ハイリハイリフレ背後霊過去ログ151〜160




160.キリンは首が長い 2003.07.07

昔、「十回言ってみて」というのがはやった。例えばこのようなものである。

「ピザって十回言って」

「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」

「ここはなんていうところ?」(と言いながらひじを指さす)

「ひざ…違う、ひじや」

Nの友人で、橋口という名前なので「グッチ」と呼ばれている男がいた。グッチは、あまりにもこの手のいたずらにひっかかりまくったので、くやしくて自分も問題を出すことにした。

グッチ「地球って十回言って」

N「地球地球地球地球地球地球地球地球地球地球」

グッチ「首が長い動物は?」

N「…?キリン?」

どうやらそれが正解だったらしく、グッチは地団駄を踏んでくやしがった。

「グッチは本当は何と言ってほしかったのか?」

それから十年以上たったが、いまだにNにはわからないのである。

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159.吊り天井 2003.07.06

からくり屋敷には独特の魅力がある。古事記にも、からくり屋敷を使って神武天皇を殺そうとするエピソードが出てくるが、この話をわざわざ書きとめたということは、昔の人も面白いと思ったからなのであろう。もし私が自由に家を作っていいことになったら、扉はぜひ「どんでん返し」にしたいと思っている。槍で天井を突く、というのも一度はやってみたい。

さて、友人たちと高山という町に観光に行ったことがある。昔の町並みという区域があり、そこをぶらぶらしていたところ、思いがけなくからくり屋敷を発見した。正確な名称は「飛騨民族考古館」で、案内のチラシによると次のような施設である。

高山城主金森氏の御典医、上田玄泰の住跡を一般公開したものです。この上田邸は、永い年月の間、不思議なほどほとんど修理の手が加えられていません。腐朽していない湯殿や井戸も江戸時代そのままにまた、本座敷のツリ天井、忍者窓、中庭から宮川に通ずる抜け穴など、特殊な仕掛けが随所にあって興味深く観覧していただけます。土蔵内には飛騨一円から集められた石器、土器、古民芸、古文書、古美術など約千点を展示しております。

大体この解説のとおりで、普通の博物館であった。ツリ天井は、天井裏の紐を切ると天井が落ちてくるという仕掛けらしく、実演はしてもらえなかった。抜け穴は、雪に埋もれていて見えなかった。そういうわけで、伊賀や甲賀の忍者屋敷を訪れたときのような面白さはなかったのだが、案内のおっさんに味があってよかった。

「下水工事をしていて抜け穴を発見しました」

「ここの城主は影武者の…忍者が…」

といった解説をこの上なくうれしそうな、味のある表情でしてくれるのだ。以来、私にとって高山のイメージは「下水工事をしていたら抜け穴が見つかる町」なのである。

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158.笑う河童 2003.07.04

「にゃんまげ」で有名な時代村の一つ「加賀百万石時代村」に行ったことがある。不便すぎる場所にあるからか、客はまばらだった。もともとは立派な施設だったらしいのだが、客が来ないためか、かなり寂しい場所になってしまっていた。

その日は曇りだった。「大願成就の河童堂」という施設があったので入ってみると、受付の人すらいない建物の中で、河童のロボットたちが自動的にアトラクションを繰り広げていた。私たちの他に客はいなかった。通路にしたがってある部屋に入ると、センサーが働いたのか壁にサイケな花模様が浮かびあがった。そして、どこからか女の河童の笑い声が聞こえてきた。

『ホホホ…ホホホホ…。花よ。花には水よ!ホホホホ…ホホホ…』

「狂っている」

私はつぶやいた。

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157.尿をばらまく男 2003.07.03

彦根のT君が高校生の頃の話である。T君の友人で、皆の前で自分の陰茎をペットボトルの口に入れてみせていたところ抜けなくなって大変困った、という男がいた。「なんだか気持ちよかった」というから本当に馬鹿である。

さて、その日は検尿のため、クラス中の者の尿が机の上のビニール袋に集められていた。豪傑ぶった男子や恥ずかしがる女子がいるのはいつものことで、平和な朝だった。そこへ、件の男が息せき切ってやってきた。遅刻しそうになったらしい。彼もまたビニール袋に自分の尿が入った紙袋を入れようとしたのだが、誤って床に落としてしまった。落ちたとき、袋の折り畳み方が弱かったのか、中のプラスチックケースが外に転がり出た。T君によると、「『ここまで』の線を越えて満タン入っていた」ということである。

男は…容器が飛び出したことがか、満タンだったことがかはわからないが…恥ずかしさに動転し、予想外の行動に出た。いきなりビニール袋をひっくり返し、全員の尿入り紙袋をばらまきはじめたのである。教室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。悪いことに、他にも紙袋の折り畳み方が弱かった者が何人かいたらしく、中身が飛び出して混じってしまった。また、そのうちの一人は女子で、泣きだしてしまった。そこで始業のチャイムが鳴った。

教室に入ってきた先生は、騒ぐ者、泣きわめく者、そして検尿の袋をそのあたりに飛び散らせながら自分の尿のケースを探す男を見て言った。

「お前は何をやっとるんだ?」

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156.舐めたら治るんじゃ 2003.07.02

彦根のT君が、就職活動のため大阪に行ったときのことだ。地下鉄御堂筋線の梅田駅で、彼は裸足で行ったり来たりする男を目撃した。男は40歳ぐらい、ひげを生やしていて、濃いめの青色の作業着を着ていた。オタク趣味の彼によると「(アニメ監督の)庵野秀明が眼鏡を外したかんじ」だったということである。走りまわって汗をかいているからか、男が通過するたびにすえた臭いがした。

男は走りながらずっと意味のわからないことを喋っていたのだが、よく聞いてみると、このようなことだった。

「痔ぃなんて舐めたら治るんじゃ!!」

T君は電車で本町という駅に行き、そこで中央線に乗り換えたのだが、なぜかそこでもさっきの男に会った。どうやら同じ電車に乗っていたらしい。本町では、男はポスターに向かって

「おまえなんや」

「おまえどこ住んどんじゃ」

ということを話しかけていたらしい。その後堺筋本町という駅でT君は降りたのだが、そのときはもう男はいなかった。それにしても、誰かに舐めてもらったら痔が治ったのか、誰かを舐めて治してあげたのか、気になるところである。

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155.すべての学友諸君! 2003.07.01

大学にいた頃は、中核派や革マル派のアジビラを毎日のようにもらった。タテカンといえばかぎ文字で書くものだと思っていた。テニスサークルの勧誘と女問研のオルグは同じようなものだった。寮に機動隊がガサ入れに来るのは年中行事だった。壁には「造反有理」「偉大的領袖毛沢東万才!」「無産階級文化大革命万才!」というアナクロな落書きがあったし、赤軍派がリアルタイムで活動していたころのステッカーが便所に残っていたりもした。その時代を思い出させてくれたのが次のビラだ。1993年頃のもので、掃除をしていたら出てきた。今となっては貴重なものだが、当時は紙屑あつかいだった。

権力の走狗・中核派を一掃しよう!

マル学同革マル派×大支部

すべての学友諸君!

さる四月二十四、五日に、内閣副総理におさまった後藤田正晴を頭目とする権力内謀略グループは、ここ京都の神社・仏閣や旧華族関係施設、交番への「爆弾・放火ゲリラ」をおこなった。そして、この国家権力謀略グループのおこなった「ゲリラ」をまたしても権力の走狗中核派が追認し「過激派によるゲリラ」なるものの演出に手を貸し、もって後藤田正晴ら権力者のもくろむ破壊活動防止法の適用をもつうじた治安弾圧体制の一挙的な強化を下支えしているのだ。

私たちは、こうした謀略ゲリラをも演出しての治安弾圧体制の強化を許さないと同時に、後藤田正晴を頭目とする権力内謀略グループの意を受け、「ゲリラ」をみずからの戦果として追認する走狗中核派を×大から一掃していかなければならない。

中核派と革マル派はもともと同じセクトだったのだが、路線の違いから分裂した。中核派が大衆運動を盛り上げて革命を実現しようとするのに対し、革マル派は理論武装と少数精鋭を主張した、というイメージである。両者ともに相手のことを「権力の走狗」と呼び、警察とつるんで反革命活動をしている、と罵倒しあっている。罵倒のみならず、いわゆる「内ゲバ」と呼ばれる暴力沙汰もときどき起こった。「××君虐殺許すな!権力の走狗カクマル派を一掃しよう」というビラやステッカーもよく見かけたものだ。

なお、中核派は革マル派を「カクマル」と呼ぶ。「革命」の「革」の字を使うに値しない、ということで、軽蔑してカタカナで書くのである。これに対し、革マル派は中核派のことを「ウジ虫」と呼ぶ。革マル派は他セクトのことを「青虫」「ゴキブリ」などと呼ぶなど、口が悪い。

後に他の大学出身の人と喋っていて、上のような話がまったく通じないので驚いたものである。

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154.クッキーモンスター 2003.06.30

Yさんがケーキ屋で並んでいたところ、目の焦点があっていない、ちょっと 「あれ」な感じの女が入ってきた。女は試食用のクッキーを一つ一つ指で押してまわり、一通り全部押してから出ていった。並んでいた人たちは皆、口には出さなかったが、なんだ今の女は、という顔をしていた。そこに何も知らない幸せなカップルが入ってきた。

「わー、これおいしそー」

カップルの女のほうが、さっき変な女が触ったサンプルを手に取った。

「あっ、それはさっきの…」

まわりの人たちは口には出さなかったが、皆同じような表情で、カップルの動向を固唾を飲んで見守った。

残念ながらここでYさんは店を出てしまったので、その後どうなったかはわからない。

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153.やっぱりデブが好き 2003.06.29

子供はデブが大好きだ。漫画「北斗の拳」の、「ハート様」の人気ぶりを想起せよ。かつてあらゆる小学校にハート様というあだ名の子供が存在した。今は別のキャラクターに変わっているかもしれないが、似たようなことはおそらく行われているだろう。

Yさんの友人のTさん(女性)もまた、デブ好きの一人である。もっとも、子供の場合とは違って「デブな異性が好き」ということである。この「Tさんはデブ専だ」という話は有名なので、Tさんのところにはしょっちゅういろいろな人から情報が寄せられる。

「Tさんが好きそうな人今日見たでー。汗だっらだらかきながら、時刻表ながめてうなってるんだよ〜。ショルダーバッグをを二つたすきがけにしてさあー。駅でひとりで『あ゛ー…』ってずっとうなってんの。Tさんそんな人大好きでしょー」

Tさんはそのたびに必死になって否定する。

「違いますっ。わたしが好きなのはさわやかなデブなんです!!そんなんといっしょにしないでください!」

具体的にはプロゴルファーの丸山茂樹とか、元相撲取りの舞の海などが好みらしい。

しかし、「さわやかなデブが好き」より「デブが好き」「とにかくデブが好き」「デブでないといけない」のほうが話としては面白い。そして、世間の人は面白くない話よりも面白い話のほうが好きである。だから、彼女の真意からは少し歪んだ情報だけが世間では一人歩きしてしまう。そういうわけで、彼女は今日も同じ説明を繰り返しつづけないといけないのである。

「違いますっ。何回言ったらわかるんですか!わたしが好きなのはあくまでもさわやかなデブなんです!!」

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152.いっしょにしないでください 2003.06.28

昔、ロボットのプラモデルは十把ひとからげにして「ガンダム」、ゲームは「ファミコン」、女の子向けのプラスチックの小さな人形は「リカちゃん人形」と呼ばれていた。大人たちの無理解にたいして、我々の胸中にはこんな思いが渦巻いていたはずである。

「ガンダムとダンバインをいっしょにしないでください」

「ファミコンとメガドラをいっしょにしないでください」

「リカちゃんとジェニーをいっしょにしないでください」

さて今、「いっしょにしないでください」という言葉をはやらせようと努力している。別にはやったからといって得をするわけではないのだが、ただ面白いからである。

たとえば、以下のように使う。

「暴走族か走り屋か知らんけど、そういうやつらが来て」

「暴走族と走り屋は全然違いますよ。いっしょにしないでください!!

「そしたら、そこに電柱か鉄塔か、まあそういうもんがあってな」

「電柱と鉄塔は全然違いますよ。いっしょにしないでください!!

自分で使うのも良いが、人を巧みに誘導してこの言葉を言わせる、というのも面白い。イルカマニアのF君の前でわざと「イルカ」と「シャチ」を混同してみせたり、プロレス好きのN君の前でわざと「ライオネス飛鳥」と「ダイナマイト関西」を間違えてみたり、鉄道好きのW君の前でわざと「キハ」と「クモハ」をごちゃごちゃにしてみせたりする。いきおいづいて相手が説明をはじめたら、頃合を見て言うのだ。

「そんなんどっちでもええやん。おんなじようなもんやろ」

いっしょにしないでください!!

(注)電柱と鉄塔の違い:例えば、電柱はワイヤで補強してもよいが、鉄塔はいけないなど。(電気設備技術基準の解釈第62条『架空電線路の支持物として使用する鉄塔は、支線を用いてその強度を分担させないこと』)全然違う。

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151.死霊の盆踊り 2003.06.27

「死霊の盆踊り」というアメリカ映画がある。道路で事故にあった男女が、死霊たちの饗宴の場に迷いこんでしまう。二人は捕えられ、死霊たち(なぜか皆裸の若い女の姿をしている)の踊りをいつまでもいつまでも見せられる、というだけの筋である。タイトルにだまされて私も見てしまったのだが、ひたすら退屈だった。どうしたらこんな話が思い付くのか理解に苦しむ。

昔、「らんま1/2」という漫画で「秘技・死霊の盆踊り」というものが出てきた。ある掲示板で、これについてしたり顔で語る奴がいてあきれたものだ。

「この話の中には『死霊の盆踊り』という言葉が出てきた。この頃作者は○○(さまざまな憶測)によって精神的に疲れていたにちがいない。そのことが無意識的に『死霊』という言葉になって現れたのだ」

今だったら笑って読み飛ばしているところだが、その頃私は真面目だったので、これを看過することができなかった。

「『死霊の盆踊り』はエド・ウッド監督の有名な馬鹿ホラー映画の題名であって、作者がその手の映画好きであることを考えると、ギャグとして出てくるのは極めて自然である。知った風なことを書かないでほしい」

しかし、次のような指摘がまた別の人からなされ、私もまた恥をかくはめになった。

「『死霊の盆踊り』の監督はエド・ウッドではありません。エド・ウッドは脚本を書いただけです」

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