2003.11.30(日)

大阪で遊んだり飲んだりしていた。この日は早く寝た。

2003.11.29(土)

最近からだの調子が悪くて起きるのがつらい。全体会議のため休日出勤。とはいっても我々は発表することはなかったのでそんなにしんどかったわけではなかった。弁当が出てうれしかった。大雨がうっとうしかった。帰りに部室によってTRON続き。メーリングリストにわからない点を書くと、返事がたくさん来ていた。具体的にソースを載せておかしいんですというと、皆親切に教えてくれるらしい。

2003.11.28(金)

白河でパソコン梱包の後、鴨川で夜間当番だったが、急に夜間授業が休みになったので19時半には帰れてラッキーだった。久しぶりに風呂に湯をためて入る。入りながら飯を食ったりする。この日はタバスコを麺つゆに入れるとうまいことを発見した。タバスコファンの人のページに載っていたレシピを実践したもの。一味唐辛子を入れるより引き締まった辛味が楽しめる。風呂の湯を捨てるついでに便所の掃除などする。どうせ裸だから汚くてもそこで洗えばいいので平気である。

2003.11.27(木)

昼すぎまで授業の後、白河校でパソコンの箱詰め。その後部会マイクロマウスのビデオ上映会。前の日寝ていないので眠くてたまらない。音色食堂に行った後すぐ帰って寝る。それにしても下級生たちのマイクロマウスへの熱中振りはすごい。もう俺がとやかく言わなくても後は勝手にやってくれるだろう。

2003.11.26(水)

朝白河でパソコンの箱詰め作業準備。電話の電源ケーブルを実家に忘れたので郵送してもらうように頼む。その後駅前に移動してC言語、エンキューとデキュー。int *i;なんていう書き方を考えたリッチーを呪う。ポインタがわからないんではない。宣言の仕方がわかりにくいんだ!!戻ってきてから朝までTRON。どうしても動かないのでいろいろ試しているうちに朝になってしまった。

2003.11.25(火)

「ジャネットジャクソンがコーヒー浣腸をして憂さ晴らしをしていた」という話をしていて、「コーヒー 浣腸 ジャネット」などという言葉で検索をしていて、こんなページを見つけた。Arco Online「まだ、コーヒー腸内洗浄をやっていないのですか!? 〜いい感じで便秘解消&ダイエット、Oh, yeah!〜 現在「勝ち組」路線爆進中 誰も私を止められない」というナイスなトップページを見たときはかなり驚いたものだったが、この人の日記がやたらに面白いのである。最近の日記はそうでもないが、一時期はすべての行動がコーヒーエネマ(腸内洗浄のこと)のためにある、といってもいいぐらいそれが生活の中心になっているといってもいいほどの記述ぶりだった。「今日は油物を食べたので当然エネマ!!」という具合で。

2003.11.24(月)

梅田で「キルビル」を見る。はじめは普通のアクション映画かと思っていたが、沖縄に行くあたりから変になってきた。「やっちまいな!!」の後はもう無茶苦茶。面白いんだけれども。◆ところで、マイクロマウス大会にはWMMCから変な名前のマシンが多数エントリーされていて気になっていた。「萌やしっ子ANGEL」「T(盗撮)−MOUSE」「 田中ま○こ、○慰を表明」「痴漢車トーマス(お蝕り系)」「金太イジリー岡田」といったものである。実際に大会に行ってみると「金太イジリー岡田」以外は皆棄権していた。おそらく敵前逃亡した者たちへの制裁だったのであろう。恐ろしいことである。

2003.11.23(日)

昼まで眠る。その後夕方まで眠る。そしてこれを書いている。他は何もしていない。

2003.11.22(土)

俺は寝台車が好きだ。カタンカタン、とゆれる中で眠るのはとても気持ちがよいものだ。起きると横浜の手前あたりだった。「寝台はよく寝られるからいいね」と言うと、多賀は「おお」と答えていたが、実際には眠れなかったらしい。まあいろいろである。6時半頃西庄から新幹線部隊が出発したという連絡があった。7時前に東京着。何か食べようと構内を探すと、回転寿司が7時からあくというのを見つけ、しばらく待つ。しかし寿司はなく、朝定食というのしかなかったのでやめ、中華料理屋に入った。俺は白粥定食というのにした。豆腐の腐ったやつがついていてうまかった。おかわり自由だったので、三杯食べた。その後地下鉄東西線で新木場に行こうとしたが、東西線に新木場という駅はなく、木場という駅しかなかった。ちょっと迷ったが、木場に行くのは危険だと思ったので、一旦飯田橋まで戻り、有楽町線で新木場にいった。後でわかったのだが、木場と新木場は2キロも離れていて、行ったら迷子になるところだった。あと、JRで直接行けばもっと楽だった。それでもまあ8時45分頃にはついた。なんだかやたらと広いところに嘘みたいな大きな建物が散在していて、大阪でいうとATCのあたりに似ていた。コミケの会場らしいが行ったことがないのでよく知らない。先にバス組がついていた。会場はパナソニックセンターというところで、やっぱり生活感のない巨大できれいな建物だった。部屋は広いのだが、控え室と会場が同じだったり、観覧席が段になっていなかったりしてちょっと不便だった。いつもどおりオッテン氏がアメリカからきていて、息子らしき子供や弟子らしき若者(ビルゲイツが若い頃みたいな、いわゆる「典型的」な感じの人)もいた。子供は去年観覧席を壊しかけて逃げた子供だ。今年はものすごく太っていて、ずっとゲームボーイで遊んでいた。彼がゲームをしている正面で渕野がゲームボーイつきマイクロマウスのプログラムを書いている様子はかなり絵になる光景だったのだが、写真は撮れなかった。控え室は大混雑だったが、ロボトレース競技の高校生たちの控え室が別室になったので、座ることができた。調整用迷路は汚くて床もつるつるで、あまり良くなかったが、センサの調整を続けると大体いけるようになった。念のためにガンダムを走らせようとしたところ、動かない。おかしいと思って調べると、RAMの回路のはんだが劣化して取れていた。以前デジットで買った安物はんだのせいだ。(やたら安いうえ、店員が本当にいいのか、と聞いてきた商品。熱すると気分の悪くなるにおいの煙を発する)直すと動くようになって安心。あのはんだは捨てないといけない。順番だが、多賀がフレッシュマンクラスの最後のほう、俺がエキスパートクラスの最後の方だったので、ちょうどバッティングしそうだった(し、実際に俺が選手控え席に座っているとき多賀がマシンを走らせていた)ので、ジムを作っておいて良かったと思った。渕野が調整中に電池を焼くアクシデント発生。これまた他の者から借りることにする。電池自体は前の日の事故を見て十分に絶縁していたので、たぶんモジュールの刺し間違えによるもの。

9時半から競技スタートし、チームメンバーの番は13時半ぐらいから。まず先鋒は古賀「ヒゲペンギン」。時間がなくてできなかったので、とりあえずセンサをちかちかさせながら前進する「エレクトリカルパレード」。ちゃんと5回ボタンを押したので偉い。次が渕野「イルカ一号アドバンス」ゲームボーイアドバンスで音楽を鳴らしながらロボットを走らせるという奇天烈なアイデアが受けていたが、残念ながら前進しかできず。武内「MS-01」(コードネーム「ブラックジャック」「マジカルマリリン」)通常走行でゴールするも帰ってくることができず、スラローム走行は見せられなかったが、かなり良い成績で、特別賞を受賞していた。親衛隊の男たち(中河・鶴谷・シゲ)も喜んだことだろう。北沢「橋本ヒデヒコ(25歳)」一区画ごとにきっちり前進、拡張右手法でゴールを目指すが一回目は3区画手前で挫折、二回目は時間切れ(時間切れの3秒後にゴール)。しかし、真摯な態度と基本に忠実なところが好評価だった。桑原「ダイス」どういう方法だったのか見ていなかったのだが、完走していたらしい。多賀「肉弾パンチ」(通称「ガンダム」)スラローム高速走行がうまくいかなかったが、それでも探索モードでは完走したらしい。最後に古谷「大森カズフサ(25歳)」右手法からちゃんと勉強して足立法を実装して完走したらしい。俺自身は「肉弾ITRON」(通称「ジム」)で出場、あまり期待はしていなかったのだが性能を完全に発揮でき、ちゃんと58秒でゴールできた。しかしオッテン氏と韓国の選手という派手なのに挟まれて出場したので、あまり目立たなかった。ITRONについて聞かれたらいろいろ喋ろうと思ったのに誰も何も聞いてくれなかったので寂しかった。フレッシュマンクラスのあとの方は自分のマシンの調整ばかりしていてあまり見ていないのだが、大体こんな感じだった。今度ビデオで見ることにする。結果速報出場すると言った者が一人も脱落しなかったこと、完走できなかった者もそれなりの結果を得ることができたことは大変うれしいことであった。今回はまた、団体の力をかなり発揮できたと思う。一人ではできることに限界があるが、それを超えることができたのである。俺はうれしかった。今ここで死んでしまってもいいと思ったほどである。死んでもいいと思うぐらいうれしいことが一生に何回あるだろうか?

19時ごろ認定証など受け取ってから、近所の居酒屋「自由人」で14人で食事。ここでだいぶ飲んで、その後新幹線で帰るメンバーは先に金を払って東京へ。駅でシューマイとビール2リットルを購入し、「のぞみ」最終に乗る。ビール1リットル飲んだところで潰れてしまい、京都で他の者が降りたのは覚えているがまた意識を失い、新大阪で駅員に起こされた。結局0時半頃家に着いた。

2003.11.21(金)

明け方ちょっと家に帰って着替えてから、ひたすら作業続行。というわけで朝のうちにマシンは本当に完成した!三日間煮込んだシチューというのはあるが、二日で作ったマイクロマウスというのははじめてである。これも俺が寝ている間や仕事に行っている間に他の人(主に高橋)が続きを作ってくれていたからである。一人ではできないことが大勢ならできる(こともある)。登録名は「肉弾ITRON」だが、実際に呼んでいた名前は「ジム」である。これは、ちゃんと作って調整も完全な多賀のマシンを「ガンダム」に見立ててつけた名前である。ジムは製作時間を短縮するために形は四角いまま(角をきれいな形にしていない)、モータに穴をあけてねじ止めするのではなく両面テープで適当につけただけ、スイッチもノイズ除去回路なしでただグランドとつないだだけ、省電力設計のガンダムと違って電力を食いまくるセンサを採用と、いい加減なつくりとなっている。走らせると動くには動くが、やはり出来が悪くてすぐに変な動きをはじめ、壁にぶつかってしまう。やはりガンダムとは出来が違うなとは思うが、やはり愛着は湧くもので、完走させるために調整をしまくったところなんとかそれなりに走るようにはなった。横では渕野がゲームボーイアドバンスを積んだ機体でスーパーマリオの音楽を流しながらモータを回すのに成功していた。この日は大勢がプログラムを書いたり実際に走らせたりしていて、すごい騒がしさだった。夕方、古谷の電池が本当に火を噴くというアクシデント。部屋中がガスで白くなった。原因は、電池の絶縁がいい加減だったので金属部分が剥き出しになり、真鍮の柱と接触して短絡したもの。俺や西庄は「またか」という感じだったが、古賀は電気の恐ろしさを知ってショックだったようだ。幸い電池自体が沸騰しただけで、回路は無事だった。電線に止まっている鳥が感電しないのと同じ理屈である。先に出場した者から借りるということで解決。やはり前日には何かがある。眠っていないからであろう。俺はまわりの人間の世話などでなかなか自分自身のマシン調整をすることができず、18時ごろからやっと1時間半ほどいじることができた。センサのはんだ不良など一部直したところ大体走れるようになったので、そこであきらめて終わった。一応つもりとしては時間があれば多賀も俺もガンダムで出場、バッティングするようであれば多賀はガンダムで俺はジムで出場することにした。18時半頃から準備を開始し、(このあたり西庄が指揮してくれた)予定通り21時に出発した。西庄も一緒に行くはずだったが、渕野が切符をなくしたのでそちらに切符を回し、つぎの日に新幹線で来ることになった。結局俺、多賀、渕野、桑原、武内、古賀が夜行列車「銀河」で、古谷、北沢が夜行バスで出た。はじめは選手以外は西庄だけの予定だったが、急に高橋、梅谷、武田、中河も次の日の新幹線で来ることになった。高橋は自分の作ったマシン、中河は自分の書いたプログラムが出るので見届けずにはいられなくなったのであろう。さらに東京からはすでに卒業した米澤が来てくれることになった。まさに祭り状態である。夜行列車部隊は京都に一時間ほどはやくついた。喫茶店にでも入ろうとしたが入れなかったので、ホームで待っていた。列車はいわゆるブルートレインで、上下ニ段のベッドになっていた。造作は古臭くて懐かしい感じだった。とにかく眠くて眠くてたまらなかったので、横になった途端眠ってしまった。

2003.11.20(木)

朝までセンサモジュールを作っていた。ちょっと仕事に出て、その後自分の授業をさぼってひたすら作業続行。去年電力を食いすぎて失敗したオペアンプ式の回路である。とりあえず赤外線が出ているか確かめるために電気を流してビデオカメラで見てみると、ちゃんと光っていた。しかし、やはりというかたちまち三端子レギュレータが熱で壊れそうになったので、対策を考える。色々考えた結果、センサのLEDの抵抗を100オームから200オームに変更してみる。これまた不眠不休で配線してくれた高橋の回路と合体させて電源を入れると一発で成功した。感度が落ちるのではないかと思ったが、別に問題なかった。また、多賀がCPU回路の一部を、西庄と高橋がモータドライブモジュールを、高橋が外部RAMの回路を作ってくれたので、これらを調整して合体させたところ、ちゃんと動いた。(ここらへん21日の明け方の話)途中プログラムがうまく動かなくて悩んだが、センサの論理を正論理から負論理に変更して解決した。このとき!と~の使い方の件でちょっと時間がかかったが、基本的には#defineの部分をちょっと変更し、前センサ2に信号が入ったときの値を変更するだけでよかった。ずっとがやがや喋っていたのだが、何の話をしていたかは忘れた。どうせネバーランドの話とか、曙とサップはどっちが強いかとか、そういう話だろうと思う。この日の晩、武内が注文していたクラブのスタッフジャンパーが届いた。外で着ていても恥ずかしくないようなデザインである。

2003.11.19(水)

朝白河、その後駅前でC言語。リスト構造の質問は答えるのに時間がかかって大変である。夕方より、思い立ってもう一台マシンを作り始める。結局朝までやっていたが、まだできないところで仕事の時間になってしまった。ところで、朝マイケルジャクソンの家が家宅捜索されたというニュースが入ってきた。タイミングがいい。

2003.11.18(火)

ゼミの後、マイケルジャクソンの話をしていた。「整形は」「やめてよ!」「整形をしたね」「やめてよ!ああ、したよ!!でも、鼻を二回だけ」「ぼくはマイケルが好きなんだ」

2003.11.17(月)

朝電気電子、午後から白河。この日あたりから時間の感覚がよくわからない。まだできていないマシン(桑原・古賀・武内)を大勢でよってたかって無理やり完成させる。高橋もずいぶんいろいろ作ってくれた。続々とマシンが迷路の上に増え、とてもおもしろい状況である。武内機はCPUが本人作、モータドライブが本人と西庄、センサは俺、車体は渕野(間違って使ってしまった)、プログラムはツル・シゲ・ヒロという今はやりのコラボレーションになった。コードネームはブラックジャック(つぎはぎの意)である。今までハードには興味のなかった連中が続々と参加しているのがおもしろい。

2003.11.16(日)

ひたすらケーブルや充電器の箱を作る。いろいろ喋っていたようだがもうよく覚えていない。

2003.11.15(土)

続けて京都。プログラムは、ブルブルを減らすのに成功した。割り込みはどうしてもうまくいかないのでやっぱりあきらめることにした。この日から他の人たちのサポートにまわる。夕飯をバーミヤンに食べに行くと女子高生30人がパーティをしていてうるさいことこの上なかった。

2003.11.14(金)

昼から白河でインストール続き。渕野は病気でいなかったので一人で100台ぐらいやった。インストールそのものは先生の作ってくれたCD-Rのおかげで一つ5分ぐらいで終わるのだが、積んであるのを持ってきて、作業が終わったらまた持っていって積み上げるというのが重くて大変だった。倉庫の中に昭和61年刊の「絵解きMS-DOS」とかいう本があって、絵と文を同じ人が書いているのだが、その絵がやっぱりというかギャルの絵で、「萌え萌えうにっくす!」とか「CPUの創り方」の走りみたいなものなのだった。絵が下手なのは仕方ないとして、妙に太目の女の尻の絵が多いのが気になった。おそらく作者の性的嗜好を反映しているのだろう。ついでにあちこちに意味もなく聖書の言葉が出てくるのも気になる。さてこの日は40周年記念イベントの打ち上げがあったらしいのだが、最近飲み会に出ると後でしんどいのでいかなかった。この日は人が少なかった。

2003.11.13(木)

夕方から白河でインストール作業。はじめ慣れなくて手間取ったが、2時間ぐらいで30台ぐらい進んだ。シマンテックの「ゴースト」というものを使っているらしい。画期的な速さに驚く。TRONについていろいろ試す。機能の追加がタスクを増やすだけでいいので楽である。ブルブルを減らすためにいろいろやってみたが、うまくいかなかった。この日は大勢が夜中までいた。

2003.11.12(水)

朝、魔法瓶をあけて中のふたを開けたとたん、ボンという音がした。中を見るとガラスが粉々になっていた。ひびが入っていたかどうかして、急に空気が流れ込んだのが原因だと思われる。朝礼後白河でパソコンを拭いたり。昼から駅前でC言語。答えるのに時間がかかる質問が多くて困る。リスト構造について聞かれるのならまだしも、scanfのゴミの話とかVCとボーランドCの違いとかVC6と.netの違いによるエラーとか、そういうことでずいぶん時間を取る。とても疲れた。この日は道がすいていて早く帰ってこれた。運が悪いと30分以上余計にかかる。先に眠ってから24時ごろ部室に行く。

2003.11.11(火)

ゼミ。朝、足立法の実装がようやくうまくいく。昼から健康診断。中国人の学生を呼び出しにいくが、ほとんど誰も着ていなかった。来ていた者に聞くと「今日は雨が降っているから」ということだった。雨が降ったらお休みで。気持ちはわかるが。ゼミの中間発表、今年は濃いのが多い。夕方から足立法のプログラムを直す。一行場所を移すだけで一区画ごとに止まるのではなく「走りながら考える」ことができるようになった。さすがマルチタスクである。多賀はずっとスラロームのうまいやり方を模索していた。この日は人がたくさんいた。しんどかったので早く帰った。湯船に久しぶりに入ったらやたら眠りが深くなって起きられず、朝まで寝てしまった。

2003.11.10(月)

電気電子。夕方から白河校でパソコンの準備。足立法の実装をすすめるが、うまくいかない。明け方までがんばったがだめだった。いったん寝ることにする。

2003.11.9(日)

神戸に「バラライカ」というロシア料理店がある。「ウホッ!いい男… バラライカ」というコピーを考えたが、多分使ってもらえないと思う。似たようなのに「君のためならシャネル」「まいどアレスコ」というのもある。一日中寝ていた。夜京都に戻ってきてTRONのプログラミング。TRONは準備が面倒くさいが、タスクなんかを追加するのが簡単なのでどんどん進む。イベントフラグの使い方もわかった。いわゆる「右手法」で迷路をぐるぐる回るのに成功。タイマが大雑把なのでぶるぶる震えるが、フレッシュマンの迷路程度ならいけそう。残念ながらエキスパートコースなのでこれでは心もとないのだが。もう朝の5時なのでそろそろ寝たいと思う。

2003.11.8(土)

あいかわらず「ダイアポロン」はイカレてて良い。合身(がっしん)するたびに「ダーイアポローン!!」といちいち吠えるあたりが。怪人二十面相の映画を他のチャンネルでやっていたが、ジャンパーソンを優先する。「ジャンパーソン」バブル期によくいた感じの経済ヤクザ風男がなんとか博士にキャノン砲を無理やり作らせる話。ジャンパーソン側のメカが増える話。ダイレンジャー(宣伝のときの棒をくるくる振り回す様子がカッコいい!)の歌を覚えなければならないので覚え書き:「転身だァァッ! 気力だァァッ!剣よ舞え! 拳ようなれ!リュウレンジャー シシレンジャーテンマ キリン ホウオウレンジャー気力転身! 変幻自在泣いてる君の 微笑み見たくて気力転身! 変幻自在燃やし尽くすぜ 真っ赤な炎天に輝け! 五つ星五星戦隊 五星戦隊ダイレンジャーダイレンジャー」歌えない、難しい。ダイアポロンの歌を見習ってほしい。夕方異人館周辺に行ってみる。十数年前迷い込んだところだ。いちいち入場料がいるらしいので傍から見るだけ。夜、前行ったカムジャタンの店に行ってみたら、跡形もなくなっていた。今日はライスを頼んで最後にぐちゃぐちゃ掻きまわしたかったのに、残念である。木曜日の書き忘れ:音色食堂に行ったら、「グアテマラあんかけ」という謎のメニューがあった。頼むと、オクラやサツマイモやナッパやさつまあげの上にひき肉のあんかけが載ったものが出てきた。あまりうまくはなかった。はっきり言うとまずかった。だいたい、音色食堂でこういうchallengebleなメニューが出てきたときはろくなことがない。前食べた「干しブドウ入りいり卵」はひどかった。しかし、前学院長の「pioneer spirits」を受け継ぐ我々は音色食堂のチャレンジメニューにも臆することはないのだ!!

2003.11.7(金)

昼から白河で労働。ここに130台のパソコンがあるとする。それ全部にWindows98をインストールしなければならないとすると、どうしたらいいだろうか?といったことを考える。なお、今second editionが入っていて、インストールするのは古い98なので、一旦ハードディスクをフォーマットする必要がある。考えたがわからなかったので、続きは来週にする。夕方から鴨川で夜間当番。TRONの本読む。やっと感覚がわかってきた。

2003.11.6(木)

夕方仕事、写真の整理など。この日もめんつゆにつけたゆで卵を食べた。うまかった。夜部室に駅前からの見学者がきた。ソフト開発の話をしていていきなり中河と意気投合していた。武内が冷凍庫に入れていたバナナを中河が勝手に食ったと言って怒っていた。肉弾ITRON、どうしてもうまくいかないのでタイマ割り込みはあきらめることにする。

2003.11.5(水)

朝洛北でデータインプットなどして、昼から駅前にC言語の授業に行く。だんだん答えるのに時間がかかる質問が多くなってきた。帰りのバスがものすごく混んで疲れる。地下鉄+バスが(金がかかるのを気にしなければ)一番いいと思う。帰ってきてからお好み焼き屋でクラブSPを援助しなければいけないなどという話をする。部室に戻って昨日汁につけた卵を食べてみたところ、中まで味が染みていてたいへんうまかった。ではぜひ量産を、と言ったらすでに高橋たちが次のを作っていた。TRON続き、あいかわらずタイマ割り込みはうまくいかない。

2003.11.4(火)

この日は振替休日になって学校が休みだった。昼前まで寝て、その後一日中部室で開発。3664のサンプルプログラムをいくつか作る。ゆで卵が急に食べたくなって、卵を買ってきたのを、部室のポットでゆでてみた。中心がオレンジ色の半生の、うまい具合にゆだったものができて、存外にうまかった。ラーメンの卵の話をしていて、あれを作れないかという話をしていて、それならめんつゆにつけたらいい、ということになった。なぜか都合よくめんつゆと容器があったので、さっきゆでた卵を入れて汁に漬けてみた。うまくいったら量産したい。辛いものの話ククレカレーが激辛になる話,そういうものが買える店のページ。「メガデス」よりすごいのもあるのかと感嘆。というか1600万倍に薄めないと辛味が消えないというのはなんだ。20ミリリットルの小瓶を480キロリットルの水で割らないといけないのだ。これはもう食べ物ではない。ショッカーが水道に流す毒である。目に入ったときを想像すると怖すぎる。

2003.11.3(月)

11月祭二日目。雨だった。9時ごろ現地に行くが、準備はすることがないので忙しくはなかった。この日もケーキは飛ぶように売れた。この日は「クラブK」の茶漬けスペシャル(鮭茶漬けに鮭刺身・イクラが載っている)や職員の「餃子ドッグ」などといったものを散々飲み食いしたのでずっと腹がいっぱいだった。SPの部員の一回生が来たので、勧誘しておいた。この日はあれな人がたくさんいた。職員が写真を売っている部屋でずっと「高田先生がうつってない!!」などとずっと一人でわめいていた(前置き無しに知らない人に話し掛けたりもする)男がこの年のチャンピオンである。他には「股間を掻きながら意味のわからないことを話しかけてくる男」「壁にぶつかりながらぐるぐる歩き回る男」といったいつもの人たちもいたのだが、ムカツキ具合ではこいつが一番であった。結局ケーキは完売して予想外のもうけがあった。非常にめでたいことである。大勢が規則正しく働いたので、撤収はすぐに終わった。今年は重いものを久保田先生が車に乗せてくれたのでありがたかった。夜から「なまらや」で宴会後、じゃんからで二次会だった。飲み放題をいいことに梅谷と西庄が泥酔していた。

2003.11.2(日)

11月祭一日目。朝8時半に駅前に行く。今年はマイクロマウスや通信ソフトの展示・絵はがきの販売(武内)というのに加え、鶴谷のケーキ販売をすることになっていた。10時スタートということだがなかなか時間がかかってはじめられなかった。準備中西庄のマシンが煙を吹く。あけてみるとなぜかスピーカの線がショートして被覆が溶けていた。理由はよくわからないが、とにかくカメラサーバの展示はできなくなってしまった。その他は特にトラブルはなかった。鶴谷は風邪がひどいらしくあまりいられなかったが、ケーキはちゃんと作ってきてくれていた。種類はザッハトルテ・レアチーズケーキ・生チョコトリュフ・パウンドケーキである。昼過ぎにYが来たので、一緒に俺も全種類食べてみたが(ちゃんと金は払った)ちゃんとした職人が作ったものなので大変うまいものである。食べた人の口コミによるものか、ケーキは飛ぶように売れた。やはりちゃんとしたものを出すとわかるらしい。野外イベントで激辛パスタ早食いというのがあり、水井先生がまた出ていた。今年は古谷が覆面(この間ドンキホーテで買った目だし帽)をかぶって出た。毎年あまり辛くないので今年もなめていたのだが(予選のほうは確かにそれほど辛くなかった)、試しになめてみるとものすごい味だった。「デスソース」のさらに強力な「メガデスソース」というのをネットで輸入したらしい。辛いのではなく、苦いとか痛いとか、そういう味である。これはもう毒だ。結局決勝では誰も完食できなかった。水井先生は吐いては水を飲み、それをまた吐くというのを繰り返してやっと助かったらしい。その後先に帰った。

2003.11.1(土)

9時国際会館集合で、40周年記念イベント。俺は地下鉄から出てきた人が駐車場のほうに行かないように見張っている仕事だった。大したことではないが、朝から夕方まで立っていたのでしんどかった。講演会などがあって、出席した学生によるとおもしろかったらしい。夕方から立食パーティがあって、そこでやっと中に入れた。シューマイを20個も30個もがっつく学生どもがいてうんざりした。酒も食べ物もたくさんあったので、そんなやつらがいっぱいいても十分腹いっぱいになった。それにしても豪華な大会だった。10人ぐらいの部隊の指揮をしたことはあるが、2000人規模になるとよくわからない。指揮者は大変だっただろうと思う。後片付けが終わって帰ってきたのが21時過ぎぐらい。11月祭のための荷物の準備をして、電源や扇風機など、自分が持っていく分を持って下宿に帰り、寝た。