ハイリハイリフレ背後霊過去ログ1〜10 |
10.なぞ(「カラス・インフラ・予言」三題噺) | 2003.01.24 |
なぞほど面白いものはない。それが何かわからないということは、どんなものでもありうるということだからである。
私の友人が引っ越し屋でアルバイトをしていたとき、使い走りをさせられたことがあった。「ムーシーロ」という食べ物を買ってこいというのである。「ムーシーロ」とは一体何のことなのか。彼は知らなかったが、とりあえず言われるままに買いに行った。店員は、ああムーシーロね、と言って包みをくれたという。結局、ムーシーロの正体はわからなかった。
私はこの話を聞いて、ムーシーロとはどんな食べ物なのだろうか、と大いに興味をそそられた。その後、念願かなって私は現実のムーシーロを食べる機会を得ることができた。しかし、それは想像していたほどうまいものではなく、がっかりさせられた。
また、こんな話をニュースで聞いたことがある。とても人間には入れそうにない場所にある線路に、置き石をする者がいた。はたして犯人は誰なのか、と、鉄道関係者たちは首をひねった。たくみなトリックを使っているとか、宇宙人の仕業であるとか、多くの説が飛びかった。ところが、カメラを設置して調べてみると、実際の犯人はただの カラスであった。カラスが石を並べて遊んでいただけだったのである。
以上の例からわかるとおり、なぞはなぞのままでいるときが一番面白い。なぞは一旦解けてしまうと、「なんだこんなものか」と思われてしまい、輝きを失ってしまうからである。これも、正体がなぞだからこその楽しみである。
最近気になっている言葉は「インフラ」「クシティガルバ」「ナッチョス」である。どれもとてもうまそうな語感である。しかし残念なのは、それらも本当はつまらない言葉なのだろうな、と 予言せざるを得ないことである。
【800字】
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9.すぐ返すから百円貸して | 2003.01.23 |
高校時代、私の学年で「すぐ返すから百円貸して」と言って百円を借り、相手が百円玉を貸すとすかさず十円玉十枚で返す、という遊びがはやった。私がそれを後輩に伝えたところ、その学年でも大流行し、千円札を十円玉百枚で返すまでに発展した。さらに、これが原因で殴り合う者もいた。
【字数指定なし】
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8.爆裂弾記 | 2003.01.22 |
『爆発は男のロマンだ!』ある漫画家はそう喝破した。しかし、男も女も関係なく、人類は爆発が好きだというのが私の主張である。そうでなければ、爆発シーンが映画やドラマやアニメでこれほど好まれている説明がつかないではないか?「おれは爆弾なんか嫌いだ」と言う人も、花火やロケットは好きであろう。爆弾も花火もロケットもミサイルも元は同じものだ。
火を見ていると、気分がハイになってくる。爆発とは「音を伴った激しい燃焼」のことである。つまり、爆発は火の親玉だ。どうして爆発を目にして心躍らないことがあろうか、いやないのである。
例えば、こんな話を聞いて心が動かされないだろうか。…
私の友人は中学生の頃、花火を大量にほぐして火薬を集め、菓子「ジュ〜C」の容器のプラスチック製円筒にそれをため込んだ。そしてそれを、近所の公園の高さ50センチぐらいの小山に突き刺して点火した。導火線としてはちり紙で作ったこよりを用いた。遠くで隠れて様子をうかがっていると、爆発音がした。戻ってみると、山がなくなっていた。
また、こんな話もある。…
私の先輩の友人が焚き火の中にスプレーの缶を放り込んだところ、大爆発が起こり、跡地にはクレーターができた。
実に痛快な話ではないか?
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私の友人に、バスマニアの男がいる。電車マニアに比べると数は少ないが、そういう人もいるのだ。近くを走るバスのエンジン音を聴いて「あれは、日野の○○型だな」とすぐにわかるような男だ。物事を追及してしまう性格の彼は、当然火薬にも深い関心を示した。以下、彼の実験についてまとめてみたい。
鉛筆に付ける、先端が三角錐になっているキャップがある。これに、爆竹を入れて点火した。→キャップは切れ込みのところから裂けた。裂けることによって威力が減衰した。
キャップが裂けないように、針金でぐるぐる巻きにした。また、爆竹をほぐして火薬そのものを集め、キャップに詰めて点火した。→キャップは裂けず、粉々に飛び散った。
bの改良型。さらに、導火線が動かないよう、ロウによって固定しようとした。その作業中、火のついたロウソクを近づけていて(目的のためにあたりが見えなくなる、典型的なパターンである)、導火線に誤って火を付けてしまった。びっくりして隣の部屋に投げ込んだところ、そこには彼の兄がいた。「パン!」という音がして、兄の「わーっ!」という声が聞こえてきた。
キャップでは入る火薬の量も少なく、また容器が弱くてすぐ壊れ、威力が落ちるため、より頑丈で大きい鉛筆延長用の金属円筒を用い、同様の実験を行った。その際、近所に落ちていたカボチャ(???)に筒を突き刺すことで威力を試した。→あたり一面が黄色くなった。円筒は完全に粉々になり、破片を見つけることもできなかった。
彼は新聞で読んだある事件をきっかけに火薬の実験をやめた。それは、火薬で遊んでいた中学生が左手首と、右手の指いくつかを吹き飛ばしたという事件であった。「たぶん、左手で持った筒に右手で火薬をそそぎ込んでいて爆発したんだろう」と彼は推測している。とにかく、これ以来彼は実験をやめたのだという。
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バスマニアの友人を焚付けて、平成9年7月25日、彼の住む学生寮の前の空き地で、私は粉塵爆発の実験を行った。
粉塵爆発とは、表面積の大きい粉状の物体が十分な量の空気と混じったとき、激しく燃焼する現象である。小麦粉の倉庫などで時々事故が起こっている。この現象の実験の仕方は、私が小学校3年生の時に読んだ子供向けの理科の本に載っていた。それは、箱の中に火のついたロウソクを立て、その近くに小麦粉を撒き、管で息を吹き込んで小麦粉を吹き上げ点火する、というものだった。詳しいやり方は忘れてしまったが、確かそういうことが書いてあった。当時同級生の女の子が、その通りにして成功し、粉だらけになったということを言っていた。私はその話が忘れられず、いつか自分でもやってみたいと思っていたのである。
【実験の概要】→いたずらに顔が粉だらけになるだけで、爆発は起こらなかった。マッチの火は袋の底の小麦粉の堆積層に触れるとすぐ消えた。
☆小麦粉は粒子が重く、飛び散ってもすぐに下に落ちてしまうのが原因か?息を吹き込んでから火を入れるのではなく、二つを同時に行わなければうまくいかないようである。小麦粉を篩にかけて軽い粒子を選び出すとか、もっと大きな袋で盛大にやるとかしないといけない。
→袋だけが燃えて、粉はあとに残った。
☆粉も固まっていれば砂と同じで、当然の結果である。
→着火はしなかったが、爆竹は粉の飛散にはかなりの威力を持つことがわかった。
なお、この時私は箱の口の前にいたため、衝撃波をまともに食らい、耳がしばらく痛かった。次からは爆竹への着火を遠くから行うため蚊取り線香を用いることにした。
→粉はかなりの勢いをもって飛び散り、箱の口から吹き出した。着火は確認されなかった。
☆箱の中の空気中の粉体濃度はかなりのものがあり、あの状態で火を付けることができれば粉塵爆発を引き起こすことも可能かも知れない。
→爆風で粉は激しく飛散、一瞬箱の中が赤く光ったが、粉塵爆発によるものかどうかは確認できず。
☆マッチの火が粉塵爆発を引き起こす前に爆竹の爆風で消えてしまうかもしれず、いい方法とは言えない。一瞬光ったのも
マッチの火が吹き消されたとき一瞬火が大きくなった。
爆竹の爆発による光が見えた。
粉塵爆発が起こった。
の3通りが考えられ、どうもはっきりしない。火薬の爆発を使うというアイデアは良いのだが、あとに起こる(はずの)粉塵爆発と区別が付かないという欠点がある。
以上で、その日の実験は終わった。
【問題点】空気と粉体が十分に混じっていなかったのではないか?
着火に必要なエネルギーが十分でなかったのではないか?
小麦粉の粒子が大きすぎたのではないか?また、湿っていたのではないか?
もっと広い空間で盛大に粉を吹き上げ、よく空気(できれば酸素)を混ぜ合わせる。
マッチの火よりも強い点火原(石油ランプ等)を用意する。
小麦粉ではなく、ベーキングパウダーやかたくり粉を使ってみる。また、実験前にフライパンで炒るなどして水分を抜いておく。
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最近はなかなか暇が無くて実験もままならない。誰か続きをやってくれないだろうか。
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7.蚊 | 2003.01.21 |
夏になると蚊が発生する。蚊に刺されるとかゆい。そして、かゆいのは不快である。だから、人々はなんとか蚊を身の回りから遠ざけようとするのである。だが、いかに注意したところで蚊は必ずどこかから侵入してくる。そこで僕は考えた。なぜかゆいのか?蚊が刺したとき、毒を残していくからだ。「それなら、」僕は思った。「予防接種をすればいいのだ」
僕は蚊をたくさん集めてすりつぶし、体液を集めた。そして、それを注射器に詰めた。「これで、快適に過ごすことができる」しかし、僕は自分の考えが甘かったことを知った。注射器を突き立てたとたん、左腕から胸にかけて直径30センチほどの円形の「腫れ」が見る見るうちに出来上がり、その「腫れ」は11月まで引かなかったからである。
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6.犯人逮捕に協力しよう | 2003.01.20 |
大学に通っていた頃、寮に自称アフガニスタン人のBという男がいた。Bは自分の部屋に「B研究室」という名前を付けていた。Bの研究についてはよく分からないが、とにかく彼はそこら中に自分の主張のようなものを貼って回っていた。
どういうことが書いてあるかというと、こんなことである。日本政府その他が、外国人である自分を排斥しようとして、「神経攻撃」をかけてくる。そのせいで、「部屋の本棚のネジがゆるめられ」たり、「便器に銀色の蓋のようなものをかぶせられ」(意味不明)たりし、自分はすごい精神的被害を受けている。また、そういった攻撃によって体にも変調が生じ、「皮膚がぴりぴり」したり、「性器から膿が出」たり、50あまりの症状が出ている。これらの不当な行為を行う「犯人」に対して、団結して戦っていこうではないか。
Bはこういった主張を時々放送でも行っていたが、賛同者はいなかったようである。部屋のドアには「○年分の滞納した寮費を早く払ってください」という紙が貼ってあり、その紙には彼の筆跡でこんな書き込みがしてあった。
「こんなことをいう人は犯人です。犯人団逮捕に協力しましょう」
B関係で刃傷沙汰を起こしたものもいる。武器マニアの某、という男がいた。粗暴な男で、すぐカッとなってナイフを振り回したりするのだった。彼があるとき廊下に「武器」を置いていたところ、どこかに行ってしまった。彼は、これはBの仕業に違いないと確信し(根拠ナシ)、突然Bの部屋に暴れ込み、備品のいくつかを破壊したそうである。後日、彼はまた他の人間に斬りかかってかなりの傷を負わせ、寮から追放されてしまった。
その後、これらの事件について述べた壁新聞が寮食堂に貼られた。それにはこんなことが書かれていた。「Bさんは外国人差別と戦う立派な人間で…それを襲った某の犯行は日本人の排他的な差別主義にもとづくもので…このようなカクマル的な腐った精神を、われわれは糾弾しなくてはならない!」
そういう問題ではないと思った。
【字数制限なし】
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5.コックリさん | 2003.01.18 |
「コックリさん」というものがある。なんでも、コインに指をのせて質問すると指が勝手に動いて文字を指し、何でも答えてくれるらしい。「恐怖の心霊写真集」で一部で有名な中岡俊哉の著書「狐狗狸さんの秘密」(二見書房)によると、「恐ろしいほどよく当たる」らしい。
物の本によるとコックリさんの起源は一九世紀のヨーロッパの「テーブルターニング」にあるという。机の上に小さいテーブルを置き、みんなで手をのせるとかたかたふるえ出す。その時一回叩いたら「A」、二回叩いたら「B」というふうにメッセージが伝えられるのである。これがもっと洗練されて「ウィジャ盤」というものになった。これは文字がいっぱい書いてある道具で、心霊が装置を通じて直接文字を指してくれるので、音を勘定する必要がなく、やりやすかった。このウィジャ盤が船員によって日本に伝えられ、エンゼル様とかキューピッド様と呼ばれたが、やがて「コックリさん」という名称が定着した。割り箸を三本束ねて文字を書いた紙の上を歩かせたり、コインを滑らせたり、いろいろやり方があるそうだ。
一九世紀のヨーロッパでは心霊主義が大流行していた。コナン・ドイルやエジソンが心霊に凝っていたのは有名な話である。心霊写真やテレパシーやクレヤボヤンスやテレキネシスといった術語も皆この頃できた言葉である。(ちなみに「念写」は日本で提唱されたもの)文豪ヴィクトル・ユーゴーもテーブルターニングに凝っていた。彼はどこかの島の別荘に引きこもり、二年間毎日何時間も友達とコックリさんをやりつづけた。その際の交信記録が今に残っているが、きわめて膨大な量である。
「ヴィクトル・ユーゴーと降霊術」(稲垣直樹、水声社)という本には、この交信記録の日本語訳が載っている。さすがは文豪のところに降りる霊だけあって、キツネやタヌキといった低級霊ではない。ナポレオンとかカエサルといった大物ばかりである。「世界精神」とか「都市」といった抽象的概念までも降りている。話の内容も実に高級で、「○○君と同じクラスになれますか?」なんてものではない。人類の未来や地球の運命について深く論じたものばかりである。
大学生の時、稲垣先生のフランス語の授業でこの「コックリさんの記録」を読まされたのだが(だからこんな本を持っている)、一日分の分量が実にとんでもなかった。あれを「コツコツコツコツ…26回だからZ、コツコツコツ、3回だからC、…」という調子でやっていたかと思うと気が遠くなる。現に参加していたうちの一人はおかしくなってしまったという。まったく天才のそばにいるとろくなことがない。
私がコックリさんの実験をしたのは平成6年の冬のことである。T君がくれた「狐狗狸さんの秘密」に、コックリさんをやるための道具(といっても50音と数字と「はい」「いいえ」が書かれた紙切れ一枚だが)が入っていたので、これは一度やらなくてはということになったのである。
私の部屋に4人の男たちが集まり、儀式は始まった。
まず明かりを暗くして(ロウソクがないので寝るときに使う赤い電球をつけた)窓を開け、外に向かって「コックリさんコックリさんおいでください」と呼びかける。近所に聞こえるのが恥ずかしかったが、とりあえずやった。
次に用紙の上に10円玉を置き、その上に指を置いた。
ところがここでみんな笑ってしまうのである。「まじめにやらんか!コックリさんがお怒りになるぞ」と私はいうのだが、どうもああいうときに人は笑ってしまうらしい。私もつい笑ってしまった。
そのうち笑いも収まったので、質問を開始した。確かこんな感じだった。
(T君)「今年の相撲では、誰が優勝しますか?」
(コックリさん)「(沈黙)」
(私)「みんな力入れすぎや。軽くのせるだけにしてくれ」
(T君)「相撲では誰が優勝しますか?」
(コックリさん)「た…」
(皆)「お、お、…」
(コックリさん)「…2」
(皆)「ああー」
(T君)「それは貴乃花ですか?」
(コックリさん)「…1」
(T君)「質問かえましょか。ここは誰の部屋ですか?」
(コックリさん)「…お…お…や…ま…ま…」
(皆)「おお!」
(コックリさん)「いいえ」
(皆)「あああ」
(私)「お前らの信じる心がたらんのや。字を見てるからお前らの雑念が混じるんや。俺が見といたるからみんな目つぶってやってみい。笑うなよ!
今年の相撲では誰が優勝しますか?
…『ん』…『はい』…『1』…ああ、そっちは何も書いてないって!」
実験はその後もつづけらられたが、いい結果を出すことはできなかった。T君は、一度だけうまくいったように見えた「おおやまま…」の時力を入れて10円玉を恣意的に操作したことを告白した。結局コックリさんは我々の前に現れてはくれなかった。こうして実験は失敗に終わったのである。
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【参考】同じ話をT君が記録したもの(都合により一部名前を差し替え)
降霊実験
コックリさんが小学生の頃はやり、Aという女の子が前後不覚に陥った事があった。彼女は日本語を解せず、ただ目が爛々と輝いていた。小学生の身にこの事件は衝撃で、みな真剣に霊の存在を信じて恐れおののいた。中学の同級だったSと言う男の友人は、コックリさんで気に入らぬ奴を呪い殺したらしい。Sの友人はコックリさんを呼び、仲の悪い奴を殺すように頼んだ。彼の話す所によると、コックリさんの紙に書く鳥居を二重に書くと、より強い霊が呼ばれるらしい。そして鳥居を二重に描いてコックリさんを呼び、気に入らぬ者を殺すようにコックリさんに頼んだ。数日後、呪いをかけられた者は事故で死んだ。強い霊は本当に殺してしまったのである。彼はSに「本当に死ぬとは思わなかった…」と沈痛な表情で語ったらしい。
私は幼少時はオカルト的なものを信じてしまう方で、ノストラダムスに心底脅えた時期もあった。毎日近くの神社に行き、「大予言が当たりませんように」と祈った。矢追純一のUFO番組も欠かさず見て、MJ12や宇宙人リトルグレイの影に脅えた。しかしグレイも落ちぶれたものである。私が中学生の頃は矢追純一を信じる青少年に恐れられていたというのに、今や人形になったり、キーホルダーになったり、Tシャツになったり…。サンリオのキャラクターと同等の扱いを受けている。かつてキャトルミューティレーションをしまくっていた頃のグレイの恐ろしさ知る身としては、寂しい限りである。
勿論大学生にもなってオカルトを信じていたわけではない。しかし霊とかUFOとかは好きで、その手の本は古本屋でしばしば買った。そんな中に、「コックリさんの秘密」という本がある。「心霊科学者」中岡俊哉の著書である。この人には小学生の頃はよく怖がらせてもらったが、この本を買った頃は別の意味で楽しんでいた。この本にはコックリさんのしかたが事細かに書かれており、コックリさんを召喚するのに使う台紙も付録として着いていた。私は仲間数人で京都に集まり、実際にやってみることにした。場所は京都の大山氏の下宿である。
まず杯に酒を酌む。
「コックリさん、コックリさん、おいでください」
大山氏は窓を開けて言った。
「恥ずかしないか?」
ここでT氏が笑いながら突っ込みを入れる。一同は笑い転げた。もとより酒を飲みながらの降霊実験である。真剣にやろうとしている者はいない。
「おまえら笑うな、コックリさんがお怒りになるやないか」
大山氏は言うが、その言葉に説得力はない。
一同「ここはどこですか?」
コックリさん「…(無言)」
大山氏「おまえらの信心が足りんからコックリさんが来んのや」
気を取り直し、質問を変えたりもしたが、やはりコックリさんは来なかった。こうして私たちの実験は失敗に終わったのだった。
心霊科学者中岡俊哉はその後どうしているのだろうか。
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4.緑と赤の運動論 | 2003.01.17 |
あれは1995年の12月の末のことだった。私は友人を訪ねて新宿に行った。道が分からなくて駅前でキョロキョロしていた私の前に、妙に目がきらきらした変な女がやってきた。そして、阪神大震災の被災者のために募金をしてくれ、と言うのだった。私も被災者の一人だったので、「僕は神戸から来たんですけどね」と言ってあきらめてもらおうとした。ところが彼女はわくわくした目で「へえーそうなんですかー。私も神戸に行ってたんですよー」と言って募金箱をさらに私の前に突き出してきた。その後いろいろあったのですが、私の家はカベが割れた程度で済んでいたという後ろめたさから、…別に後ろめたいことなどしていないのに…結局金を渡すことになってしまった。
そのとき貰った新聞を後で読んでみてびっくりした。「俺はこんな奴等に金をあんなに渡してしまったのか!」以下、その中でも最もものすごかった記事を全文紹介しよう。以下の引用は全て原文ママであり、私が面白く書き直しているのではない。
「日本新聞」1995年12月25日 日本ボランティア会
学習論文 緑と赤の運動論
共産主義を日本に実現するために、ブルジョアに育てられてきた我々一人一人のどこを変えなければならないか
戦後まもなく映画会社の東宝のストライキがアメリカ占領軍の戦車の出動によって潰されたあと、ラッパといわれた映画会社大映の永田という社長が「日本の映画はエロ、グロ、ナンセンスだけで沢山だ」と宣言した。まさにアメリカ植民地文化の本質をいっているのである。
エロとは日本語英語の共通語である。日本語では色仕掛色仕事色話などと言うし、英語では、エロ、エロチックなどというのである。(日本の津軽ではお金のことをダラーというしアメリカではお金のことをドルーという)
エロとは大映の永田社長のいうような反プロレタリア的なことではない。それどころか身分差別の厳しい封建時代にあっては、エロといわれる男女の愛が心中という形をとって封建道徳に命をかけて抵抗したのであった。
もっとも最後に命をなくするような人間の愛はフェルモンの働きによるものであって、体の中に蓄えたフェルモンが無くなると自然とそのあいと言うものが消えていくものなのである。ただそのあと習慣とか惰性或いは経済的理由により、そのフェルモンのあいがつづいているように見えるだけなのである。
ただフェルモンが呼び水となって、相手の仕事や技術あるいはその思想、芸術文化的共感がフェルモンが枯渇したあとに生成ホルモンをつくりだしていくことがある。
その意味ではフェルモンは自動車のセルモーターみたいなものである。どんなに新品のセルモーターであっても瞬間的には自動車を動かしてもまもなく力が無くなってしまうのである。(自動車が故障したときなどセルを使って自動車を道路わきなどによせることができる。)
例えフェルモンの行為であってもエロは絶対軽蔑の対象などにならない、それどころかそれは峻厳な人間の性の営みなのである。まさにそれは人に尊敬されるべきことであり、そうやって人間はその青春を通過していくのである。
然し人間のフェルモンはその年齢とともに湧出が低下していき、生理の停止とともにゼロと女性はなり男性も五十五歳前後でゼロに近接してしまうのである。つまり男であればどんな男でも売春婦を買いに行かなくなるということである。
我々が男目当て女目当ての行為や態度をするなと言っているのは、フェルモンによって起こるあるいは起こされる男女の行為を言っているのではない、打算や嘘で男或いは女に近づくなといっているだけなのである。
では人間はフェルモンのままにいくら行動を起こしてもよいのかということになる。確かに若者の男女の行動は他の人がいくら口を酸っぱくいってもその性的行為を完全に止めることは不可能である。ただそのフェルモンの行動を止めることが出来るのは自分しかないからである。「そんなことをしてどうなるのよ」とか「それが女のやることか」などと言っていくら叱ってもおこってみてもそれを止めることは出来ない、それほどフェルモンは強烈なものであるからである。でもそのフェルモン女が自分の娘であったり自分の大事な女であったりすると、それをみていられないので暴力行為にでる、すると反射的にフェルモンがドバーとでてきてしまう、だから今度は必ず監禁するしかなくなるのである。
この強烈なフェルモンを止める為に昔の人は冬の川に漬けたし、最近でもフェルモン女を川に漬けて殺してしまったことが実際にあるのである。またこのフェルモン女の治療の為に、全国至るところに精神病院なるものがあるのである。
一体、何をどう学習すればいいというのか?
この連中はその後もしばらくの間大阪や東京で「阪神大震災の被災者のため」の活動をしていた。おそらく今は別の名目で金集めをしていることだろう。インターネットが普及してからわかったことだが、この団体は「緑の党」という団体である。とはいっても、グリーンピースとは関係がない。この団体の怪しさについては「遊撃インターネット」というページに詳細なレポートがある。
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3.ムーシーロ | 2003.01.16 |
友人が引っ越し屋でアルバイトをしていたとき、使い走りをさせられたのだそうだ。なんでも、「餃子の王将」…関西では有名な中華料理のチェーン店…に行って「ムーシーロ」というものを買ってこいというのだ。『ムーシーロ』とは、一体何だろうか?彼は考えたが、想像もできなかった。とりあえず王将に行って、「ムーシーロ下さい」と言ってみた。店員は、ああムーシーロね、と言って包みをくれたという。結局、ムーシーロの正体は分からなかった。
僕はこの話を聞いて、非常にムーシーロが食べたくなった。さっそく近所の王将に出かけた。「ムーシーロひとつ」「ええっ!?」「だからムーシーロを」「ほ、ほんとにいいんですかっ」店員の目は真剣だった。僕はとうとうムーシーロをたのむことを断念した。
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2.笑い | 2003.01.14 |
私の高校に、1人の英語の教諭がいた。教諭は「花より単語」と唱えながら単語の本を配るぐらい、駄洒落を好む人であった。
ちょうど湾岸戦争の頃である。当時、イラクのフセイン大統領が人々の注目を集めていた。ある生徒が間違った解答をしたのに対し、教諭は言った。「何をいってるんだ。お前が言うべきなのは『狂った』だから『インセイン』だろう」そして、「最近よく言われるのが『フセイン・インセイン』というやつだ」とつけ加えた。しかし、生徒たちは誰も笑わなかった。教諭は授業の中頃、再び「『フセイン・インセイン』とよく言うね」と振ったが、結果は同じだった。終わり頃、三たび教諭が「『フセイン・インセイン』・・・」とつぶやいたところ、今度は大爆笑が起こった。しかし、その笑いは言葉の面白さによるものではなく、教諭が三回同じことを繰り返したという、事実の面白さによるものだった。
また、こんなこともあった。教諭は机の配列にしたがって生徒を当てていくのを常としていた。だがある時、急に振り返って幸正(こうしょう)という男を指して尋ねた。「イットの意味は何だ、こうしょう」「高い所が怖い、ということです」すると教諭は勝ち誇ったような表情で言った。「高所恐怖症だなっ」しばらくたってから爆笑が起こった。しかしこの笑いも、教諭の駄洒落がもはや定番となっていたからこそ起こったものであり、言葉そのもののおかしさから来たものではなかった。
以上の二つの出来事において、印象的だったのは次のことである。すなわち、どちらの場合も教諭は、生徒たちの笑いの真の原因には気付いていなかったのである。
このように、笑いは必ずしも笑わせようとする意志どおりに起こるものではない。しかし当事者はそのことに気付かずにいることが多いようである。その結果、笑わせているつもりが実は笑われている、ということにもなる。これは文章やマンガの世界でもよくあることである。
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1.裸 | 2003.01.13 |
文章の書き方を教える本の多くには、次のようなことが書かれている。「形式にとらわれず、虚飾を捨てて裸の自分を表現するようにしなさい」
「裸」という言葉は、辞書によると「全身の皮膚が露出していること。むきだし、ありのまま」という意味である。この場合は「むきだし」とか「ありのまま」といった二次的な意味でとるべきであろう。つまり、形にとらわれず、思ったことを素直に表現せよ、とそれらの本は言っているのである。
これは一見もっともらしい説のようである。しかし、そうではない。文章というものを改めて観察してみると、ほとんどが形式と虚飾から成っているということがわかるからである。
例えば、比喩はなくてもいい。比喩がなければ「例えば」という言葉もいらない。あいさつや語尾はいらない。自分と関係のない出来事、言ってもはじまらないこと、言わなくてもわかることについての言葉はいらない。
このように考えると、文章のほとんどはいらない言葉から成っていることになる。極端な話が、もし文章から一切の虚飾をはぎ取ってしまったら、そこには筆者の「ああ」とか「うおー」といった叫び声だけが残ることであろう。しかしこれを文字に直しても、良い文章にはなるまい。私の母は喋る時「こう、ぎゃーっと、これ、がーっとあれして」という表現をよく使うが、これを文章化しても共感を得ることは難しいと思われる。
人は本来裸で暮らしたいと願っている筈である。その証拠に、理性を失った酔っぱらいは、何かと裸になりたがる。人間も動物の一種である以上、これは自然なことである。しかし、状況によっては裸でいては困ることもある。例えば、葬式に裸の人間が参列していては困る。裸になるのにも時と場所を選ばなくてはならない。これは文章を書くときでも同じことがいえる。
【800字】