ハイリハイリフレ背後霊過去ログ210〜220 |
220.アーメン | 2003.09.10(9.14改訂) |
私の知人が、一時期人生に悩んでいたことがあった。ある日大学の生協食堂で「聖書を研究するサークル」に勧誘された彼は、なんとなく誘いに乗って仲間に加わることにした。
サークルの勉強会は毎日朝早くからあり、サッカーなどの各種イベントもあるので眠くてたまらなかったが、真面目な彼は一生懸命出た。その過程で、いろいろと疑義もあったのだが、まわりの人たちに問いただしても
「君も『あの方』に会えばわかるようになるよ」
と言われてばかりで、なんだかよくわからなかった。「あの方」というのは「山にこもって聖書を2000回読み」この団体をはじめた韓国の牧師らしい。(なお、韓国系とはいえ、この団体は統一教会ではない。)
また、ときどきいなくなる人もいたのだが、それらの人について聞くと
「あの人は躓いた」
という答えが返ってきたそうである。
後に講義ではどんなことを聞いたのか、ノートを見せてもらったところによると、次のようなことが書いてあった。
「アブラハムからキリストまで…旧約
キリストから現代まで…新約
2000年頃、成約の時代が来る
大きな変革がおきる」
「地球がとまったことがある
NASAもそう発表した」
「現代の人間は物質文明に溺れ、精神的な物をないがしろにしている
これはデカルトの二元論に期限がある
科学の絶対視…科学信仰」」
「ヒトラーがユダヤ人を殺したのではない
神がヒトラーを通じてユダヤ人を殺した
ユダヤ人はキリストを殺した報いを受けた」
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彼がこの団体を抜けたのは、次のようなことがあってからだった。
いよいよ、彼も勉強が進んできたということで、「あの方」に会うことができることになった。会場に行くと、何百人もの信徒がいて、大変な熱気であった。「あの方」は、想像とは違って普通のおっさんのような人だった。「あの方」は説教の中で、次のように語った。
「このあいだ日本がサッカーで勝ったでしょう。これは私の祈りのおかげなん です。私がテレビの前でうとうとしていて、はっと目を覚ますと日本が負けてい た。そこで私は祈りました。すると、日本は勝ったのです」
当時、日本がサッカーでかなり上位になったことがあった。スポーツにうるさい彼は、もちろんその試合を見ていた。祈ったから勝ったなんて…という思いは当然湧いたのだが、そこで「あの方」は畳み掛けるように言った。
「信じますか!!」
すると、信徒たちは一斉に叫んだ。
「アーメン!!」
【字数指定なし】
219.ねはんでまつ | 2003.09.08(9.14改訂) |
F氏は中高一貫の男子校に通っていた。F氏が高校にいた頃、中学1年の男が飛び降り自殺した。
事件の次の日、中学の生徒全員が講堂に集められたので、事件のことを公式に発表するんだろうという噂が広まった。ところが現れたのはこの学校出身の折り紙名人であった。名人は鶴の折り方を教えるというので、千羽鶴を作るつもりかと皆思った。ところが名人は
「普通の鶴じゃなくてはばたく鶴を作ります」
と言ってパタパタ鶴を作りはじめたので、皆拍子抜けした。
ずっと後になって、自殺した男の両親が九州からやってきて、こういうことがもうないように、と言って皆に鉛筆を配った。ここまでは確実な情報らしい。
さて、この学校は中学と高校が離れたところにあり、学校も特に高校の生徒たちにはこの事件について伝えなかったので、情報が伝わってくるまでにはしばらくかかった。伝聞の伝聞という形を取るうちに、話は次第に変容した。
F氏が聞いた話によると、
「中学の生徒が飛び降り自殺した。遺書は文章をアルファベットで一文字ずつずらした暗号で書かれていた」
ということである。
◆飛び降りた高さについての諸説
6階説・13階説・21階説の三つがあった。実際は14階からだといわれている。
◆自殺の動機についての諸説
「京大に行くには成績が思わしくなかったからである」
公にはこのように説明されているが、死んだ男はまだ中一であり、この理由はやや不自然だと言われている。
いじめによるもの、というもっともらしい説もあるが、実際にはいじめる側だったらしいので怪しい。
「口の悪いある教諭が『シネ!!』と言ったから死んだ」
というふざけた説もあったが、案外これが近いかもしれないと言われている。自殺のすぐ前に、この男は学内の自動販売機で100円玉を偽造して使ったのがばれ、大変強く叱られていたらしいからである。ちなみにこの教諭は
「目噛んで死ね」
「死んでこい」
といったことをわめく口の悪さで有名だったが、この後おとなしくなった。もっとも、しばらくすると元に戻ったらしい。
◆遺書の内容についての諸説
「ヘイファーザー、俺は先にパラダイスで待ってるぜ」
他さまざまな説があったが、いずれも胡散臭い。そもそも遺書があったかどうかも疑わしい。
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この事件を題材にしたポエム・小説などを作った者もいたが、内容はつまらなかった。
【字数指定なし】
218.糸こんにゃく | 2003.09.07 |
予備校にKという男がいた。
ある日、Kは夕食ですき焼きを食べた。次の日、便所から出てきた彼は、なんだか「拭き足りない」気がして気持ちが悪かった。それで、パンツを下ろして母親の鏡台に尻を写してみた。すると、後ろから紐のようなものが出ているのが見えた。
おそるおそるちり紙でつまんで引っ張ると、紐がずるずると抜けた。それは、昨晩食べた糸こんにゃくであった。その後彼は糸こんにゃくをしばらく食べなかった。
【字数指定なし】
217.オズの魔法使い | 2003.09.06 |
T君の中学時代の同学で、「オズ」と呼ばれている男がいた。この男は、小学校の図書館にあった「オズの魔法使い」の本を期限が来るたびに返してはまた借りるということを繰り返しつづけ、また、一年から六年までの間読書感想文は「オズの魔法使い」のものしか書かなかったため、このように呼ばれるようになった。
オズは中学に入ってから、「自分の短所を書け」という課題が出たとき「足」と書き、先生に呼び出された。先生はふざけるなと怒るつもりだったらしい。しかし、オズにはまったくふざけた様子はない。やがて先生は、オズが「短所」という言葉を本気で「短いところ」だと信じ込んでいるらしいことに気付いてあきれ果て、怒るのはやめにした。
このように、ちょっと変わったところがあるので、T君はオズのことを少しは注目していたのだが、卒業して何年もするうちに忘れてしまっていた。しかし、22歳の頃のある日、T君はオズと久しぶりに再会した。オズはゲーム屋でソフトを異様に長い間見つめつづけたり、突然振り返って走り出し、また別のソフトを手に取ったりということを繰り返しつづけていた。店員は不安そうにしていた。T君は何度かオズの名を呼びかけてみたが、周りのことが全く目に入らないらしく、とうとうこちらに気付かせることはできなかった。
「中学のときは明るくていい子やったんやけどなあ。ちょっと変やったけど」
このようにT君は語っている。
【字数指定なし】
216.俺の巫女さん | 2003.09.05 |
「俺の巫女さん」という狂ったエロゲームがある。以下は、ゲーム会社のページに載っている紹介文である。(http://www.dice-soft.co.jp/evolution/soft/miko/ より)
ストーリー紹介
ごくありふれた小さいけれど平和な街……「乙女町」
この街を俺様好みの巫女さんで溢れかえる街にする!!
そんな大きな野望を抱く主人公とその家族がこの町に引っ越してきた。
主人公はこの街にある「乙女学園」に編入する事になる、巫女さんが大好きな普通の青年である。
だた、多少の異質な能力を持っているという事を除けば……。
その能力は主人公の家系の人間にのみあるもので、その能力は皆一様に違い、その中でも主人公は、史上最強と言われる『物質変換』の能力が扱えた。
主人公は
「この能力は、神が俺にこの能力を使って世の中の可愛い女の子をみんな巫女さんに変身させてしまえと言って与えたものなんだ!」
と考えていた。
(中略)
歓喜に溢れた主人公は、彼女のような「巫女さん」で街を埋め尽くそうと考えるのだった……。
要するに巫女の衣装が出てくる理由付けが必要だったのだろうが、
「(そういう能力が)あるんだからしかたがない」
で済ませてしまうところが潔くていいと思った。
ところで、主人公はこの後どうするのかというと、知り合った女の子たちを巫女姿に変身させては「お祓い」と称して賽銭箱の上でそういうことをしたりするのである。私の友人は
「こんなゲーム『頭一つ取らなきゃ』やってらんないよ」
などといいながら、しっかりクリアしていた。頭が取れたらしい。
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友人と、心霊写真について語っていて、こんな話になった。
「心霊写真に写るんって、落ち武者とかそんなんばっかりやん。縄文人とか弥生人の霊が写らないのはなんでやねん」
「ほんまやな。でも、卑弥呼の霊を呼ぶ人はおるで」
心霊関係に限らず、卑弥呼は人気がある。「ELEGANCE卑弥呼」という名前の靴屋までもあるぐらいである。卑弥呼はエレガントというよりファナティックなイメージがあるのだが、案外実際に会ってみたらエレガントな人なのかもしれない。
しかし、よく考えてみると卑弥呼は中国の歴史の本にちょろっと名前が出てくるだけで、九州の人か近畿の人かさえわからないぐらいである。それなのに、どうしてこんなに人気があるのだろうか?やっぱり「巫女さん萌え〜」というやつなのだろうか?
【字数指定なし】
215.ハは覇権主義のハ | 2003.09.04 |
1996年ごろ、パック旅行で中国に行ったことがある。朝早くから夜遅くまでつれまわされる上、休憩と称して土産物屋にばかり連れて行かれて自由な行動が何もできないなど、散々だった。面白くないので、ガイドの人の観察をして過ごしていた。
漫画などでは、中国人といえば「刀なんぞは不要不要(ブヨブヨ)あるよ 喧嘩よくない麦まくよろし」(「チンライ節」より)という喋り方をするものだということになっているが、実際にはそんなことはない。しかし、独特の喋り方はたしかにある。たとえば、「ここに、困ったの人が、あります」のように「の」の使い方がおかしいなどである。
さて、我々のガイドだが、細かい変さはあるもののさほどおかしなことを言うわけでもなく、その意味でもあまり面白くなかった。ただ、こういうことを言っていたことだけは覚えている。
「この『は』という字、わかりますかー。わかったの人は手を上げてください。そうです。『覇王』の『覇』、『覇権主義』の『覇』ですね」
日本人相手なら「那覇」の「覇」といったほうが通りがいいと思う。
【字数指定なし】
214.神の国 | 2003.09.02 |
高校生の頃、「サンボア」という名前のカレー屋によく通った。一杯250円という、当時としてもかなり安い値段も魅力だったが、なんといってもその独特の雰囲気が面白かったのである。今思うと、スプーンがぬるっとしていたり、コップの水の底に白いものがくるくる回っていたり、衛生には多少難があった。
以下は私がはじめてその店に入ったときの様子を書いたものである。店から帰ってきてすぐに書いたものだ。(名前など一部伏字とした)
初めてのサンボア
わたしはTらといつもK予備校の2号館で自習をしていた。わたしたちはいつも、すぐ近所にあるカレー屋のなぞについて語りあっていた。そのカレー屋の名は「サンボア」といった。
うどん屋やお好み焼き屋が元気よく客を吸収している内にあって、その店はひとつだけ穴が開いているかのようだった。ほこりのつもった見本、穴だらけのトタン屋根、人の気配のない入口、「カレー・サンボア」のすすけた看板−−。それはあまりにも謎、謎のカレー屋であった。入口のドアに「学生の店」とうすく字が残っているのを見つけたわたしたちはいよいよ興味をかきたてられた。しかしわたしたちはいつか入ろういつか入ろうと思いながら決心ができなかった。今日は入ろうと心に決めても、つい入口で足ぶみしてしまうのだった。
その日もわたしとTは入口で躊躇していた。Tが1円玉をとばして裏だったら入ろうと言った。1円玉は手でうけとめられずに足もとに落ちた。Tがそれをさっと足でおさえた。足をもちあげた。1円玉は表をむいていた。わたしたちは目を見あわせた。こんどはわたしが1円玉をとばした。こんどは裏だった。わたしたちはそのへんを一周して考えることにした。
1周しおわってもまだ迷っていた。「どうする」「うーむ」「しかし今日入らなければもう」わたしたちはうなずいた。「よし」「入ろう」わたしたちは1大勇気をふるってドアをあけた。
店内は想像していたのと大分ちがっていた。まず驚いたことにすでに客がいた。小さな子供をつれた女で、ちょうど出ていくところだった。
「それじゃあおじいちゃんお金おいていくからね」
「あああい」
「おじいちゃんむかしから味かわんないね」
「・・・・」(よろよろと老人、何かの作業をしている)
長いカウンターの前にはいすが13個置いてあった。黒い木の壁。カウンターのうしろには各地のみやげ物のようなものがたくさん飾ってあった。色あせたアイヌの仮面。登山のレリーフ。「般若心経」を入れた額。・・・・
Tが「あの、メニューかなにか」と言いかけると先客が出がけに言った。「ここ、これしかないの」「はあそうですか」老人はゆっくりゆっくりとこちらをむいてしわがれ声で言った。
「いらあっしゃあ〜い」
「あの、カレーふたつ。お願いします」
「あああい」
老人はさっきの客の皿をかたづけはじめた。わたしはカウンター1面の落書きを見ていた。「N学院テニス部某々」「殺す!」「1984おばちゃん早く元気になってね」「サンボア100回きねんキムケン」「Nの新井じゃ!アヌス見せんかい!」・・・・それらは昔の栄華をものがたっているようだった。きっと昔はここに運動部の若者たちがあつまって、陽気なおばちゃんと一緒に楽しくさわいでいたのだろう。だが今はしなびた老人が一人ひっそりとカレーをつくっている。老人は奥の台所で調理をはじめた。「ジュー」となにかを揚げるような音がきこえていた。わたしたちは無言でじっと待っていた。声をだすのもはばかられるようだった。
長い長い時間がすぎて、老人はふたつの皿を持ってやって来た。「あい、どおおおうぞ」カレーはカウンターにのせられた。カレーは細長い金属の皿にもられており横にサラダがついていた。老人はスプーンをとろうとしたが、手がふるえていたので一緒に箸をばらばらとおとしてしまった。しかし老人はそれにも気がつかぬようだった。老人はつぎに冷蔵庫から水を出してきてわたしたちの前に置いた。
わたしたちは無言で食物の摂取にはげんだ。辛かった。老人は水を入れていた水筒を再びみたして冷蔵庫にもどした。わたしたちはやっぱり無言で食べつづけた。サラダはトマトとキュウリとレタスで、ドレッシングがかかっていた。それがカレーにしみこんで、サラダの横の飯はすこしすっぱかった。やがてわたしたちは食べおわって立ちあがった。
「いくらになりますか」
「ひとおりにひゃあくごじゅうええん。ふたありでごひゃくえええん」
Tは500円をはらった。わたしたちは外へ出た。夕日が街をあかく染めていた。わたしとTは、息が切れるまでいつまでもいつまでも笑いつづけた。
平成3年7月10日のことである。
サンボアのおやじはふだんはあまり喋らないのだが、たまにたくさん喋ることもあった。おやじはいかれた発言が多かった。以下は、サンボアのおやじとTの会話である。
おやじ「朝凪町行き、いうバスが、あるんやったら、夕凪町行き、ゆうのんも、あるんかいなあ?」
T「いや、夕凪町ゆうのはありませんよ」
おやじ「朝凪、ゆうのは、恐いんや。朝、凪になると、その日ぃは、嵐に、なるんや。夕凪ゆうのは、ええんや。海が、おだやかに、なるんや。いや、逆やったかいなあ」
T「?」
おやじ「そうか、夕凪町行き、いうのも、あるんやな」
また、他の者の報告によると、おやじは女子大生たちに次のようなことを言っていたらしい。
「わしはオリエンタルホテルの料理人やった」
「サルは本当にうまいもんしか食わん」
「大阪ではわしのカレーをサルが食った」
私が直接聞いた発言では、次のようなものがあった。
「いしが、すなに、なって、その、すなを、みずで、ねって、それを、こねて、つぼや、さらを、つくるんや」
「わしは、かみのくにと、ひとのくにを、いったり、きたりしとるんや」
このときはさすがに反応に困った。
なお、サンボアは次の年に営業を休止し、おやじも姿を消した。建物は長い間残っていたが、阪神大震災の後の再開発で跡形もなく壊されてしまったので、今はない。
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【参考】資料1(内部図解)、資料2(おやじの似顔絵)…同人誌「私たちのサンボア」より
213.ここは空き家ではない | 2003.09.01 |
「化け物屋敷」と呼ばれる空き家があった。この家には土蔵があり、宝がいっぱい詰まっている、と近隣の小学生の間では噂されていた。
Kとその友人はこの家に侵入し、土蔵に入ろうとした。扉が開かないので二人は壁土を削りはじめた。ところが穴があかないうちに、どこからか現れた中年女につかまってしまった。
「なによあんたたち泥棒猫みたいなことして」
「えっ?この家誰も住んでないんじゃなかったんですか」
「住んでます」
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212.食券がないと食えない | 2003.08.31 |
中学校の後輩から聞いた話である。
学校に犬がまぎれこんできたことがあった。犬はなぜか「津田」と呼ばれていた。「津田」は食堂にやってきたのだが、
「食券がないと食えない」
と言われて出ていった。
【字数指定なし】
211.私はバースではない | 2003.08.30 |
私の友人のSという男が小学生の頃のことである。Sとその友人たちが塾帰りに阪急電車の特急に乗ると、車内に大きな体の外人がいた。そこでSはこの外人を指して
「おい、あれアニマルとちゃうか」
と言った。アニマルというのは、当時野球の阪急ブレーブスにいたアニマル・レスリー選手のことである。それからその外人をよく見たところ、本当にそれは阪急のアニマル選手だった。その後も何度かアニマルは阪急電車で目撃されたらしい。
さて、この事件に味をしめたSは、外人を見るたびに
「あれブーマーとちゃうか」
「あれゲイルとちゃうか」
と、外人選手の名前をいろいろ言ってみたが、いずれも本物ではなかった。ある日、Sは白人の大男を指して言った。
「あれバースとちゃうか」
するとその外人は
「オー、ワタシハばーすデハアリマセーン」
と言った。まわりの乗客たちはげらげら笑った。
【字数指定なし】