ハイリハイリフレ背後霊過去ログ161〜170




170.扉を開けて 2003.07.18

Kさん(女性)が下宿のマンションでものを食べていたところ、玄関のほうからゴトンと音がした。なんだろうと思ってドアスコープ(魚眼レンズがはまったのぞき穴のこと)を見たところ、ドアスコープそのものがなくなっていて穴があいていた。なんだろうと思ってそっとドアを開けてみたところ、男が逃げていくうしろ姿が見えた。ドアスコープはドアの内側に落ちていた。

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169.過去をなくした女 2003.07.16

昔インターネットがまだ一般的ではなかった頃、Yさんは大阪梅田のインターネットカフェでアルバイトをしていた。その頃あった話である。

記憶喪失の女が警察に保護された。何も覚えていないのだが、なんだかよくわからない文字列を書いたものを持っていた。どうやらそれは「メールアドレス」というものらしいことがわかったので、その女と警察の人が店にやってきてそのアドレスにあててメッセージを送信してみた。その頃は警察にもメールはなかったのである。しばらくすると返事があり、その女の関係者が来てめでたく事件は解決した。女は「母親」を見ても誰だかよくわからないので、不思議そうな顔をしていた。

ワイドショーの人もこの面白い事件を取り上げるために店にやって来た。レポーターがうるさく騒いで、字を打ってるふりしろだの注文するのでうっとうしかったということだ。なお、その店は潰れてしまってもうない。

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168.合唱 2003.07.15

くるってる くるってる くるった人が まわってる

Yさんは、合唱団がこういう歌を歌っているのをたまたま聴いて、笑いがとまらなかったそうだ。

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合唱は、現代音楽が幅を利かせている数少ないジャンルである。山田耕筰や滝廉太郎のようなクラシックな作品とは似ても似つかない奇天烈な新作が次々に発表され、歌う人たちもそれを喜んで歌い、客も面白がってそれを聴き時々ゲラゲラ笑ったりする。音楽にとっては実に幸せな状況であるといえよう。

友人のK氏も合唱愛好家で、彼が属していた合唱団はいくつかCDも出している。「柴田南雄 その響きIII」もその一つである。聴かせてもらったのだが、そのCDに入っていた「自然について」という曲の歌詞がかなり来ていた。

すべての物体は、外からの力によってその状態を変えられない限り、静止の状態もしくは一様な直線運動の状態を保ちつづける。

運動の変化は加えられる力に比例し、その力が加えられる直線の方向に起こる。 作用に対して、つねに等しい反作用がある。

グリシン アラニン
ヴァリン ロイシン
イソロイシン
フェニルアラニン チロシン
トリプトファン
プロリン システイン
メチオニン
アスパラギン酸
アスパラギン
グルタミン グルタミン酸
アルギニン リジン
ヒスティジン セリン
スレオニン

空気の入った器の中で水銀を熱すると器の空気は減少し、水銀の灰ができる。残った気体の中では、鼠が死ぬ。ふたたび熱すると、水銀の灰は吸収した気体を放出して水銀にもどる。

こんな詞なのにちゃんと歌になっているのがすばらしいと思う。

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167.М事件(下) 2003.07.14

Оさんの書いた「M事件」の続きである。

M事件(つづき)

7、××戦と夏休み

そして仙台での××戦。M氏は口うまくついて来て、仙台でもかなり暴れた。一回生を部屋から追い出して一人で寝たり、相手チームへのヤジなど数えきれない。私は行動を共にするのが嫌だった。M氏の図々しさがよくわかる写真がこの部報のどこかにある。皆さん探してみましょう。

××戦が終わり、夏休みだ。M氏はK女子大で講師をしており、××戦が終わったので合コンをしようと以前から言っていた。「ものすごいハデやぞ。びっくりするぞ。とりあえず、10人ぐらい集めといて。」ということでH大××部のJ郎君などの方々も行くことになっていた。しかしである。直前になって、「あーあれ中止な。あいつら海外旅行に行ってもうた。いい加減にしろよな。」「お前がいい加減にしとけや。」と田舎からはるばるそのために帰ってきた私は思うのであった。このあたりからM氏に対する考えも全ての者が全面否定的になった。

8、重大疑惑

ある日、私とT満さんとU飼でM氏の研究室へ行くことにした。ゲームソフトを取り返すためだが、M氏の学業の実態を一度、確かめておきたかったのが大きい。しかし、私たちは教室の場所がわからず、仕方なく事務所で聞く。「助手のMさんはどこにおられますか?」しかし、事務所の人は少し調べてから、「そんな人はいませんねェ。」そんなはずはないと思ってもう一度調べてもらったが、「院生にもどこにもそういう人はいません。」とのことだ。私たち三人は「マジかっ!?」と驚く。もしかしたら奴の言うことなすこと全部ウソかもしれないという疑いがかけめぐる。とりあえずその日からM氏のことを皆でさぐった。M氏にはないしょで。M氏の名刺があったので、T大のT文化研究所という、Mが以前いたというところに電話した。すると、「以前にもそういう問い合わせがあったけれども、そういう人は過去にも現在にもいません。」ということだ。それどころか奴の以前の悪行までわかってしまった。そして、監督がT中学やO高校で調べてきてくれた結果、M氏のウソはすべて発覚した。J大もウソ。T大もウソ。インターハイなど大ウソ。助手も論文も全部一から十までウソだった。奴は単なるチンピラだったのだ。皆、信じられなかった。T満さんは奴が来るたびにサイフから一万円がなくなってしまったし、入学記念に買ってもらったタグホイヤーの時計もなくなったという。私は5万円入ったサイフがなくなったのだが、それもMかなという気がした。ファミコンソフトもたぶん売りやがったな。

それから私たちの方針は奴をしばらく泳がせて回収できるものをできるだけ回収しようというものであった。O田さんなどは態度が激変したので、Mはよく私にさぐりを入れてきた。電話で、「何怒ってんねん。ムッとすんなよ。」をよく言った。とりあえず私はそのたびファミコンソフトを返すように言う。ソフトも何本か返ってきたが、「三国志3」が「三国志2」になっていたり、他にもこういうのがあった。そして、隠すのも限界になり、とうとう奴を問いつめることとなった。

9、完結

×××寮の私の部屋にて。M氏が床に正座しそのまわりを監督、私、O田さん、T満さん、N瀬がかこむ。そのあとのMの抵抗は、「こいつやるな」と思わせるものがあった。「助手というのはウソです。でも研究室の人間なんです。」とよくわからぬ事をほざいていた。なぜ××部に来たのかという問いには、「本当に××が好きだったんです。O田君、O君、T満君……たちが本当に好きだったんです。」と告白されてしまった。もはや何も言うことはない。「T大の研究所をケンカしてやめたのでいろいろ誤解があるんです。信じてください。物をとったなんて疑われるのは心外です。」などと、まるで現実のようなウソが次々と出てくるのには驚いた。おそらくウソと現実がごっちゃになっているんではないかと思う。だが最後のN瀬の質問「あのソフトは買い戻したものですね。セーブデータが違います。」というのにはMも答えられなかった。とりあえず、××部出入禁止、××部の名を使うのも禁じた。それから奴の姿を見なくなった。

警察にもT満さんの時計のことで届けを出した。数ヵ月後、警察から、質屋から時計が出てきたと報告があった。もちろん預けたのは「K大助手M」。そして奴は逮捕された。身内の母一人は10年以上もだまされつづけており、事情を聞いて泣いていたという。今、Mはどうしているだろうか。あー書いとって腹立った。

(ここまで)

以上が、M事件のあらましである。私(大山)自身はMとの接点があまりなく、被害にあうこともなかったのだが、それにしても嫌な後味が残る事件だった。

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それから数年後、私(大山)はある工場で働くようになった。そこで私はSという男に出会った。Sはもと野球部の巨漢で、声が大きく、態度も大きな男だった。当時35ぐらいで、子供が3人いた。

私はこのSという男があまり好きではなく、そんなに関わらないようにはしていたのだが、ある時つかまって金を無心された。

「お前を信じて頼むんや。やくざを殴ってしもうて、すぐに金をはらわないかん。貸してくれ。来月には返す」

ほとんど知らないくせに何が信じてだ、と思ったが、渋々言った。

「いくらぐらいですか」

「いくらなら出せる?」

「5万ぐらいなら…」

「明日の10時までに間に合うように持ってきてくれ。ぜったい誰にも言ったらあかんぞ。ええか、絶対やぞ」

私は忙しかったのだが、わざわざ郵便局まで出かけて5万円をおろしてきて、金を渡した。

それから、Sには何ヶ月たっても金を返してくれる気配がない。私がその話をするたびに「わかったわかった」とだけうるさそうに答えるのである。スナックなどでくだらないことに費やす金はあっても、私に返す金はないらしい。Sは俺すごいやろ、という話を大声でよくするほうで、よくやくざや右翼団体のツレが云々ということを言っていた。しかし、私が右翼や左翼についてちょっと突っ込んだ話をすると答えられなかった。私はそれを見て、多分こいつはMの同類だな、と思った。

私はSと同じビル内の別の部署にいたのだが、Tさんをはじめとする、Sと近い部署の人たちと次第に仲良くなり、話すことも増えた。そのうち、Sの過去の悪行について色々聞くようになった。Sはもともと工場の野球部にいたのだが、部員たちからカツ上げをしまくり、それが数百万円に達した。問題になったのだが、結局同様に工場にいるSの兄が金を返しておさまった。Sはさすがに野球部にはいられなくなってやめた。しかし、労働組合のおかげでSは解雇されることもなく、またあちこちで金を借りまくっている。スナックなどで豪遊しているが、その金の多くはTさんに出させている。携帯電話や公用車を休日に勝手に使っているが、他の者が使っていることになっている、タイムカードがないのをいいことに、ほとんど工場にさえ来ていないくせに残業は一杯までつけている、会社に文句を言っても「あいつはやんちゃやからな」で済まされてしまい、まったく話にならない、等等。そういえば思い当たる節はたくさんあった。

「ええ?僕も5万円貸しましたよ。絶対言うな、って口止めされましたけど」

なに、またあいつそんなことを、と皆いきり立った。特にTさんはSのタカリのためかなり困っていた。スナックの金を払わされたり、息子のためにカブトムシを採らされた末、

「みんな逃げてしもたやないか!!」

と逆に文句を言われたりしたそうだ。私が「M事件」の載っている冊子を持ってきて見せたところ、あまりにもSと行動が似ているので皆感動した。やたら財布をなくすのも同じなら、「げんじとり」などそのままである。

「そうか、ありゃ逃げたんじゃなくて売りやがったな!!」

Tさんはそう言って納得していた。MとSが違うのは、Sのほうがより暴力的だということだ。場所が運動部ということもあり、Мは体力的にはまわりの者たちよりもかなり劣っていた。しかし、Sの場合まわりにいるのが普通の人たちだから、体力的にはほぼ無敵だった。この力を恐れて、Tさんたちのグループは散々Sにタカられてきたのだが、TさんもついにSと縁を切ることを決心した。

コンプレッサー室で殴られたりいろいろしたらしいが、これ以上何かあったら警察を呼ぶ覚悟で臨んだ結果、TさんのグループはSのくびきから逃れることに成功した。私も、5万円を返してもらうことができた。その後Sにはなんのとがめもなく、異動で、もっといい部署に行ってしまった。私はもうその工場はやめたが、Sはきっとまだ誰かにタカって生きていることだろう。

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166.М事件(上) 2003.07.13

私は大学にいた頃、あるスポーツのクラブに在籍していた。以下は、そのころ起こったある事件をまとめたものである。私の先輩のОという人が書いたものだ。ずっと後、私が大阪のある工場で働いていたころ、酷似した事件があり、その際この文章のコピーが経典のように読まれた。長いので2回に分けて紹介する。固有名詞などは一部伏字とする。

M事件

一九九四年春から夏にかけて、K大××部を震撼させたМ事件。私はその事件に深く関わった者の一人として、この記録を残す。これは、私の心の痛みであり、公開したくないがあえて筆をとった。

1、出会い

一九九四年4月、О田さんが、「K大××」と書かれたジャージを着て、生協で食事をしていたところ、Mという人物がО田さんに話しかけてきたところから事件は始まる。「法学部助手のMといいます。」M氏はインターハイの常連、××高校××部のOBだという。そしてJ大に進学し、T大大学院を経てK大の助手になったという華々しい経歴だった。M氏は××部BOXに来て色々としゃべっていった。M氏は昔、ワルだったそうでこの辺でM氏のことを知らない人はいないという。××もインターハイベスト16とか…。とにかく強かったそうだ。ホンマかいな。その後、猛勉強の末、現在は助手になって本も出しているという。学会の関係の本にしては驚異的な売れゆきだそうで、もうちょっとで印税が入ってもうかるそうだ。私たちは学会のホープのようなすごい人だという印象をうけた。T大××部とも長年の付き合いであるかのような感じだった。そして練習にもちょくちょく来るようになったのである。M氏は非常になれなれしいところがあり、その評価は部員の間では分かれた。「まあ、変わった人でいいんじゃない」派、「あいつ図々しいな」派、「オレは関係ない」派である。私は一番目のグループで、他にもO田さんやT満さんらがそれで、M氏との付き合いを深めていくことになる。

2、麻雀

M氏はよく我が×××寮にマージャンをやりに来た。U飼の部屋でやることが多く、マージャンをしながら色々と話をした。M氏はあの伝説の雀鬼「桜井章一」ともマージャンを打ったことがあるらしい。「ああ、奴はあまり強くなかったぞ」ということである。また、M氏の女性関係はものすごく、貴乃花の婚約者河野景子に好かれていたが、フッたら泣いたそうである。あの小和田雅子さんの妹(!?)とも付き合っていたが、結婚すると皇族になってややこしいからやめたそうだ。他にも様々な話を聞いたが、このへんでやめておこう。もちろん、そのウソくさい話をすべて信じたわけではないが、ウソとは思えない語り口で言うので「ホンマかいな」程度で納得してしまうのであった。

3、就職

当時、4プラス1回生のT満さんは就職活動で悩んでいたときであった。特にT満さんはマスコミ志望で苦戦されていた。マージャンをしながら、T満さんはM氏に相談すると、「それやったら『電通』行けよ。オレの研究室のコネで行けるぞ。でも、よく考えろよ。一回、『行く』と言ったら、もう取り消されへんぞ。ウチの教授の顔つぶれるしな。」なんていう話をもちかけた。T満さんは非常に考えた。それからもよくM氏に相談していたようだ。結局、『電通』の話はT満さんはやめにしたのだが、それが後で良かったと思われるのだった。

4、酒

M氏は飲んだ後、破廉恥な歌を夜中に大声でわめきながらよく私のところへ来た。接近がわかると私はよく居留守を使った。M氏と飲みに行く機会もよくあった。M氏は、「最近論文を書くので本当に忙しい。」とよく言い、助手とは思えないアホな話をする。よく、「何かあったらオレのところへ来い」とも言う。飲み終わって店を出るとき、M氏は「サイフ忘れた」または「サイフ落とした」をよく言った。「そんな何回も落とすことってあんの?」と、オレたちは一緒に探し回りながら思った。私など雨の中や夜中のY山で蚊に刺されながら一緒に探した。「どうも、うさんくさい」と思ったがM氏の必死に探す様を見ると口には出せなかった。

5、げんじとり

これだけは書いておかなければならないのが、「クワガタ採り」だ。M氏いわく「げんじとり(関西ではこう呼ぶ)」。Y山には少数ながらクワガタが生息している。M氏はオオクワガタを見つけて売ろう(大きいものになると数十万円もする)とよく我々を「げんじとり」にさそった。私も一緒に行ったものだった。木にキックするとクワガタがびっくりして落ちるのだ。時間は夜中か早朝で、よく木につまづいたり蚊に刺されたりした。ただ飲みにさそっといて軍手持ってくるのはやめてよね。

6、スーパーファミコン

5月6月とそういうペースで過ぎていく。話は変わるが、××部の一部はTVゲームが大好きだ。U飼、私と並ぶ部屋は常にゲームの雰囲気にみちている。M氏はスーパーファミコンを始めたといってソフトをよく借りていった。私たちも気前よく貸してあげた。でも彼はなかなか返さないのだ。何か変だなという感じがした。

(つづく)

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165.まにあわない 2003.07.12

Sさんという女性の話である。阪急京都線の特急に乗っていたところ、向こうから性器を露出した男がすごい勢いで走ってきた。そして、Sさんたちに向かって手を伸ばしながら、息せき切って叫んだ。

「ティッシュちょうだい!ティッシュ!!」

Sさんたちがおびえてどうしたらいいかわからないでいると、男は絶望した調子で

「ああ、もうまにあわへん!!」

と叫んで、隣の車両に向かって駆けていった。

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164.ルンビニ太鼓 2003.07.11

蚊にさされやすい人というのがいる。蚊にもこの人はうまそうだとか、まずそうだとか好みがあるのだろう。同じように、不思議な人に妙に好かれる人というのもいる。Yさんの友達のMさん(女性)もその一人である。

たとえば学生の頃、下校中に男に声をかけられるということがあった。

「いつも見てたんです。この人しかいない、って。ぜひ僕の『ルンビニ太鼓』を聴いてください!!」

そして、「ルンビニ太鼓」なる妙な楽器の演奏を聴かされた。聴かされてどうなったかというと、どうもしなかったらしい。

また、こんなことがあった。また別の男に、つきあってください、と頼まれた。それはできない、と断ると、男は言った。

「じゃあ、せめてこれを読んでください」

もらったものを見ると、「聖教新聞」が入っていた。

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163.お母さんが楽しい 2003.07.10

1992年ごろ、神戸電子専門学校というところで大学入試の模擬試験を受けた。そのとき、机の中から女の字(鉛筆書き)が書かれたB5かA4ぐらいの紙が出てきた。

Hello 田上さん

昨日7分の電車にのった!?見えなかったけど。。。

37分の電車(朝のよ)今日停電しちゃって動かんの!

けっこうおもしろかったわ。電車の内だけ暗いってのも

地下だったからかもしんない。。。

裏返すと、このようなことが書いてあった。

お母さんが楽しい.

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162.イングリッシュばばあ 2003.07.09

中学にいた頃、学校の近所に「クレイジーばばあ」あるいは「イングリッシュばばあ(略してインババ)」と呼ばれて恐れられている中年女がいた。女は

「ユーゴーツースクール!?」

などと叫びながら、通学中の私たちをほうきで殴りつけた。また、

「スルウー」

「リターン」

と唱えながら自転車で行ったり来たりしていた。

ある日私とSが公衆電話で電話帳を読んでいると、インババが現れて

「なにしとるんや」

と激しく迫ってきた。私たちは、近所の「ベルサイユ」というラブホテルが電話帳に載っているか、などということを調べていたので、何と答えていいかわからなくて黙っていた。するとインババはますますいきり立ち

「電話にいたずらしちゃ駄目あそばせよ」

と言い捨てて去った。

インババはある時を境に突然姿を消した。なぜかはよくわからない。雷に打たれて死んだともいわれている。

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161.田中角栄が私を殺す 2003.07.08(07.09追記)

大阪の地下鉄は「出会い」の場だった。さまざまな男たちが私の前を通り過ぎていった。以下は、そのうち印象深かったいくつかのエピソードである。

【字数指定なし】

【追記】2003.07.09

読者「猫茶漬」様から、メールにて情報いただきました。ありがとうございます。(以下引用)

4人のうち、3人を知っていました。

「田中角栄が私を殺す」の看板のおっちゃんは、5〜6年前には、毎日、裁判所の北門前に現れて、朝から晩まで拡声器を持って早口でなんかしゃべっていました。警備の人に追われると、今度は西門の前でなんか言っていました。夕方になると、看板と拡声器をチャリにのっけて、どこかへ帰っていく様子でした。
そういえば、この人がいつも持っている紙の手提げ袋は、手作り看板とお揃いのデザインで、細かい字でびっしり田中角栄の悪口が書かれてありました。余白を絶対残さない書き方がセオリー通りだなといつも思っていました。

淀屋橋ゴッホは、先日、店じまいの際に、作品を一枚忘れて帰りました。翌朝、私は同じ場所を逆方向に通りかかりましたが、絵はそのまま無事でした。

電車を殴る男は、一時期、毎朝のように遭遇していました。いつも本町で降りて、ホームから電車の外壁を蹴って歩くので、こわいなぁと思って見ていると、偶然目が合ってしまって、すると、男はこちらめがけて走ってきて、私が座っている座席の真後ろをおもいっきし蹴りました。メンチ切られたときの反応はヤクザより早かったです。この人は、乗車中は、座席の下(金属板の簀の子みたいなやつ)をよく蹴っていました。

あと、おまけ。
今日の帰りの御堂筋線の中で、私の正面に座っていた若い男の人が、少し謎めいていました。ぱっと見「おしゃれに関心はないが、こざっぱりはしている自宅通学の学生」風で、栄養状態も挙動もまったく普通で、知性すら感じる風貌なのですが、右の胸と左の胸にひとつずつ、直径6〜7センチの白い缶バッジをつけていて、その一方には
「やせたい?
 知りたい?
 私に聞いて!!」
という文字が日本語で、
もう一方にはおそらく同趣旨のことが横文字で書かれてありました。
いったい、どういうことでしょう。

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