大韓遠征記2002

2/17(日)

 6時半起床。地下鉄がまだ空いていなかったので、タクシーでプサン駅に移動。タクシーはぼられると聞いていたが明朗会計だった。1600ウォンだったから3人で割れば地下鉄と同じである。セマウル号の手続き。8時発のこれこれの座席に座れといわれたのでそうする。1時間ほどその辺をうろうろしたりする。リトルリーグの少年達が別の特急に乗るのか3階にあがっていった。セマウル号の駅は1階である。ここには面白いものが何もないので、試しに3階にいってみたところ、軽食の店やインターネットをする場所なんかがあって面白そうだった。しかし時間がなかったのでここにはあまりいられなかった。

 セマウル号に自由席はある。数は少ないが、自由席のきっぷを少ししか売らないので立つ人はいない。私が座った席は後で考えてみると自由席ではなかったようだが(車掌がなんだかんだいっていた。隣の人が「イルボンサラン・・・なんとかなんとか」と車掌としゃべっていたからたぶん私のことだろう。まったく外人はしょうがないということで?)無事にそのままソウルまで行くことができた。電車はプサン、テグ、テジョン、ソウルにしか止まらなかった。「徳川家康人間経営」という本を読んでいた隣のサラリーマン風男はテグでおりていった。そういえば昨日の神大生もテグに行くといっていた。席はとても広くて、寝るのに都合がいいように足の前の方があがるようになっていた。はじめは外の光景が面白かったが、すぐに何もない景色になってしまったので飽きてしまった。鉄塔や電線は日本のと同じ形だった。もともと日本が引いたものを引き継いでいるからか。がいしが日本のより細かかった?日本のものを引き継いでいるといえば警察は110番だし消防は119番である。それはともかく、プサンは相当暑かったが、窓の外を見ると雪が残っていたりして寒いらしいことがわかった。テジョンで大勢おりたが、大勢のって来たので同じだった。この頃になると私はほとんど寝ていた。食堂車を期待していたのだが、ロッテリアしかなかった。知らない人もいるかもしれないがロッテは韓国の財閥である。ロッテジャイアンツという球団も持っている。テジョンから家族づれが乗ってきて私の横の席に元気な3歳ぐらいの女の子がきた。何度目かに私が目をさました時、雨が降り出した。まわりの人たちが「ぴかじょん、ぴかじょん」と言っていたが雨のことだろう。女の子も雨の様子を見始めた。そのときなぜかかっぱえびせんを一つかみくれた。味は日本のと同じだった。しばらくその子は列車内をうろうろしてはかっぱえびせんを配っていた。そのうち市街地に入って列車は速度を落とした。水原という看板が一瞬見えた。やがてビルの数がますます増えてきた。そしてソウルについた。

 ソウル駅で昼食。適当に食堂に入る。私はキムチポックンパ(キムチ焼き飯)、後の二人はビビンバを食べていた。田口が非常に調子が悪くなったらしくて、ビビンバをほとんど食べなかったので私が処理した。どちらの料理も肉は全く入っていなかった。キムチは日本に輸入しているやつと似たような味だった。駅の観光案内所で100000ウォンの部屋を探してもらって予約。3人部屋で100000ウォンのセントラルホテルというところをとった。これはつまりひとり一日3300円ということである。一日目ほどではないが安い。

 タクシーでホテルに向かう。駅前で何やら政治運動のようなことをしていて、はちまきをした人がいっぱい集まっていた。さすがにソウルは大都会で駅前のビルの数や高さからしてプサンとはまるでちがっていた。人の数もすごかった。タクシーから外をみていると盾と棒を持った機動隊員が大集合していた。さっきの運動と関係あるらしいが、なんだかよくわからなかった。後で考えるとブッシュ大統領が韓国に来るので「悪の枢軸」発言なんかに怒った人たちだったんではないかと思う。テレビをみていると相変わらずブッシュ大統領がアメリカンプロレスのような頭の悪い発言をくり返していて、そりゃみんな怒るわなと思った。お前なんかお菓子をのどに詰めて死んじまえ。閑話休題。機動隊員を見ると懐かしくなる。やっぱりあの人たちも出稽古に来た大学のテコンドー部の人たちをいじめて遊んでいるのだろうか。

 鍾路3街(ちょんのさんが)というところにホテルはあった。これが高速道路の近くのかなりぼろぼろな町で、あたりの建物には人の気配もなく、非常に怪し気な場所だった。プサンのホテルがものすごく便利な場所だったのでがっかりした。(このあたりはもともと無数の電子パーツ・工具・その他いろいろの問屋がひしめいている場所なのだが、日曜日だったので全部しまっていたのだった。これは次の日にわかった。また、この場所は地下鉄の3つの路線の駅のすぐ近くにあり非常に便利な場所だったことが後でわかってきたので、これはじつは間違いだった。)

 トリプルなので部屋はとても広かった。田口はすぐに倒れて眠ってしまった。仕方がないので青柳と二人で明洞(みょんどん)に出かけた。雨はもう止んでいた。地下鉄の駅の近くに映画館のビルがあり、ちょんまげ男の絵がかかっていた。どうやらそういう映画をやっているらしい。とても気になったが結局見にはいけなかった。映画に来る人目当てにたくさんの屋台が出ていた。

 地下鉄ミョンドン駅でおりるとものすごい人だった。出口のそばのビル(「ミリオネ」というビル)のステージでチアリーダーが踊っていて、それを見物する人たちで動けないほどだった。そこを抜けてからしばらくあたりを歩いたが、人がとにかく多くて大変だった。やっぱり屋台がいっぱい出ていて、女の子は手をつないで歩いていた。一通り回ったが、服屋とアクセサリー屋と靴屋ばかりでなんだかよくわからなかった。青柳は靴や服が欲しかったらしくて熱心にみていた。ビビンバの店の前に修行僧みたいなコスプレをしたサンドイッチマンがいた。「部隊チゲ」と書かれた謎の料理屋があった。「たまちゃん」というなぞの看板があった。このあたりは食べ物の店も多くて便利そうだった。ロッテ百貨店にもいってみた。いかにも高級そうな店がたくさんあった。そして高級そうな品物はやっぱり高いのだった。アクセサリや服のことはよくわからないので省略。ロッテ免税店には興味がなかったので行かなかった。一番上のレストラン街と地下の食品売り場は面白かった。われわれは日本人だとすぐにわかるらしくて海苔買いませんかキムチ買いませんかと声がかかった。ニンニクのしょうゆ漬けがあったので買おうとしたら500グラムからだといわれ、仕方なく500グラム買った。こんなものを買う日本人は珍しいらしく信じられない目で見られた。汁がもれないようラップで厳重にくるんでくれた。また、田口に食べさせるために餅を買った。ロッテの前の屋台でトッポッキを初めて食べた。甘辛い赤いみそで煮た餅で、3000ウォンでどんぶり一杯あった。こんなに多いとは思わなかった。食べると腹が一杯になってしまった。青柳は赤い焼き鳥を食っていた。それからチョンノサンガに帰った。

 チョンノサンガで道に迷った。夕方になるとテントがたくさんでて飲み屋の営業を始める。ここで殴り合いをする老人二人を目撃した。それにしても宝石屋の多い町だった。一旦駅に戻り、ホテルに戻った。コンビニが近所に全然ないので困った。

 ホテルのサウナに入る。股間をむき出しにしたおやじが偉そうに座って涼んでいた。なぜか机の上に卵があった。飲んで精をつけろということなのか!?(後で考えると、ラーメンをとった時に入れるためのものだったらしい。)入場料が20時までは5000ウォン、その後は8000ウォンで、あかすりは10000ウォン、マッサージは70000ウォンだった。とりあえずただ入るだけにした。ここのサウナは非常に熱かった。また、スチームバスもあり、これまた熱かった。青柳はスチームバスで顔をやけどしていた。せっかくだから長いことはいった。

 それから夕飯にしようと思ったのだが田口は倒れているし、青柳も胃が悪くなって何もいらないというし、しかたないからぶらぶら一人で外に出た。東大門(とんでもん)のほうまでいったが何もなかった。その後もしばらくぶらぶら歩き回ったがやっぱり何もなかった。といってもテントの屋台に入るほどの勇気もなかったので、とりあえず元の駅に戻ってその辺の屋台でお好み焼きでも買おうと思った。ところが帰ってくるともう映画が終わったらしくて、屋台はちょうどみんな電気を消すところだった。またしても何も食べられなかった。そこでこんどはホテルをこえてさらに反対側に歩いていくことにした。しばらく歩いていくとファミリーマートとPCバンがやっと見つかった。ファミリーマートでおにぎりと真露を購入し、PCバンに行く。ホテルに帰ると青柳が苦しそうにしていて、スポーツドリンクを買ってきてくれというので、さっきのおにぎりを昼のニンニクと一緒に食べてからまた出る。ニンニクは生であまりしょうゆが染みておらず、ごりごりしていてとてもまずかった。やっと一房分だけ食べた。ホテルの人に胃薬をもらってきて渡した。またコンビニにいって、頼まれていた商品とトンドン酒を買う。初めて飲んだ。トンドン酒はマッコリの上澄みでさらさらしていてちょっと高いのだが、私自身はねっとりしたマッコリの方が好きである。