大韓遠征記2002

2/15(金)

 今回の旅は「日韓共同きっぷ」で新大阪発の新幹線で小倉にいき、下関に戻り、そこから関釜フェリーで釜山に行き、セマウル号でソウルに行くというもの。10時15分に田口と京都駅で待ち合わせをしていたのだが、9時40分に出たので、間に合わないと思ってタクシーに乗る。10時半に田口と合流、新快速で新大阪に向かう。一応新幹線は指定席だったのだが、途中岡山で青柳を拾うため、11時発の早めのひかり号に乗る。岡山ですでに携帯電話が使えなくなっていたので驚いた。東京では使えたんだが。岡山で青柳と合流。外に出られないので駅の喫茶店で昼食。私はカレーを食べた。喋っているうちに14:36のひかり101号が行ってしまう。これの指定席をとっていたのだが・・・。いきなり先制パンチである。仕方ないので1時間ほどつぶして次の博多行きに乗る。もっとも時間はまだまだ余裕があるから大丈夫である。次の電車はアヒルの口みたいな形の「レールスター」という車両だった。レールスターはいろんなサービスのある車両が売りだそうだが、自由席に関してはべつに変わったところはなかった。乗ったとたんに疲れがでて眠ってしまった。なんだか頭が痛くてぼんやりする。難しいことが考えられない。まだ風邪がなおっていないらしい。京都で缶チューハイを飲みかけて気持ち悪くなって捨ててしまった。どうも調子が悪い。ときどき目をさましてもたいていトンネルの中でつまらなかったのでまた寝た。いつの間にか九州についていたので驚いた。橋で海峡を渡ると思っていたのだが、トンネルだったので気付かなかったのだ。小倉で立ち食いうどんを食べてみるが、普通の味だった。おばちゃんたちが武田鉄矢口調で喋っていたのが印象的だった。ここから普通電車で下関に戻るため、ホームにおりると向いのホームに「うどん・そば ぷらっとぴっと」というわけのわからん名前の店があるのが見えた。下関にはすぐについた。下関はふぐ(「ふく」と現地では表記)が名産らしく、やたらとふくをキャラクター化したものが目についた。下関駅と下関フェリーターミナルはすぐ近くなので全然迷わなかった。港の近くになぞのタワーがたっていた。あれはなんだったんだろうか。下関らしいなと思ったのはハングル文字の看板がとても多かったことだ。手続きはこんなのでいいのかというぐらい簡単で、ちょっと書類に書いたものに目をとおして終わりだった。許永中が韓国に逃亡するという事件があったが、これなら確かに簡単に逃亡できそうだ。ここで16時半ごろ。暇だったので駅前の大丸に夕飯を食べに行く。チャーシューメンを食べるがごく無難なしょうゆ味だった。18時頃港に戻り、乗船。さっきの謎のタワーについてのパンフレットもあったが、韓国語なので読めなかった。並んでいる人々の多くがすでにわからない言葉を喋っており、外国のような雰囲気である。前に並んでいた韓国のメガネ青年たちがずっとじゃれあっていた。風貌からなんとなくオトモダチのにおいが感じられたので、ゲーマーかなんかかな、と思った。あとで持っている袋を覗いてみるとプレステ2が入っていたので、ああ、やっぱり、ということになった。なぜかごま油を何リットルも運び込んでいるおばちゃん軍団がいた。おばちゃん軍団は船室に入るといきなりキムチや飯を広げて宴会をはじめていた。私たちは別の船室になった。船室には元気のいい赤ん坊がいてその辺をうろちょろしていたが、やがてその親らしい若夫婦とともに姿が見えなくなった。どこに行ったんだろう。船室は雑魚寝スタイルでちょっと狭いが、これは松山行きのフェリーと同じである。近くで韓国人の父親とその子供らしい姉弟がトランプをして騒いでいた。風呂は大浴場があるので、それに入った。おっさんたちが大声で何やら喋ったり笑ったりしていたが、もちろん何をいっているかは全くわからなかった。出てからビールを飲むが、気持ち悪くて全然うまくなかった。ところで、船の中ではビールが170円でジュースは150円である。だからビールがとても安いことになる。後で田口たちはロング缶で飲んでいたが、その時はもう欲しくなかったのでオロナミンCみたいな飲み物を飲んだ。はじめは船内食堂を利用するつもりだったが、あまり面白い食べ物がなかったし腹も減っていなかったのでやめた。テレビでスケートをやっていたがあまり興味が湧かなかったので21時半ごろに寝た。頭痛い。