を持つ男など触れたい話題はあるが、彼らについて書くと余りにも長くなるので、割愛させて頂く。

それにしても六〇年代後半から七〇年代とは何と魅惑的な世界であろうか。革命に限らず、フォークソング、文学、漫画、劇画なども珠玉の作品が多く生まれている。まさに昭和文化の爛熟した時期と言えよう。この時代は私にとって限りなき憧憬を抱かせる。三畳一間の小さな下宿に住み、無精髭と髪を伸ばして学生集会に出かけ、学生街の喫茶店で恋愛や思想を語り合い、二十歳の原点を認識する事は我が野望の一つであった。最早見果てぬ夢となってしまったが。

革命、それはいつの時代も若き命を燃やす対象となるようだ。

74.あふれ出る想い 2003.04.05

「シスタープリンセス(略称「シスプリ」)」というゲームがある。公式ページ(http://www.mediaworks.co.jp/gamers_s/sispri/sis01.html)によるとこういうゲームだ。

ある日突然、あなたに12人もの妹ができたらどうしますか?
それも……とびっきりかわいくて
とびっきり素直で
とびっきり愛らしくて
とびっきりの淋しがりや。
しかも、そのうえ……
彼女達はみんなみんな、とびっきり!
お兄ちゃんのコトが大好きなんです……

でも、残念なことにお兄ちゃんと妹は
現在離れ離れに暮らしていて……
実際に会うことができるのは、
2ヵ月に1回と決められた“お兄ちゃんの日”だけ。
大好きなお兄ちゃんと自由に会えない妹は……
さみしくて、いつもお兄ちゃんのことばかり想ってしまいます。
「神様……どうか、早くお兄ちゃんに会えますように
私の大事な大事なお兄ちゃん……会えないでいると……
淋しい気持ちでいっぱいになっちゃうよ……」

だから、ようやく2ヵ月に1度の
「お兄ちゃんの日」がめぐってきて……
2人が会えたときには、
妹は世界中の幸せを独り占めしたみたいに、
とってもとっても……幸せ
もちろん兄妹なんだけど、気分はまるで楽しいデート!
そして妹は、お兄ちゃんのそばにぴったりくっついて……
心配そうにお兄ちゃんの顔をのぞき込み、
こう……言うのです。
「お兄ちゃんは……私のコト、好き?」

妹達はちっちゃい頃からずっとずっと
ただ純粋にお兄ちゃんのコトが大好きでした。
やさしくってステキで世界にただ1人、
自分だけの大切なお兄ちゃん……。
だから、いつもいつもお兄ちゃんと一緒にいたくて、
いつもいつもお兄ちゃんにかまってほしくて……。
ここに登場するのはそんな素直な女の子達……。
外見も性格もちがう12人の妹達ですが、
想いだけはみんな同じ……そう
「……お兄ちゃん、大好き!」

「法の華」風の言い方をすれば「頭ひとつ取らないと」できそうにないゲームである。

しかし、このゲームの虜になった人間が全国に数万人おり、「俺こそが本当の兄だ!!」と熱い戦いを繰り広げているのはれっきとした事実なのである。その「戦い」のあるものは主にインターネットの掲示板上で行われている。いかに自分 こそがふさわしい「兄」であるか…ほとばしる想いをキーにたたきつけあうその「戦場」は、まさに妄想幻魔大戦と呼ぶにふさわしい修羅場と化している。「妹」たちが架空の存在であり現実的な「見返り」が期待できない以上、自分がほかの者たちより優れていることを示すには、自らの想いがどんなに熱烈なものであるか、ひたすら書き連ねるしかないのである。

その中でも特に熱い書き込みがこれだ。

104347. 2002/01/16 00:59:12 『熱い想い』てのはこーゆーのを指すんだよ皆の衆!! XXXXX(XXX
〜亞里亞について〜

我が最愛の妹にしてお嫁さん。
どこがいいのか?と問われても困る。全てだから。存在自体が罪。
どんな行動を起こそうとも、どんな発言をしようとも、俺が受け止める。
最近「亞里亞が嫌い」などと野賜る不届き者もココには存在するが、そんなのは無視。亞里亞の精神衛生に関わるから排除。
むしろその方がありがたい。兄や・姉やが減れば、俺だけの妹になる。

勿論亞里亞と血は繋がっている。
それでも「お嫁さん」にするのである。
ゲームみたいに「非血縁」という選択肢は必要ない。
血が繋がっていようとも、愛は血縁など軽く超えてしまうから。
背徳感もたまらない。

ここまで思える奴はそういないだろう。
ゲームやアニメからハマった兄達には、そうそう出来まい。
誌上ゲームだけだった時代から亞里亞一筋な俺は伊達じゃない。
妄想だけで成り立っていたあの時代を経験していない兄達に負ける気などしない。

俺はすべての障害を排除して亞里亞と一緒になる。
文句ある奴はかかってこい。全て蹴散らしてやるから。

そして・・・俺と亞里亞『だけ』の世界を創りあげる。


☆喧嘩売ってマース☆>ALL(滅


てか管理者削除喰らわないか兄やドキドキです!(爆死

太古、言葉とは叫び声であった。痛み、悲しみ、喜びといった、「あふれ出る想い」をやむにやまれず音として噴き出させたのが叫び声だ。人に感動を与える文章がよい文章だとするならば、この書き込み こそそう呼ばれるのにふさわしい名文であると、私は考える。掲示板の書き込みの勢いがすごすぎて、ほとんどほかの者の書き込みを読む余裕があるとは思えないのに「書かざるをえない」想いの強さ。ここには言葉の本質…「叫び」に限りなく近い「何か」…がある。一行は何字におさえよ、とか、語尾は同じのを繰り返すな、といった小手先のテクニックに拘泥するのではなく、

「人は何のために書くのか?」

「何がそれほどまでに人を動かすのか?」

といった本質にこそ、思いをいたすべきである!

------

考えるな。感じるんだ!

−−ブルース・リー(「燃えよドラゴン」より)

【字数指定なし】

73.虫 2003.04.04

虫はどうやって動いているのか?

虫の体を割った人なら知っているだろうが、いかにも立派な殻の中には何やらドロドロしたものが入っているだけだ。死んだ虫の体はからからに乾燥して何も入っていない。ということは、あのドロドロが虫を動かしているのではないか。あのドロドロを集めてプラモデルに詰めたら動くのではないか。

ガンプラだろうとリカちゃん人形だろうと本当に生きて動くのだ。素晴らしいことではないか。

もっとも、いくら外見がガンダムやリカちゃんであっても、中身は虫なのだけれど。

【字数指定なし】

72.トリカブトも考えた 2003.04.03

1998年7月27日、うちに来た新聞の折り込み広告がなかなかすごかった。

ひざ痛がピタッ
これは不思議だ?驚いた!と
試した皆々さんが大喜び
[論より証拠] 効果は貴方自身の体が証明します

一枚が五百円の気功シールを衣服の上から数枚貼るだけで
長年の病院通いやクスリに頼っても治らず
ン拾万円もする電機治療器や健康食品に
すがってみたがダメだったと云う方でも
ひざの関節痛・腰痛・座骨神経痛位なら
3分以内にピタッと消えたり、一気に軽減すると証言する方が続出中です

◎衣服の上に貼って痛みが消える気功シールは他にはありません

気功シールは治療院が長年の研究の末、開発した世界的発明品です

判り易いイラスト図解書付き

X型気功シール 四週間用 24枚セット 1万2千円/送料・税別

あなたは、一生を痛い痛いと苦しみながら過ごす人生と

痛みのない健康な人生のどちらを選びますか?

中高齢者の老化現象に伴う足腰の痛みに、プロ治療師も驚く即効性を発揮する事実を無視できますか?

世界一の長寿国・日本ですが、足や腰の痛みで苦しみながら長生きしても楽しい筈がありません。一日でも一刻でも早く痛みと決別して下さい。

裏面には「プロも驚く・気功シール体験談話集」という、体験者たちの怪しすぎる「喜びの声」がいっぱい載っている。その中でも一番インパクトのあったものがこれだ。

トリカブトも考えた

弘前市 鈴木 ○や さん 69才

腰から足にかけての激痛で、日常の生活行動もままならず、炊事、洗濯とご近所のボランティアさんに助けられすっかりお世話になっていた私です。

実のところ、あまりの苦しさ、痛さに裏庭のトリカブトを、何回飲もうかと思った事か…。

手提げ袋には常に荒縄を忍ばせ、枝ぶりのよい木を捜した事か…。

激痛に苛まされている私が、たった一枚のチラシ広告に助けられた、と云っては過言でしょうか?

あの日「解×院さん」のチラシを見ていなかったら今頃どうなったか?

それにしても不思議ですね。私には奇跡が起きたとしか考えられません。

健康って本当にいいですね…。

この怪しい広告を出している「解×院気功療法治療室」は、宇都宮にあるそうである。

ところで、気功師といえば思い出すのが演歌「気功師一代」である。学生の頃、京都で銭湯に行ったとき、サウナの有線放送で奇妙な歌詞の歌が聞こえ始めた。正確には、覚えていないが

「病に苦しむ人たちを〜助けるために気を練るぞ 気功師・一代ぃ、 男だぜ〜」

というような歌だった。

【字数指定なし】

71.どんな仕事でも前向きに 2003.04.02

昔大学を受験したとき、「麻原彰晃研究会」が「STEP TO 真理」という冊子を配っていた。他の人はすぐ捨てていたようだが、私はなんとなく持って帰り、しまっておいた。このあいだそれが出てきたので読み返してみると、巻末に「地下鉄サリン事件」で有名になったあの林泰男が文章を載せていた。内容は、「信仰のおかげで主任に昇進できました」というものだった。以下引用。(「STEP TO 真理」1992年8月1日初版、8月20日第2版)

※ビジネス成功! 林泰男/主任へランクアップ

オウム真理教に入信以来、コツコツと修行していたら、徐々に性格的に解放されてきて、どんどん明るくなって、自分を表現できるようになってきました。そして、次第に自分の生き方に対する姿勢も積極的になってきて、どんな仕事でも前向きにこなすことができるようになったのです。

その結果、会社からは信頼され、平の社員から主任へとランクアップしました。当然給料も上がり、その上、何かと自由に仕事をさせてくれるという特別待遇をしてくれるようにまでなったのです。

入信から一年も経たないうちにこの変化。いきなりやってきた”棚からぼた餅”のようなこれらの変化に、自分ながらあっけにとられています。(東京都 三十歳)

地下鉄で毒をまく仕事も前向きにこなしてしまったのだろうか。

【字数指定なし】

【参考】表紙 記事

もどる トップ