ハイリハイリフレ背後霊過去ログ21〜30




30.スカッとさわやか 2003.02.14

私が浪人の時に、予備校の友人がしていた話である。

志望大学の学祭の見物に行った彼は、ある教室に入った。そこでは、合成着色料やその他の食品添加物の危険性についての展示がなされていた。

「へーこわいなー」

などと思っていると、一人の男が近づいてきた。男は化学物質の恐ろしさについてひとしきり喋った後、ジュースの入ったコップを二つ持ってきて彼に中身を飲ませた。そして、片方のコップを指して

「どうです、こちらのほうがさわやかな味がするでしょう?」

とたずねた。彼は、そう言われればそうかなあ、と思いつつ、ふと今まで目を向けていなかった部屋の隅の方を見た。そこには、ジュースのペットボトルに向かって一心不乱に手をかざし、念を送っている人がいた。

【字数指定なし】

29.ヘブライ10・25 2003.02.13

私が以前住んでいた下宿の、向かいの部屋の人はじつに怪しい人だった。ある日、その人が紙の束をひもでくくって捨てていた。見ると、「目ざめよ!」とかいうタイトルの冊子が大量にまとめて縛られていた。

どうやらその人はある教団から足抜けしようとしていたらしく、連日ドアに手紙が貼られるようになった。帰ってきてくれ、とか、待っています、という信者仲間のメッセージに混じって

ある人々のように集会を怠ったりせず、むしろはげまし合いましょう。(ヘブライ10・25)

という聖書の一節が書かれた紙が混じっているのが奇異だった。本人はいつも居留守を使ったり出掛けたりしていたようである。私自身が引っ越してしまったので、それからどうなったかは知らない。

【字数指定なし】

28.人面牛と牛面人 2003.02.12

高校のころの友人の話である。

ある日、彼が道を歩いていると目の前に本が差し出された。反射的に手にとって見ると、ラマ僧のような人がいた。逃げだそうとすると、「逃げなくていい」と言って止められてしまった。

「きみ高校生?大学生?」

「高校生です」

「受験勉強で絶望したりすることもあるんだろう。そんなときはこれを読みなさい」

そして僧はお布施を要求し、彼は払わざるを得なかった。本には「あなたは死んでからあなたの食べたものになる」とあり、牛の顔をした人が人の顔をした牛にむかって斧を振り上げている絵が描いてあった。

【字数指定なし】

27.五筆和尚 2003.02.11

歴史家というのは見てきたような嘘をつくものである。それは今にはじまったことではない。昔から、歴史の本には「えーっ?」と言いたくなるようなものが多くある。

さて、「水鏡」という昔の歴史の本がある(今回は岩波文庫版を使用)。「エ、ダイコンミズマシ」(栄華物語、大鏡、今鏡、水鏡、増鏡)という成立順序の覚え方をした人もいるかもしれない。四鏡の中で神武天皇から仁明天皇までの部分を描いたところである。ここで取り上げるのは、第52代・平城天皇の章で、弘法大師はとても字がうまかった、という話である。

(原文)
 同二年十月二十二日に弘法大師唐より帰り給ひき。東寺の仏法、是より伝はれしなり。(中略)御手並びなく書かせ給ひしかば、唐にても御殿の壁の二間侍るなかに、ぎ之といひし手かきの物をものを書きたりけるが、年久しくなりて崩れにければ、又改められて後、大師にかき給へと唐の帝申し給ひければ、 五つの筆を、御口、左、右の御足、手にとりて、壁にとびつきて、一度に五行になん書き給ひける。

(大意)
 延暦2年10月22日に弘法大師は唐から帰国した。これが真言密教が日本に伝わったはじめである。(中略)大師は、比べるものがないくらい字がうまかった。それで、こんなエピソードがある。唐の、宮殿の壁が2間あったところに、王ぎ之という書道家がものを書いていたのだが、この壁が古くなって崩れてしまった。壁を修理した後、唐の皇帝は大師に字を書くように頼んだ。そこで大師は、 口と両手両足に5本筆をとって、壁に飛びついて一度に5行字を書いたという。

「坊主が上手に五行同時に字を書いた」まではいい。だが、両手両足がふさがった状態でどうやって壁に書いたのか。どうやって壁に「飛びついた」のか、非常に気になるところである。

まだ続きがある。

(原文)
 この国に帰り給ひて、南門の額は書き給ひしぞかし。さて応天門の額をかかせ給ひしに、上のまろなる点を忘れ給ひて、驚きて、筆をぬらして投げあげ給ひしかば、その所につきにき。見る人手をうち、あざむこと限なく侍りき。

(大意)
 日本に帰ってきてから、大師は京都の南の門の額の字を書いた。「応天門」という額だったのだが、「応」の字の上の点を書き忘れた。額を門の高いところに取り付けてからそのことに気づいた大師は、筆に墨をつけて投げた。すると、ちょうど点が足らなかったところに命中した。見物人は拍手をして大騒ぎした。

そもそも、「応天門」の「応」の字の上の点だけ書き忘れるなんてことがあるんだろうか。ダーツが上手だという自慢がしたくて、わざと額が飾られるまで気付かないふりをしたとしか思えない。

古文は読みにくいから敬遠しがちだが、ときどきこういう変な発見があるので面白いと思う。

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私の日記より

2000年4月21日(金)

待ち時間の間に東寺見学に行く。縁日みたいなイベントをやっていた。宝物館で「両手両足と口で五行同時に字を書く空海」の絵を発見。大真面目にイラスト化しているあたりがおかしい。本当にありがたいと思って描いたのか!?曼荼羅下敷き(金剛界・胎蔵界、一枚300円)を購入。

2001年12月8日(土)

次に、西山君と一緒に八条の東寺に向かった。宝物殿の「両手両足口で同時に字を書く空海」の絵を見るためである。しかし、苦労してやっとたどり着いたのに宝物殿は閉まっていた。次の公開は3月20日からだそうだ。いちおう土産物店の写真集をチェックして、同じシーンを描いたほかの絵を見つけたが、宝物殿のものの奇天烈さには及ばず、残念なことであった。例の絵は明治時代以降に描かれたものなので、あんまり貴重だとは思われていないのか写真集には載っていないのである。ああ。だがいつかまたここに来てあの絵をみたいものだ。

2002年1月10日(木)

五筆和尚の実験を年末にやってみた。マーカーを両手両足と口にセットし、台の上に乗ってホワイトボードに字を書くのだ。かなり無理な体勢にはなるが、書けないことはない。しかし、両手両足はともかく、口が届かん!こんな状態できれいな字を書いた弘法大師は本当に偉いと思った。
ところで、エスパー伊東の超能力で「五筆和尚」というのがある。エスパー伊東にはできるらしい。ぜひ一度見てみたいものである。

口にくわえる筆を長いものにすれば、5行字が書けたかもしれない(もっとも、うまく書けるかどうかは別の問題である)。ダーツの実験もやってみたいが、いまだに機会がなくてできていない。残念である。

【字数指定なし】

【参考】資料1(五筆和尚)資料2(ダーツ)資料3(実験)

26.君は円盤を見たか 2003.02.10

平成10年9月20日(日)、大阪の古本屋「まんだらけ」で面白い本を見つけた。フレーベル館のナンバーワン・ブックス「空飛ぶ円盤 UFOの正体」(荒井欣一監修、昭和49年12月初版、昭和50年4月第二版)である。

昔はやった「ひみつ大百科」の類で、コンテンツは次のようなものである。

  1. 「レイノードさんが見た! UFO地底基地のひみつ」
    (石原豪人の絵物語のような怪しい絵説き読み物)

  2. 「ぼくは円盤をつかまえたぞ」
     1972年高知県で中学生が小さな円盤を捕獲したうえ、開いている穴から湯を注いでみた、という話。

  3. 「ぼくらとそっくりな宇宙人 日本人コンタクター松村さんのあった宇宙人」
     松村さんという人が外人に呼び止められ、テレパシーで「私は宇宙人です」と知らされたという話。

  4. 「君だけにおしえる これがUFOだ」
     「スタジオぬえ」による円盤の内部図解。

  5. 「ユリ・ゲラーの超能力はUFOのプレゼント」
     タイトルのまま。時代を感じさせる。

レイノードさんとは何者なのか?なぜよりによって湯を注いでみようと思ったのか?なぜ円盤内部のメカをそんなに詳しく知っているのか?

非常に興味深い記事が満載であるといえよう。

しかし、なんといってもすばらしいのは前の持ち主による落書きである。終わりのページに「UFO記録表」という読者のためのフォームがあるのだが、なんとここに円盤目撃情報が書かれているのである。当時の小学生によるUFO遭遇の記録が100円で手にはいるとは、古本屋を回っていて良かったと思うのがこういう時である。

(以下引用、ただし選択式の設問の場合は答を【】で別記した)

* UFO記録表 *

☆君の名前(しゅういち)男・女【

住んでいる場所(八尾市山城

君の学校(用和

君の年()才(42 27日生まれ)

☆目撃した日(5011日)

☆目撃したときの天気

(1)晴れ・くもり・ややくもり・雨・雪【ややくもり

(2)目撃した時(

太陽は君の(前・後ろ・右・左・上)だった。【前・右

(3)目撃した時(

星は(でていた・たくさんあった・でていなかった)【(記載ナシ)】

☆その時の君の行動

(歩いていた・室の中にいた・車の中だった・船の中だった・飛行機の中だった)【 歩いていた

☆場所

(山の中・海辺・街の中)【街の中

☆人数

)人で見た

☆目撃時間

)時(15)分(55)秒

☆目撃方向

(南・北・東・西)【

☆どのように見えたか

(光の点・固体として・すきとおって)【光の点

どんな飛び方をしたか(ふらふら

その大きさは (たて26cm

その型は(どせい)型

スピードは(100きろ

色は(もも

☆UFOの数は(10)機

「しゅういち」君ももういい年だと思う。よかったらビールでも飲みつつ、縦26センチで100キロのスピードで飛ぶ桃色の物体について聞かせてほしいものである。

【字数指定なし】

【参考】資料

25.一斗缶持った変な人 2003.02.09

米が不作でタイから輸入していた年のことである。友人の武田が変な年賀状をもらったといって、私にくれた。大学の、彼が入っていたクラブの十五代ほど前のMという先輩かららしいのだが、どうもおかしい。何かの厚紙を切り抜いた葉書(全然関係ない印刷が残っている)が、ミミズがのたくったような字であふれている。宛名の下の

○○○○の18代三浦は電子です。
セルラー万才!と云う以外あまり勉強してない

という謎の言葉と、ぐじゃぐじゃとした落書きみたいなペンの痕が期待させてくれる。で、裏の本文なのだが、こんな内容である。

外米は麦と同様水より重い過酸化物も
多いようなので、ザルやらストレーナーで洗い
落すのがよいようです、いろんな調味料
がつかえますから…味にかんしては料理
人のうでしだい。180年にいっぺんの不作ですから…
赤しょんのでる除草剤とか近眼になる殺虫剤を
駆使してこさえたお米となら外米でもくえればOK
のたれ死にの予行えん習は2回…
行倒れは、復学以後おぼえてるだけで4回
まー生きておりますので悩むことはない。
逆順交互の深長の手順万才!のハレルヤ
寒い所でクムバクはいらない。禅の歴史
1日1食もままならない貧乏が一番安全なんや、などとひらきなおり
忍辱万才!アーモンド万才!黒の洗い胡麻万才!野菜も万才!

武田の所には郵便で来たのだが、多くの者のところには切手なしで来たそうである。

「ねえ武田君きのう私んち来た?」

「なんで?」

「こんな葉書が来てね、外見たら一斗缶持った変な人が廊下の角曲がっていくのが見えたの」

「なんで俺やねん!」

同様のことはその後もときどきあったという。資料のいくつかは私の手元にある。

【字数指定なし】

【参考】資料1(宛名)資料2(本文)資料3資料4

24.大事なことなんです 2003.02.08

私の知り合いは大学の文学部で「仏教学」というのを専攻していた。研究内容に惹かれるのか、研究室には不思議な人たちがよく現れたという。「教授の部屋の前で座禅を組む、英語しか喋らない日本人」や、我々の知らない「正義」を信じて戦っている人。そして、当時まだ合法だったオウム真理教の人たちも来た。

助手の人に彼らは質問してきたという。

「『スーリヤ』と『スールヤ』では、どっちが正しいんですか?」

太陽の神Suryaというのが、インドの神話には出てくるのである。

「どっちでもいいんですよ。外国語をカタカナで表すのにそもそも無理があるんです」

しかし彼らはあくまで真理に固執した。

「いや、でも、どっちか、といえばどっちですか?
 …大事なことなんです!」

それから数年後、あのオウム事件があって彼らは姿を見せなくなった。今思えば、もっと大事なことが他にあったんじゃないかと思う。

【字数指定なし】

23.諸葛孔明の生まれかわり 2003.02.07

昔、オカルト雑誌「ムー」の投稿欄「ムー民広場」にはこんな記事がいっぱい載っていた。

ムー、キャラ、ミアイという名前に聞き覚えのある方。竜族の民、天使、火星の民の方。連絡ください。ハルマゲドンが近づいています。私は戦士です。本当にもう時間がないのです。

私の知り合いのYという男が以前、こんな話をしていた。

高校にいた頃、Yの友人でちょっと変わった男がいた。ある日Yがその友人の家に遊びに行ったところ、部屋の本棚が雑誌「ムー」のバックナンバーや、怪しいオカルト本で埋まっていた。「なんだこれは?」と思っていると彼は床のシミを指して話し始めた。

「ここに『敵』の軍勢を封じ込めた」

なんでも彼は「竜族」の一員で、『敵』の「魔族」と戦っている最中なのだそうである。今は『敵』が優勢なのだが、こちらは負けないだろう。「諸葛孔明の生まれかわり」が指揮をとっているからだ。

Yはただあいづちを打っているしかなかったそうである。

【字数指定なし】

22.革セー同 2003.02.06

革セー同ML派

私の学校には運動家の人たちがいて、自分たちの新聞を壁に貼っていました。「武装し、たたかう革共同の機関紙 前進を読もう」というのがその壁に書かれていた文句でした(今は少し変わっている)。数年前別の場所にそっくりなものが現れました。初めは「ああ、あれか」と思っていたのですが、よく見ると違うものであることがわかりました。「変身し、たたかう革セー同の機関紙 月光を読もう」・・セーラームーン愛好家の新聞ではないか!

彼らはその後も「革セー同ML派(革命的セーラームーン主義者同盟ムーンライト派)」の名で「セーラームーン断固支持!全ての学友諸君4.26集会に総力結集せよ!」とかいう感じのステッカー(あえて「ビラ」でなく「ステッカー」と呼びたい)をそこら中に貼っていました。しかし、中心メンバーが転向したのか、やがて見られなくなりました。

97/06/19(木)

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以上は学生時代にパソコン通信で書いたものである。これをアップしたところ、革セー同についていろいろ教えてくれる人が現れた。それによると、

その人がどういうわけか革セー同のステッカーをいくつか保存しており、文面を教えてくれたので以下に引用する。

(資料1)

T・K・T・T(*1)と連帯し、

全世界セーラームーン主義化を推進せよ!

○セーラームーン原作第3部−アニメ第4部突入断固支持!
○セーラームーン主義への思想的歪曲許すな!
○「六・二六」「一二・五」引き継ぎ、全世界セーラームーン主義化を推進せよ!
○全ての労学児(*2)は三・一五革セー同全国総決起集会へ集結せよ!

革セー同関西地方委員会

*1 武内直子・講談社・TV朝日・東映動画
 *2 労働者・学生・児童

(資料2)

われわれセーラームーン主義者・読者・視聴者、そしてセーラー戦士は初発的に警察権力とは非和解的な存在なのである。セーラーヴィーナスの闘いをみよ!セーラーヴィーナスはそのセーラーV(*)時代、ロンドン警察との安易な共同行動への深い自己批判からみごとなまでの反権力の主体形成を行なったではないか!

*セーラーヴィーナスは、セーラームーンたちの仲間になる前は「セーラーV」を名乗り、ロンドンで独自の活動をしていた。

【字数指定なし】

21.マンホールのふた 2003.02.05

私の友人(熊本出身)はバスマニアだった。鉄道マニアに比べるとかなりマイナーだが、とにかくそういう人はいるのだ。彼は、近くをバスが通ったりすると「あれは、いすゞの87年型のエンジンだな」などとつぶやいたりした。…ひょっとしたら「いすゞの87年型のエンジン」などというものはないかもしれないが、なにぶん私はバスについては濃くないので細かいことは気にしないでほしい。…私が「バスなんかどれも一緒に見えるがなあ」、ともらすと彼は目を剥いて言うのである。「何ということを言うのか!?一体どこが一緒なんだ、まったく!」

彼の下宿には「BUS MEDIA」という雑誌が並んでいた。内容は、何県のどこそこに行くとマニア垂涎のボンネットバスが!といったもので、素人には理解不能である。私がそれを読みながら「やっぱりよくわからんな」とつぶやくと彼は言うのである。「どうしてこんな面白いものがわからないのか、理解に苦しむよ、まったく!」

バスのことはよくわからなかったが、私は彼と気が合い、よく夜を徹して「ドラえもん」について話し合ったりした。それについて書いてもいいのだが、とんでもなく長くなるのが目に見えているからやめておく。

彼と趣味というものについて話していて、こんな話になった。マイナーな趣味は、それがマイナーであるほど、同志に出会った時のうれしさはすごいんだろうなあ、と。「薔薇族」とか「アドン」という雑誌を見ていると…別に見なくてもいいのだが…、「当方175×70。俺は兄貴タイプ。筋肉質の可愛い弟を求む。待ってるぜ。色白、デブ、長髪、オネエ不可」といった投稿が山のように載っているが、きっとそういう人同士が出会った時の感動はすごいのだろうと思う。

(余談だが、台湾ではその手の趣味のことを「同志恋」という。だから、大陸で「毛沢東同志」とか言ってるのはとてもおかしなことなのだそうだ。)

さて、ここに一冊の本がある。

「マンホールのふた 日本編」(林丈二、サイエンティスト社)

これは、おそらく日本でもめずらしい「マンホールのふたマニア」の人が書いた究極の趣味本である。マンホールの写真がひたすら続く。箸休め的に入れられる「マンホールの登場する映画」や「マンホールの出てくる唄」といったコラムが素晴らしい。

「あとがき」の一部を引用する。

東京オリンピックのために都内の道路が大改装されるまでは、まだ明治・大正時代の蓋もたくさんあったという話を聞いた。もう少し早く蓋に興味を持っていればと惜しまれるが、後の祭である。(中略)

読者が本書に載っている蓋を見に行っても、すでに無いこともあると思うが御容赦願いたい。(中略)

いつ改訂版が出せるかはわからないが、もしその機会があれば、マンホールの蓋の「定本」と銘打って出せるようにしたいと思っている。

この林という人はマンホールが好きでしかたがないのである。しかし、マンホールマニアはバスマニアよりも孤独だ。「月刊マンホール」などというものはない。いくら写真を集めたり歴史を調べたりしても、マンホール仲間に自慢することはできない。そこで、その情熱をもって作ってしまったのがこの本なのである。著者のマンホールに対する熱い思いが感じられる名著だ。

姉妹編に、「マンホールの蓋・ヨーロッパ篇」もある。オールカラーの豪華版だ。

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友人に武田という男がいる。サラリーマンなのだが、その彼に新入社員の女の子がこんなふうなことを話し掛けてきたそうだ。

「武田さん、マンホールっていいですよね!」

そしてマンホールのデザインとかそういったものの魅力について語り出すのだ。

武田は、「マンホールのふた」という、マンホールの写真を集めた本があったことを思い出した。

「まさかマンホールの写真なんか集めてるんじゃないやろな」

「いや、そんなに撮ってるわけじゃないですよ」

「いっつもカメラを持ち歩いてたりとかするのか?」

「いや、マンホールのためだけじゃないんですけど」

「持ち歩いてるんやないか!!」

そして今度は自分がとったマンホールの写真をいくつか見せてくれたそうだ。こういうものには資料がなくて困る、と嘆くので、武田は「マンホールのふた」を紹介してあげた。それから彼は、「京大の校内には古いマンホールがいろいろあって…」、と母校のマンホールについての話をした。

それから何日かたって、彼女が写真を持ってやってきた。そこには、見覚えのある蓋がたくさん写っていた。本当に京大にいって写真をとってきたらしい。まったく、世の中にはいろいろな人がいるものだ。「まさか『マンホールのふた』なんて本が役にたつことがあるなんて思わなかった」と武田は語っている。

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