ハイリハイリフレ背後霊過去ログ191〜200 |
200.ケラの息子 | 2003.08.18 |
中学〜高校の先輩で、Iという人がいた。彼の母親はなぜか「ケラ」と呼ばれていた。ある日、I氏の家で友人たちがマージャンをしていたところ、いきなり部屋にケラが入ってきた。ケラは押入れから五月人形を取り出すと
「カッチュウカッチュウ」
と言いながら持っていった。
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中学の頃(1988年ごろ)、I氏が書いた文章がよく学内誌に載っていた。どれもこれも中学生離れしたあくの強いものばかりだった。中でも、「悪事を犯した人間が来世で餓鬼道に生まれかわったときどんな責め苦を受けるか」を解説した「今日から君も餓鬼だ!!」は興味深かった。これは
「棒で生き物の頭を叩く⇒頭痛に悩まされる」
だの
「高僧になって、僧のためにマンゴの実を煮る⇒体中から熱い鉄球が出てくる」
だのといった罪(?)と刑罰の組み合わせをこれでもかと列挙したあげく
絶対に地獄はもちろん餓鬼道にも行きたくない今日この頃、思わず悪事をはたらきそうになれば、このページを思い出して、鬼に切り刻まれる場面など想像すれば、悪事など誰にも働けっこないのだ!と脅しをかけたところで今回もお分かれです。楽しい未来を送るためにも一日一善を心掛けましょう。ではさようなら。
で終わり、という人を食ったような内容だった。
それから十数年たち、久しぶりにS駅の前でI氏に会った。彼は奥さんと一緒に、自分の主張を書いたビラを道行く人に配っていた。市会議員選挙に出ていたらしい。私は住んでいる場所が違うので投票はできなかったが、どうやら当選したようだ。ホームページのURLがビラに書いてあったので見にいったが、地獄や餓鬼道の話は書いていなかった。
【字数指定なし】
199.くろっち | 2003.08.17 |
高校に、「くろっつぁん」または「くろっち」と呼ばれている人がいた。彼は怪鳥のような高い声で喋り、声に劣らずいかれた言動をするので有名だった。
くろっつぁんは、バンドでギターを弾いていた。彼を崇拝している女がいて、彼の投げるピックを集めてネックレスにするほど彼にほれ込んでいた。ある日彼女は決心して朝早く起きて彼のために弁当を作り、姫路から大阪の端まで(注:非常に遠い)それを持っていった。ところがくろっつあんは
「イラネーッテイッテッダローッ!!テメーナンテ、キレーナンダヨ!!ケーレヨ!!ケーレヨ!!」
とわめき、彼女を追いかえした。一緒にいた後輩は同情して
「後できっと渡しておきますから」
といってその弁当をあずかって自分で食った。弁当はまずかったらしい。
また、こんなこともあった。くろっつぁんは、喫茶店で後輩たちと打ち合わせをしていたとき、突然
「女ノヒッカケカタヲオシエテヤル!!」
と言い出した。
「アレヲソノ女トスル!!」
と、ウェイトレスを示したかと思うといきなりポケットからピックを取り出し、投げつけた。くろっつあんは、思わずそれを受け止めたウェイトレスの前に飛び出すとバッと彼女を指さし
「イエ〜〜〜〜〜〜〜!!」
と叫んだ。「コレデバッチリダゼ!!」ということだ。
【字数指定なし】
198.自分が大人になったと感じたとき | 2003.08.16 |
昔ある入社試験を受けたとき、「自分が大人になったと感じたとき」というタイトルで1200字で書け、という課題が出た。制限時間は一時間だった。私は次のような内容のものを書いた。
「ハンバーガー」
幼少の時、マクドナルドのハンバーガーが食べたくて仕方がなかった。大学生になって金が自由に使えるようになったので、みんなで金を出し合い、ハンバーガーをたくさん買い込んで、死ぬほど食った。しかし、残ったのは空しさだけだった。そこで我々は気付いたのである。我々が食べたかったのはハンバーガーなんかではなかった。手に入らない永遠の夢だったのだ、と。それがわかったとき、私は自分が大人になったことを感じたのである。
これでは1200字に足りないので、原文では
「丼いっぱいの『フルーチェ』(牛乳を入れて作る菓子の名前)を独り占めする喜び」
「『王将』(中華料理屋の名前)で餃子を二人で12人前食べるとハイになる」
「自動車(特にバス)の排気ガスの臭いが好きで、車のあとをついて歩いた」
といったエピソードを入れてなんとか字数を合わせた。結局この試験には通ったが、面接で落ちた。
【字数指定なし】
197.エンドレスナイト | 2003.08.14 |
昔、関西テレビで「エンドレスナイト」という深夜番組をやっていた。終わりの時間がはっきり決まっておらず、ノリによって適当に変化するところからこういう題名になったらしい。日曜日の朝1時ごろから4時ごろまで、というのが大体のパターンだったが、たまに5時過ぎまであることもあった。司会はばんばひろふみ(愛称:ばんばん)と兵藤 ゆき(愛称:ゆき姐)で、「エンドレスギャルズ」(略称:エンギャル)という素人の女の子たちが体を張っていろいろな取材をする「ショッキングレポート」がメインの内容である。このエンドレスギャルズは半年ごとに交代し、そのたびに「涙の卒業式」が開かれた。
実をいうと、「ショッキングレポート」自体はさほど面白くはなかった。エンドレスギャルズも、めちゃくちゃ可愛かったり喋るのがうまかったりするわけではない。この番組の面白さは、投稿コーナーにこそあった。出演者やスタッフたちの似顔絵や、面白い話などの投稿コーナーが好きで、私は毎週この番組を見つづけた。一回でも、一部分でも見逃すと話題についていけなくなってしまうのだ。深夜の生放送ならではの「共犯意識」もあったと思う。毎週葉書が採用される「常連」は私にとって神そのものだった。私も「常連」になりたい、と考え、イラストや文章の葉書を送りまくったものだ。あの頃は本当にどうかしていた。
文章の葉書が採用されたときの様子を録音したテープが残っていたので、以下に書き起こしてみる。
ゆき「神戸市の方でございますが。『曼陀羅交響曲と涅槃交響曲』さんから頂きました。高校一年生でございます。『ばんばんゆき姐エンギャルの皆さんこんばんは。』」
ばんば「こんばんは」
エンギャル「こんばんは!!」
ゆき「『私の友人に起こった悲惨な出来事を聞いてください。朝私が学校に着くと誰もいなかったので「おー一着」と思っていると、』
子供ですねこの部分が。(笑い声)
『どこからか「タスケテクレー」という声が聞こえてきたのです。私はぞっとしてあたりを見回したのですが誰もいませんでした。そこで、声のするほうをたどっていくと、どうやら床下から叫んでいるようなのです。』
タスケテクレー。
『私の学校には、床下にガスや水道を通す通路があって、蓋をあけると入れるようになっているのです。そこで蓋をあけてみると、なんとそこには友人のTがいるではありませんか。「どうしたんだ」と聞くと「いやーきのう面白がって入っておったら、突然蓋が閉まってしまってなー」』(笑い声)」
エンギャル「えーっ」
ばんば「わっはっはっは、ばかやろう」
ゆき「『そうです。彼は、学校の床下で一夜を過ごしてしまったのです。』」
ばんば「でれんようなっとんの!」
ゆき「『彼が一日にして時の人となってしまったのはいうまでもありません。ばんばんはこんな経験ありませんか?』」
ばんば「あるかそんなもん!しかし、親は心配したでしょうよ」
ゆき「親は、ねえ」
ばんば「あっぶないなー」
ゆき「わたし本番前にトイレに閉じこもってしまったっていうか」
ばんば「あかんようなったん?」
ゆき「あかんようになったことありましたですけどね」
ばんば「どうしたの、で、叫んだの?」
ゆき「もう、蹴ったんですよね。(笑い声)そしたらこっちに引くんだったという(笑い声)」
ばんば「そういうのあるよな、あせってたらな。押したらええねんけどひいてばっかりいるとかさ、わかるなそれ」
ゆき「セーフでしたけど、はい」
番組の雰囲気がいくらかでも伝わっただろうか。ちなみに、上の書き起こしの中に出てくる「床下に閉じ込められた話」は、完全な作り話である。
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私は14歳から15歳ぐらいまでの間葉書職人をしていたが、そのうち番組が終わってしまったのでやめた。終わる直前、一度「常連」たちで大阪の喫茶店「エリート」(現「泉のテラス」)に集まったことがある。その頃はまだ「オフ会」という言葉はなかった。私が一番年少で、一番年上の人は当時29歳だった。私は暗いイラストばかり描いていたので、自分の倍の年のその人に説教されたものだ。
「もっと明るく生きなきゃだめだよ」
そのときは「あんたに言われたないわ!!」と反発したものだったが、自分がその人の年になってみるとその気持ちもわかる気がする。
【字数指定なし】
196.若者たち | 2003.08.13 |
専門学校に行っている友人から、変な紙切れが教室の机から出てきたというのでもらった。この教室をその時間までに使ったのは1年生だけなので、おそらく1年生が残したものだろう、ということであった。18ぐらいの若者が4人ぐらいで「夢」について、適当に喋った内容をメモした、といったところか。よくわからない。
一枚目表
2002年4月16日(火)1時間目にK教室で発見。
1 女
2 服
3 車
4 原付
5 食い物
6 犬
7 時間
8 のう力
9 かみの毛
10 Docomoのけいたい
一枚目裏
夢 dream 12=3y+x
x+3y=12
げいのうかい
1兆円手に入れる
10また
学校1トップの頭
げいのうじんとけっこん
二枚目表
1 車の免許
2 車(アベニール、ローダウン、フルエアロ、ウーハー、スムージング、アルミ)50万前後
3 時間
4 犬(プレディードック)
5 ホームシアターセット
6 テレビ
7 ビデオ
8 服
9 MP3+CDウォークマン
10 けいたい
二枚目裏
1 私ゆうテニスコート設建
2 宝くじ大当り(サマージャンボ3億円)
3 ホームシアターセット(ONkoy)をへ部にうめこむ
4 車、アベニール 極カスタム
5 世界の女を自分のものにする(美人のみ)
【字数指定なし】
195.戦う人 | 2003.08.12 |
大学にHという男がいた。彼は漫画「沈黙の艦隊」にあこがれて防衛大学校を受験し、一次試験には受かったが二次試験には受からなかった。彼には変な「ジョーク」を飛ばす癖があり、面接の際それが良くなかったのではないかと自身振り返っている。
以下は、彼自身が書いた文章「<進め!!愛国戦隊 〜ある高校生の苦悩〜>」からの引用である。
「君の長所は明るい性格か、では短所は?」「方向音痴です。いやーここの基地って広いですね。小学生に教えてもらってやっと入口がわかりましたよ」「…将来、自衛隊幹部となって隊を指導するものがそれでは困る。」「うっ…(シャレが通じない)」「他にはあるかね」「健忘症です。自分の都合の悪いことはすぐ忘れちゃうんです、おめでたい性格でしょ。でも1月1日生まれじゃないんですよ。」「…上からの指示を忘れる性癖は部隊にとって致命的だ」「うっ…(また外した)」と以上のような調子が続き面接は終了。
これは「ネタ」ではないのか、と思わないでもない。しかし、図書館の司書に振られ、酔っ払って
「止めないでくれー。海の藻屑に…」
などと叫びながら鴨川(水深20センチ)に投身しようとしていた彼の姿を思い出すと、本当だったのかもという気がしてくる。
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北海道から敦賀行きのフェリーに乗ったとき、Hは皆の前でこんな告白をはじめた。
「魔女の宅急便」というアニメ映画がある。主人公のキキという少女は空が飛べるのだが、飛ぶときスカートがまくれあがって中身が見える。高校生のとき、このシーンを見ていてむらむらと興奮し、けしからぬ振る舞いにおよんでしまった、と。
聞いていた者たちは、これがほんとの「キキ一発」だ、といってげらげら笑った。
【字数指定なし】
194.祈る人 | 2003.08.11 |
Nは兵庫県宝塚のバスターミナルで腹痛にうめいていた。友人の家でごちそうになった焼きそばとウーロン茶が怪しかった。椅子に座って腹を抑えていると、向こうから「美人のお姉さん」(本人談)が話し掛けてきた。
「あのう、よろしいでしょうか?」
そして彼の顔を見るなり言った。
「気分がわるそうですが大丈夫ですか」
「ちょっと腹が痛くて」
すると女は急に「手かざしの業」の説明をはじめ、
「祈らせてください」
と来た。
「あー、もう勝手にしてください」
どうやら額の前に手をかざして「健康と幸せ」を祈ってくれているらしいが腹痛はちっとも良くならない。しばらく目をつぶって腹を押さえていたが、そろそろどこかに行ったかな、と思って顔を上げた。すると女はまだ目の前にいて、「びくっ!!」とおびえたような目をして、細い声でつぶやいた。
「びっくりした…」
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祈る人についてはいろんなエピソードがある。
私は浪人の頃、祈る人に毎日毎日「健康と幸せ」を祈られつづけ、とうとう「これは断っていいんだ」というのに気付いた。それ以来、あまり祈られることはなくなった。
そのあたりは駅の近くで、他には宝石店「ココ山岡」の攻撃にもあった。ショーウィンドーの中から、なんだか必死な顔つきの女店員がコンコンとガラスを叩いてくる。なんだろうと思って見ると、こちらにおいでおいでをする。行ってみると、定番の「どの宝石が好みですか?」「彼女に宝石とかあげたいと思いませんか?いないなら将来のために買っておくのがいいと思いませんか?」「分割払いでお得だと思いませんか?」の畳みかけ攻撃だ。だまされたのが腹立たしかったので、逆に外からガラスを叩いてやったところ、驚いている様子が見えた。攻撃には強いが、守りには弱いらしい。ココ山岡はその後潰れたが、いい気味である。
また、こんなこともあった。大学にいた頃、…たしか「大文字焼」の日だった…先輩に無理やり連れられて鴨川の河原でビールを飲まされたことがあった。飲んでいると「祈る人」がわざわざ河原まで降りてやってきた。若い女だったので、先輩は「一緒に飲みませんか?」などと言って誘惑をはじめた。女は困っていたが、そのうち「お目付け役」のようなババアがやってきて女を連れて行ってしまった。新人研修中だったらしい。
私の高校の後輩は、道で出会った女に「祈らせてください」と頼まれ、こう言い放ったそうだ。
「しゃぶってくれたらやらしたるわ!」
【字数指定なし】
193.紫式部 | 2003.08.10 |
電気回路の部品の一つ「抵抗器」には、その抵抗の大きさが何オームかを示すために色の帯が4本または5本引いてある。これは0から9までの数字をあらわすもので、たとえば次のような語呂合わせで覚える。
この他にもいろいろなバージョンがあるが、7を紫式部(「しき」を「七」と掛けている)と覚えるのはほぼ共通している。
このように、紫式部は千年も前の人なのにもかかわらず、現代でも語呂合わせに使われるぐらい有名である。同じくらい有名な当時の有名人としては、「現役OLのセキララ日記」(枕草子のこと)がいまだに読まれている清少納言という人もいる。この二人の仲は悪かったらしいが、よく知らない。
さて、私が小学生の頃、学習研究社の学年誌「6年の学習」に、「歴史人物コンピュータボイス」という付録が付いていたことがあった。肖像画や遺骨から、昔の有名人の声を復元しました、というテープである。聖徳太子・紫式部・源頼朝・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・坂本竜馬・福沢諭吉・夏目漱石・北京原人・縄文人・弥生人・モナリザの声が収録されている。このうち、紫式部と弥生人が当時の私のクラスでは大人気であった。
弥生人が気になると思うが、これについては置いておいて、ここでは紫式部が喋っていた言葉を引用してみよう。声は陰険な中年女という風情である。その時代の「おかめ」みたいなイラストからどうやって声を復元したのかよくわからないが、いい声だと思う。喋る内容もまた抜群だ。
私の競争相手だといわれる清少納言様は馬鹿な女です。
あの人は宮廷の恐ろしさを知らないのです。宮廷の人々の恐ろしさを知らないのです。
いい気になって自分の才能を誇り、華やかに振舞っていますが、やがて誰かに足を引っ張られて転ぶでしょう。
宮廷では、私のように自分の才能を隠して、つつましく生きることが何よりも大切なのです。それがみんなに愛され自分の才能を伸ばすことになるのです。
それに、あの人の文章は、自分で言うほどうまくありません。
私たちの間で「紫式部は陰険な奴だ」というイメージが定着したのは、このテープのせいだと思う。よく考えてみたら、本当の紫式部が喋っているわけではなく、コンピュータが「期待される人間像」を演じているに過ぎないので、紫式部自身にとっては迷惑な話だが。
【字数指定なし】
192.ブラックタージ | 2003.08.09 |
インドのアグラという町に、タージマハルという有名な建築がある。ムガル帝国の王様が、愛妻の墓として作ったそうである。白い大理石でできた、とてもきれいなものである。
当初の予定では、ヤムナー川をはさんだ向かいがわに黒い大理石で同じものをつくり、間を銀の橋でつなぐはずだったという。しかし、あまりにも浪費が過ぎるというので、息子に王位を追われ、計画は頓挫した。完成しなかった黒いタージマハルは「ブラックタージ」と呼ばれている。
以前、Tと一緒にこのタージマハルを訪れたことがあった。タージマハルのすぐ隣には確かに川が流れていて、向こう岸には土台らしきものを発掘している人が大勢見えた。
「あれがそのブラックタージちゃうかな」
「行ってみなあかんな」
私たちはそのように話し合い、数日後、見物に出発した。
行きたいところはすぐ目の前なのだが、すぐ近くに橋がないので、向こう岸に渡るには何キロも離れたアグラフォートの鉄橋まで行かなければならなかった。遠いのでタクシーを拾ったが、運転手はなんだかんだ言って橋の手前までしか行ってくれない。何で渡ってくれないんだよなどとぶつぶつ言いながら橋を渡った。
あらかじめ書いておくと、ブラックタージそのものは全然面白くなかった。以下そのときのノートからの抜粋である。
まわりの人が外人を珍しがってじろじろ見る。線路の下をくぐって川原に出る。牛が放し飼いにされていて、うろうろしている。砂は石英か何か含まれているらしくぴかぴか光る。洗濯物がいっぱい干してある。地元の子供が寄ってきて「ルピースルピース」と言う。外人がよほど珍しいのかすれ違う人がみんなこっちを見る。あちこちにシヴァのほこらや謎の遺跡がたくさんある。聖者みたいな人や、らくだ隊がいる。ヤギがいっぱいいる。さっぱりわからない。暑くてたまらない。そのうちにタージの向かいがわに来る。大勢の人たちが発掘作業をしていた。みんなこっちをじろじろ見る。ブラックタージに来る外人とはきわめてめずらしいものらしい。向こう岸にいける浮き橋があったので渡ってもいいか、とソルジャーに聞くが、部外者は駄目だと断られる。そこで帰ることにする。私がきっとこっち行ったらちゃんとした道があるで、といって畑の中の道を歩いていくと、うしろから子供がぞろぞろついてくる。何だかよくわからない村を通過するのだが、そこにいる人々がみんなこっちに向かって「ハローハロー」と言う。なぜか花を捧げてくれる子供もいた。
まるで神様になった気分だった。「今昔物語」に、旅の侍がある村で「あなたは仏さまです」と勘違いされ、みんなにそう言われているうちにその気になる、という話があったが、そんな感じである。
思えば、私は若い頃
「いつか私を『どこか遠く』に連れて行ってくれる円盤」
のことばかり夢見ていたことがあった。あの子供たちも、「ハーメルンの笛吹き男」に連れて行ってほしかったのかもしれない。
【字数指定なし】
191.でんでん太鼓 | 2003.08.08 |
大学に、Hさんと呼ばれている人がいた。
「高校にいた頃、先生に注意され、腹いせに職員室の机の上に大便をした」
等、武勇伝には事欠かない人だった。
この人は、うれしいときや悲しいとき、感情の高ぶりを「でんでん太鼓」で表した。大学に合格したときも、合格発表の掲示板の前で興奮した彼は「でんでん太鼓」で喜びを表現したという。その後もなにかと「でんでん太鼓初段」(通常のでんでん太鼓)「でんでん太鼓弐段」(すこし大きくした状態でする)「逆立ちでんでん太鼓」(逆立ちしてする)などをあちこちで披露し、まわりの人たちを困らせた。
これ以外にも、ほとんど変質者といっても過言ではないエピソードもたくさんあるのだが、ここには書かない。しかし、そんなエピソードでさえ「Hさんらしいなー」の一言で片付けられてしまうあたりが、大学の懐の深いところだ。
※「でんでん太鼓」…下半身を露出し、男性器を左右に振って太ももの内側で「ぺちぺち」という音を出す技の名称
【字数指定なし】