2/28(金)昼2

「瓶詰め地獄」情報

http://www.inouee.com/diary/2002-4.htmlより

●瓶詰め地獄(監督 川崎善広/LD) ★★★★☆ やっと観る事が出来たあ!! 夢野久作の「瓶詰の地獄」をモチーフにガイラがシナリオを書きあげた作品。近親相姦の禁断の魅力を題材にその倒錯ぶりが如何なく発揮されてんねんけど、命と引き換えにしてまで齧るような果実かね??? まあ、こんなんは映像を通して伝わるもんやないやろ。兄貴の方も婚約者がいてるんやったら、バレんようにウマく振る舞えへんもんなん? とゆうても、それやったらこの作品が成立せえへんからしょうがない。 最後にヒロインが巨大な瓶に詰められ波間を漂うのは秀逸!!

http://incest.on.arena.ne.jp/media/pornomovie-j/bindumejigoku.htmlより

1.瓶詰め地獄(日活ポルノ系?のビデオ) 7年位前にダビングしたので多分絶版になってると思います
内容
ある兄妹が亡くなった父親の日記から、瓶に入れられて海岸に流れ着いた
手紙の存在を知る。
手紙の内容は船の遭難で無人島に流れついた兄と妹の遺書だった。そこには
二人っきりの無人島での野生的な生活で若さゆえに性欲を持て余し、やがて
結ばれ愛し合った兄妹の思いが込められていた。
その手紙を見た婚約者のいる兄と兄を慕う妹もいつしか自分たちの本心に気
づき同じ運命をたどる。

ちょっと暗い内容ですが、無人島で兄妹が始めて結ばれるシーンは圧巻です
この妹役はなんとポルノでメジャーデビューする前の小林ひとみです

shot補足情報
 妹役は小林ひとみではないとの情報が入っております。
2/28(金)昼

下宿2月までなので、大家に鍵を返す。京都に基地がなくなってしまった。

2/27(木)

「30歳・主婦」の人からメール。「私も昔変な人に会いました。電車の中で一人で喋っている女がいて、云々」面白い。TRONの本読むが難しい。Java久しぶりに。

2/27(木)3時

センサ調整完了。エポキシ樹脂で固める。あとは電池を作ってのせれば走るはず。

2/26(水)

下のほうの旅行記、書き足したので気になる人は見て下さい。
 マウス、車体のほかの部分を先に完成させる。タイヤにゴムをつけ、長すぎる軸を切り、その他いろいろ。どうしてもやる気が起こらず何ヶ月も放置していたが、飛騨でリフレッシュしたからかすぐに完成した。
 高橋君が月曜に持ってきた「あずまんが大王」という漫画を読む。前から気になっていた。思っていたのと違って、普通に面白い漫画だった。何でも見てみないとわからんね。

2/25(火)2

センサの調整、どうやったらもっと正確にできるかよくわからないので止まっている。きちんとした物ができたらエポキシで固める、というのだが、一旦固めたらもう戻すことはできない。慎重にしなくては。ニンジャ映画の世界更新。

2/25(火)

センサ回路続き。回路完成。センサ調整。ひさしぶりに音色。
 葉子から聞いた話。地下鉄に、いつも車内を息せき切って走って汗をだらだら流すうっとうしいおっさんがいるらしい。しかもそのおっさんははあはあいいながらバナナを食ったりリンゴをかじったり菓子パンを食ったりチョコレートを食ったりコーヒーを飲んで「ッカーッ」と息を吐いたりし、周りの人にその飲み食いしているものを勧めるのだそうだ。いつものようにそのおっさんは車内を走ってきて、目の前にいた外人のおばちゃんの前で立ち止まると、チョコレートを差し出した。おばちゃんが仕方なく一つ受け取ると、またおっさんは隣の車両に走り去っていった。残されたおばちゃんはつまらなそうな顔をしてもぐもぐとチョコレートを食っていたという。

2/24(月)

京都に戻る。授業料払う。西庄を大家に紹介する。センサの続きを作る。
「ユビキタス」と聞くたびに「湯引き」を、「スミソニアン」と聞くたびに「酢味噌」を思い出す。「まいどアレスコ」「おはよう!ペタンク」

2/23(日)

「純ロシア料理バラライカ」という店で珍しい食べ物を食べる。焼き豚みたいなものにピンク色のからしがついていた。ボルシチは小学校の給食のよりずっとうまかった。ピロシキはパン屋のものより表面がすべすべしていて、熱くて、とてもうまかった。パン屋のやつはただのにおいがないカレーパンだ。「カツレータ」という煮込みハンバーグは大きくてすばらしかった。巨大なロールキャベツには米が入っていた。とにかくうまい上に腹がいっぱいになって幸せだった。ロシア人になりたい。

2/22(土)

梅田に散髪に行く。本屋にも行く。高山から買って帰った酒飲む。

2/21(金)飛騨遠征5

晴れていた。雪質がよくいい天気でもあるので、高橋・西庄・多賀・渕野・梅谷の五人は期間を延長して滑り、土曜までいることになった。私と山本・米澤・蓼沼はこの日のうちに帰った。スノボを半日だけするのは難しかったので、漫画を読んですごした。キャンディキャンディ読了、子連れ狼読了。風呂に入ってから、と思っていたのだが、漫画が面白くて入れなかった。とろろそばなど食べる。13時ごろ家の人たちに暇を告げる。駅の雪の上に落書きをして時間をつぶす。「フッチー殺す byイオリ」など。富山まで行くディーゼルカーは一両編成で、バスみたいだった。途中乗り換えの都合で長い時間待つ。このとき、蓼沼君が私にそそのかされて池の氷に足を乗せて水にはまる。雪がだんだん少なくなるにつれて人も増えてきて、ズボンをずらした高校生たちもうじゃうじゃ乗ってきた。荷物が多い我々は肩身が狭かった。富山で16時ごろのサンダーバードに乗る。富山には18分間しかいなかったので、ここで買おうと思っていたみやげ物(バナナかまぼこなど)は全然買えなかった。残念。サンダーバードはすごく混んでいて、席はばらばらになった。山本君と私は喫煙席に座った。山本君は「まだメモリがあまっている」とかいいながら売店の店員や女性車掌の写真を撮っていた。内容があるようなないような話。19時頃京都につき、他の3人は降りていった。私は大阪まで乗り、実家に帰った。パソコン触らない生活もいいもんだな、と思った。

2/20(木)飛騨遠征4

朝から雪。この日はスノボなしで、高山に観光に行く。電車で1時間ぐらい。その間、愛哀崩についてなど馬鹿な話を続ける。「地図の記号シリーズ」ということで、ブロック崩しを解くと局部に発電所のマークが、とか。「修学旅行でダムの見学に行くねん。で、放水してるところを見て『すごいねー』とかいう会話があって、…『俺のダムも決壊しそうだ』というメニューを選ぶとゲームを開始する」。他に宮崎駿シリーズということで「サツキとメイ」をもじって「水無月とジューン」は?名前らしくないから「ミナとジュン」にして、云々。
 高山には12時過ぎぐらいに着。高山でもやっぱり雪が降っていた。まず昼食。半分ぐらいの連中は焼きそばを食いに行き、我々は隣の店で丼ものなど。私は「志のだうどん」というのを食べた。うどんにねぎとかまぼこが入っているだけだが、うまかった。七味唐辛子に青海苔が入っていたのが変わっていた。
 この後は市内をうろうろする。町じゅうに「さるぼぼ」という赤い人形があった。この辺のこけしみたいなものらしい。さるぼぼドラえもんやさるぼぼキティなんていうものも売られていた。等身大のさるぼぼ(バイクに乗っている)まであった。バイク屋ではなくただの電気屋の店先に。
 橋の欄干に手長足長という妖怪みたいな銅像があったのではしゃぐ。昔の町並みという区域があり、目だし帽をかぶって写真をとったりして遊んでいたところ、思いがけなく忍者屋敷?を発見する。正確な名称は「飛騨民族考古館」で、案内のチラシによると「高山城主金森氏の御典医、上田玄泰の住跡を一般公開したものです。この上田邸は、永い年月の間、不思議なほどほとんど修理の手が加えられていません。腐朽していない湯殿や井戸も江戸時代そのままにまた、本座敷のツリ天井、忍者窓、中庭から宮川に通ずる抜け穴など、特殊な仕掛けが随所にあって興味深く観覧していただけます。土蔵内には飛騨一円から集められた石器、土器、古民芸、古文書、古美術など約千点を展示しております。」ということである。大体この解説のとおりで、縄文時代の石器などが集めてある、案外普通の博物館であった。ツリ天井だが、これは天井裏の紐を切ると天井が落ちてくるという仕掛けらしく、当然実演はしてもらえなかった。抜け穴なども確かにあった。案内のおっさんがものすごくうれしそうに「下水工事をしていて抜け穴を発見しました」「ここの城主は影武者の…」という解説をしていて、その様子がおかしくてよかった。ほかにはメガネカップルの客もいた。
 この後市役所跡にいってPC98を見て興奮したり、城址に登って雪を投げあったり(山本君がOLらしき二人連れを見て興奮していた。それにしても観光客はOLっぽい団体が多かった。OL好みの町らしい。)、酒蔵を見学して試飲したりして遊んだ。酒蔵では酒と酒粕を買った。土産物屋の店先で木の板がぱたぱたするおもちゃ(名前不明)をいじりながら「ウホッ?ウホッ?」と大勢で「原人の真似」をしていたら、とおりがけのカップルが笑っていた。江戸時代の市役所みたいな遺跡もあったが、有料だったので入らず。そこから「遠山の金さん」とかで聞くような太鼓の音が聞こえてきた。閉門の時間らしい。普通はそういうのを聞いて旅情に浸ったりするのだろうが、我々はあれはきっとすごいおっさんが「でんでん太鼓」(裸で陰茎を左右に振り、内腿にぶつけて音を出すという技)で音を鳴らしているのだ、などとどうでもいい話をして盛り上がっていた。高山には変なものが多かった。たとえば、「水吹き童子」といって子供の口から水が出ているという妙な彫刻があったりした。牛肉の串焼きを立ち食い。うまかった。
 土産物屋で「突起をごりごりするとプロペラが回転するおもちゃ」(なんというものかは知らない)で遊ぶ。なんで回転するのか結局分からず。ほかの土産物屋に「100パーセント桃ジュース」というのがあったので購入。飲んでいないので味は知らない。たくさん買えばよかった。
 夕食として焼肉食う。高級店である。高いからほとんど食べられなかったが、いずれもすばらしかった。私はカルビクッパを食べたのだが、骨の髄のゼラチン質がとろけ、実にこたえられないうまさだった。このあたりの話は西庄の報告に詳しい。
 帰りの電車で、高橋君が買った1メートルぐらいある麩菓子を分けてもらって食べた。味があるようなないような変なものだった。道はふわふわした雪がいっぱい積もっていて、歩くとキュッキュッと音がした。これで滑ったら快適だろうなと思った。帰ってからはまた酒(「水みたい」「じゃあ水飲んどけや」といういつもの会話つき)と阿呆な話。タケノコやゼンマイの煮物を頂き、ひたすら飲む。半分ぐらいの連中はマージャンをしていた。2時半ぐらいまでして寝る。

2/19(水)飛騨遠征3

スノボ二日目。どうせ早く行っても凍っていて痛いので、皆ゆっくり出た。快晴で目が痛いぐらいである。この日は山本君にゴーグルを借りたので助かった。雪はじゅくじゅくで足をとられる。高橋君から滑り方を教えてもらう。つねに左に落ちていき、右足を前に出す/後ろに下げるという動作で方向転換する。夕方にはだいたい初心者コースならいけるようになった。しかし崖のほうは恐ろしくてまだ無理。調子に乗って滑っていて転び、左膝をねじって「うがっ!」と思ったことがあったが、大したことはなくて大丈夫だった。左膝は富山の小杉高校で柔道をしていて壊したことがあるので、そのときのことを思い出した。
 この日の昼は牛肉たたき+牛カルビ丼を食べた。うまかった。15時ごろあがった。他に2、3人うまい客がいたが、暑いからか昼過ぎにはいなくなった。最後は誰もいないのをいいことに雪合戦になった。
 書き忘れていたこと。

 温泉後、高橋・西庄・山本といったメンバーとまた飲む。豚肉ピリ辛煮というのをつまみにする。うまい。そこにあった「にんにく唐辛子」というのをかけるとよりうまかった。その後、まんが王国。この日は空手バカ一代を10巻ぐらいまでと、キャンディキャンディを7割目ぐらいまでと、子連れ狼の後のほう何冊かを読む。高橋君が眠ってしまったからか、帰ろうというものがおらず、結局20時半ぐらいまでそこにいた。
 その後夕飯。から揚げや肉じゃがなどいただく。また酒。じゃんけんで皿洗いを決めていたのだが、この日は梅谷・多賀・私だった。洗っているとおじいさんがやってきて昔話をしたり若い頃セーラー服を着ていた写真を見せてくれたりした。「軍艦に水を補給して飲んでいたら、最後のほうにタンクから死人(しびと)がでてきてなあ」などという濃い話を笑いながら。やはり本物にはかなわぬ。その後ひたすら馬鹿な話。この家にある変な本、ということで「”愛”ってなあに」(落合恵子編、講談社、s49.12.16一刷 s51.9.20九刷)という本を見せてもらう。こんなポエムがいっぱい載っていて実に良い。
私はインディアンになって
      s43.1.4
私はインディアンになって
あなたを生捕りにする
木にしばりつけて
こちょぐりの刑に処する
そして言わせてみたい
私が好きだって
川崎市E.A.(23歳・学生)
 こんなのもあった。
今日 お料理をつくりました
あなたのためのスープに
わたしの愛を入れました
一こじゃとても多すぎて
半分にわっていれたら
とてもすてきなだしがとれました
三鷹市T.O.(16歳・学生)
 ポエムに年の差なし!!
 この他に、山口百恵の写真がいっぱい載っている「激写」や、昭和天皇が死んだときの週刊朝日なんかもあった。これらは皆、以前この家に住んでいた高橋君のおじさんのものだったらしい。その人の部屋は高橋・山本組が寝ていた部屋なのだが、そこには浅田美代子のパネルや各地の三角形のペナント、スーパーカーの写真、水森亜土ライクな男の子と女の子のイラストが飾られており、とても懐かしい気分になった。最近ははやらなくなったなあ、ペナント。
 結局24時ごろ寝た。

2/18(火)飛騨遠征2

朝5時ごろ、大音量で「大きな古時計」を何度も流すやつがいて目がさめた。西庄が携帯電話の目覚まし機能をきり忘れていたのである。本人は布団にもぐりこんでいつまでも眠っていたのに殺意を覚えたので、走っていって耳に押し付けてやったらやっと起きた。寝るときの部屋の配置は「高橋・山本」「不死川・西庄・渕野」が二階、「米澤・蓼沼・梅谷・多賀」が一階で別れていたのだが、ほとんど全員起きたという。静かな場所で、外を水が流れる音しかしないところであの大音量だからたまらない。
 朝食は雑煮を頂いた(この後も毎日餅だった)。餅は好きなのでうれしかった。
 この日は9時ごろからスノボをした。服を持っていないのでウィンドブレーカーに目だし帽と手袋だけつけた。道具は借りることにした。コネのおかげで少し安くなったのでラッキーだった。結局山本君だけがスキーで、あとはスノボだったようである。
 スキー場には他の客は誰もいなかった。こんなので経営は大丈夫なのだろうか。スノボは初めてだったので転びまくった。雪がカチカチに凍っていてとても痛かった。ほかにソリで遊んだりもした。途中からよくわからない女の子3人組がいたが、おそらく我々同様誰か関係者とその友達だろう。あとで知ったところでは富山の専門学校の人たちだったらしい。直接喋ったわけではないのでよくわからない。
 昼食は、「飛騨牛の陶板焼き」という贅沢なものを食べた。スキー場の食堂とは思えないうまさである。しかも安い。
 午後はだいぶじゅくじゅくになってきた。ズボンの尻から冷たい水がしみてきて、打撲と冷たさのため感覚がない。それでも滑る。おかげでだいぶましになった。ただ、右向きと左向きのどちらに落ちていったらいいのかよくわからなくて困った(これについては次の日に教えてもらった)。
 昼過ぎから曇って寒くなってきたが、目だし帽のおかげで平気だった。ただ、まぶしかったので困った。
 15時ごろ引き上げ、ぬれた服を換えてから温泉に行く。なお、まんが王国とスキー場は同じ場所にあるので、ここら一角だけで何もかもできる。実にすばらしいところである。
 温泉を出てから高橋・西庄・渕野といったメンバーとカウンターでビールなど飲む。実にいい暮らしである。キムチや肉がうまかった。ここで1時間ほどつぶしてから、いよいよまんが王国に入った。
 まんが王国はパラダイスみたいなところだった。これは読みたい、という漫画が山のようにある上に、そこらじゅうに寝椅子が用意してあるのである。とりあえず一巡して物色するが、それだけで1時間かかった。堀江卓の「赤い風車」という素晴らしすぎる漫画を発見。また、「子連れ狼」が聞きしに勝るおもしろ漫画だということもわかった。また、「キャンディキャンディ」のはじめのほうを読んだ。これまた非常に面白い漫画だった。この日は他に藤子不二夫の「きれいなジャイアン」や「ウルトラスーパーデラックスマン」を読んだぐらいで、あまり読めなかった。
 夕飯はカレーを頂いた。また腹いっぱい食べ、飲んだ。全然やせない。プロジェクトX「海底ケーブルを通した男たち」を見ている連中を置いて、21時ごろ寝た。日本海溝を通すのが難しかったらしいが、どうやったのかは聞き逃した。

2/17(月)飛騨遠征1

実家スタートで朝9時にJR京都駅集合。途中バスで大回りしてしまい、開かずの踏切でずいぶん待たされたが何とか5分遅れ程度でついた。メンバーはすでに米澤・西庄・山本・渕野・多賀の6名が来ていた。梅谷と蓼沼の両名は30分遅れで来た。高橋君は高山経由で別に行くということだった。我々は富山経由で行った。ビール飲みながらしばらく待って、10時8分発の特急サンダーバード富山行きに乗る。人がいっぱいだったのでバラバラに座った。手が届くメンバーということで米澤・梅谷・不死川の3人で大富豪をしばらくする。革命ばかりだった。福井でだいぶ人が減ったので、梅谷・渕野・西庄・不死川で向かい合わせの席が取れた。「ん」を含むが「ん」では終わらない言葉でしりとりをする。「げんごろう」「うんめい」「インド」「どんぐり」というようなしりとりである。「い」「う」で終わる言葉が多くて難儀した。窓の外を見ながら「あれコンクリートに見えるでしょう?実は紙なんですよ」などといつものような会話もした。
 富山には13時ごろ到着。時間の都合で、ここで3時間ほどつぶさねばならなくなる。駅の近所のデパートの食堂で昼食。「京風ラーメン」が半額で、一部の者はそこに行ったが、私と西庄・山本の三人はあえて他の店に行った。そこで「海鮮小丼セット」というのがあったのでそれを頼んだところ、「これは小さいんですがよろしいですか?」とわざわざ念を押してきた。しばらくたって出てきたものを見ると、薄い刺身が三枚と小さい甘エビが一つが載っただけのしょぼい料理が出てきた。たくさん載っているように見えたものはほとんど大根だった。これとざるそばと天ぷらがセットだった。これで850円は高くないか?結局一緒についてきた天ぷらが一番ましだった。あとでラーメンを食いに行ったやつに聞くとかなりうまかったらしい。そっちにしとけばよかった。
 時間はまだまだあるので、さっき飯を一緒に食ったメンバーでその辺をぶらぶらする。「シネマ食堂街」という看板が見えたので行ってみると、昔懐かしい雰囲気の成人映画館で、「瓶詰め地獄」というなぞの映画をやっていた。ポスターには瓶に入った女?とウナギの絵が描いてあり、「こんな地獄があっていいのか!」という煽り文句が書いてあった。結局どんな映画だったのかはわからなかった。ほかに「愛獣むさぼる」「夢地獄 究極のONANIE」という映画をやっていた。
 大通りをそのまま歩いていくと、NHKとかやたら立派な市役所とかがあった。市役所には「祝田中さんノーベル賞受賞」という幕が下がっていた。どうもすかすかした町並みで、あまりうろうろして面白い感じの町ではなかった。後で調べるとどうやら空襲で焼けてしまったらしい。名古屋と同じである。
 城址公園というのがあったので行ってみた。薬が売れるようになったきっかけを作った人の像(アグネスラムの像と勝手に命名)、新聞配達少年の像、大伴家持の像、なんだかよく分からないがしもぶくれの少女の像など、むやみにこのあたりは銅像が多かった。また、皇紀2600年の銘がある殉職消防団員の記念碑なんていうものもあった。城は石垣だけで、復元した城があるにはあったが入れなかったので、目だし帽をかぶって石垣をよじ登っているつもりの写真をとったりして遊んだ。そうしたら、手のひらを切って血だらけになってしまった。あいかわらず馬鹿である。
 鳩がいっぱいいたので腕をバッと広げるといっせいに逃げ散るのが面白かった。西庄も真似をしたがあまり散らないので悔しがっていた。あれにはこつがあって、横から大きく広げるように腕をひらき、ちょっとそのまま止まるとよく逃げる。はずかしがって中途半端にやるとうまくいかない。
 再び集合して、駅前で相談していたら、不思議な少女が近づいてきて「なにー?」と話しかけられた。買い物に行くが何を買っていったらいいのかよくわからず、カップラーメンだけ買っていった。富山にはいろんなものをかまぼこで作る文化があると聞いていたが、本当にそうだった。かまぼこで作ったバナナや、「ビーちゃん」というなぞのキャラクターの顔などがあった。かまぼこで作った鯛なんていうのもあったが、あれはソーセージで作った豚みたいなものだろうか。「ギャートルズ」の「あの肉」をハムで作っている業者のことを思い出した。
 時間がきたのでホームに入ると、我々の乗る列車(電車ではなくディーゼルカーだった)のホームだけすごく狭かった。あまり客がいないらしい。3両編成で、高校生ばかりうじゃうじゃ乗ってきた。このあたりの女子高生は総じてスカートが短い。
 富山はよく晴れていて雪もなかったが、トンネルをくぐるたびに雪は深くなっていき、高校生たちの姿は消えていった。神通川がすぐそばを流れていて、ダムがたくさんあった。約一時間で杉原についた。(だいたい17時ごろ?)ここで高橋君と合流。
 家は駅からすぐのところだった。途中、ようこそまんが王国へ、という消防団のアニメ風イラストがあった。家に着いて、おじいさんとおばあさんに会って挨拶のあと、いきなりまんが王国に行った。
 飛騨まんが王国は温泉に入れるうえに漫画が読み放題というすばらしい場所であるが、この日は温泉に入るだけで漫画は読まなかった。出てからしばらく五目並べや将棋に興じた。テレビ番組は名古屋のものが多かった。「ももいちご」という大きなイチゴを使った絶品デザート、というのをニュースで紹介していた。「こういうのをテレビで見るから、みんな名古屋に行きたがるんだけども、行ってみたら物価が高くて困るんだ」ということを高橋君が言っていた。テレビではあと犬夜叉をやっていた。
 帰ってから、焼肉や酒を振舞われ接待された。たけのこやゼンマイの煮物もあった。いずれも大変うまいもので、いい気分だった。食事後、支那事変の記念写真集、とかいうのを見せてもらう。何十年も昔の本で、地図に満州国がのっているようなものだが、豪華本で紙がいいからか全然劣化していない。戦争の勝敗がわかっている現代のものと違って、それが生で行われているころの写真集である。本物の迫力に満ちた本であった。
 西庄がマージャンをしたがるがだれもやろうとしなかったので、ブーブー文句をいっていた。他の者はまだ起きていたが、私は21時半頃眠ってしまった。携帯電話は電波が届かなくて使えなかった。

2/16(日)

あいかわらずだらだらと過ごす。雨が降っていて薄暗かったのもあって、何もする気がしない。明日からの旅行の準備をする。靴下や長袖シャツやステテコだけですごい量になる。なにかもっと大事なものを忘れているような気もするのだが、まあ、思い出したら富山で買うことにしよう。電話もインターネットもできないらしいから、17日〜21日の記録は帰ってきてからつけることにする。

2/15(土)

スキーのグローブ、目出し帽、靴下など買う。イタリアはフランス同様リコリス先進国らしく、またそういうお菓子を貰った。リコリスが板状になったもので、名前は「KIMONO」。ハリボ少年が空手着みたいなのを着て上段げりをしているイラスト。服の合わせ目が反対のような気がするが目をつぶろう。

2/14(金)

電気電子実験のレポートを仕上げるつもりだったのだが、気が抜けてしまってまったく何もできなかった。結局インターネットをしたりSNOODをしたりしただけ。電話でイタリア旅行の話を聞く。

2/13(木)

夢の中に懐かしい人が出てきたが、なぜかインド哲学の研究室にいた人とごっちゃになっていた。朝まで存分に寝た。バスで駅前校に行く。卒業生の研究発表を聞くためである。昼休みの時間についたので天下一品に入るが、スープが薄いと思った。店によって、また行くときによって味が全然違うのが面白い。で、発表だが、今回のは前回までよりかなりレベルが高かった。「これはつらい」と思わせるようなものがなかった。それでも、ひとつふたつ自主制作ビデオみたいなので「これは」というのがあった。なぜ自主制作映画では顔のアップが多用され、なんだかよくわからない映像にかぶせて「なぜ」とか「聞こえない」とかいう文字が挿入されるのか。俗悪を嫌うのはいいが、俗悪を嫌う連中がどいつもこいつも同じような「不思議な世界」を描いてしまうのはなぜか。「俺って変わってる?以外と(原文まま)普通でしょ」という変な映像を見たときは恥ずかしくて正視できなかった。こいつらは若い頃の俺だ。…中学の頃撮った写真には、なぜか人が写っていないのが多い。残っているのは、下手くそな風景写真ばかりだ。みんなではしゃいで写真を撮るなんていう俗悪なことはしたくなかったのだ。しかし、今はわかっている。風景写真なんかその道のプロが撮ったものが一番いいに決まっている。俗悪だろうがなんだろうが、せめて自分たちのその頃を形に残しておいた方がずっと後になって面白かっただろうことを。自分がたりが長くなった。発表の感想の続き。音声認識でメモ帳が起動したりする研究や、二足歩行ロボットの研究など、面白いのが多かった。いい意味で期待を裏切られたといえる。終わった後、17日からの旅行について打ち合わせ。高橋君の招待で飛騨に17日から21日まで行くのである。それからJRで実家に帰還。洛北に帰る元気はもうなかった。

2/12(水)

結局4日間でレポート二つ(ワードで73枚分)とパワーポイント資料二つをでっちあげ、発表。無事終了。昼過ぎから夜まで寝る。今サーバのデータのバックアップをしている。MOが遅いので待っている間にいろいろ他のことをしている。ところで、「ニンジャ映画の世界」にまたバブルが起こっている。とはいっても、「桜Ninja」だけにであるが(リードミーの情報でわかった)。どこかから文中リンクされたらしい。「桜Ninja」が出てくる文章とはいったいどんなのなのか?トップページのアクセスはほとんど変わらず。

2/11(火)

やっぱり誰にも会わずにひたすらレポート。一人でいると退屈でダレる。夜になってやっと何人か来たのでやる気が出る。今12日になったところである。二つ目のレポートは今22枚目で、もうすぐ終わる。後になるほどいいかげんな書き方になっていくのがおかしい。よくわからないことは書きたくないのが丸わかりだ。これが終わったらパワーポイントの資料を作って、それからプログラムそのものを書かないといけない。なんだか主客転倒のような気もするが、時間の都合で仕方がなかった。武田からアメリカン忍者5のレポートが来た。気分転換にそちらの更新をするか。

2/10(月)

誰にも会わないのも退屈なので、J教室でゼミの追い込みをしている人たちと一緒にひきつづきレポートを書きつづける。44枚で一つ目完成。11日の朝5時になってしまった。でももう一つ書かないといけない。やっぱり4日で2つ書くのは無謀だったか。

2/9(日)夜中

30枚目。まだ一つ目が終わらない。うんざりしている。まだまだ、デジカメ借りて写真とる、などいろいろしないといけない。何枚になるんだ。

2/9(日)夕方

正月に買った塗料剥離剤(カンペハピオ製)をガムテープのあとにかけてみたところ、どんどん溶けていくので痛快だった。アルコールではだめだったが、シンナーなら溶かせるらしい。似たようなものだと思うんだが。
 実家から車で荷物を回収に来てもらった。こたつ以外はほとんどトランクに入った。本がダンボール二つで済んだからだ。昔京都から引っ越したときはダンボールが天井まであった。
 レポート26枚目。さすがに疲れてきた。今日中に書いてしまって明日とあさってはもう一つのレポートを書かないと…。

2/8(土)

ISのレポート書き始める。今15枚書いたが、まだ七分の一くらいだ。しかもISは二つある。部室に一回生がたくさんいて、アセンブラのつき返されたレポートを書き直している。まあ、書くことが決まっているだけ彼らよりはましか。部室のいらないダンボールをもらって、引越しの準備。あとは明日実家から車が来るのを待つだけ。あの部屋は次に西庄が入るので、ちょっとぐらい荷物が残っても大丈夫だろう。

2/7(金)2

夜から田口たちと銀閣寺で飲み。ここに来るのは久しぶりだ。10年前と似たような埒もない話をいろいろ。散々いいちこを飲んで酩酊してから、近くに新しくできた評判のラーメン屋(深夜なのに行列ができていた)に行く。確かにうまいけどそんなに並ぶかね。また歩いて帰る。この日はよく歩いた。

2/7(金)

駅前校で試験。これで全部終わった。
 いい天気だったので、観光をすることにした。まず、金閣寺に行ってみたかったので、八条堀川から金閣寺まで歩いた。途中、「わら天神」という神社があったので入ってみたが、安産を祈願する神社だったのであまり関係なかった。この「わら天神」という字を見るたびに2ちゃんねるの「(藁」(「(笑)」の意)という言葉を思い出すので気になっていた。金閣寺は工事中で見られなかったので、今出川まで戻り、北野天満宮に行った。ここも行ったことがなかったので行ってみたかったのだ。大きくて人がいっぱいいた。長い筒のカメラを持った老人の団体客が多かった。つるつるした牛の石像があった。頭をなでると頭がよくなるらしいが、誰も触っていなかったので触りづらく、腰のあたりをこっそり指で触るにとどめた。2メートルぐらいある江戸時代の大きな絵馬がいっぱいあった。他人の絵馬覗きもした。「六甲アイランド高校に受かりますように」というのがあった。そんな高校があるのか。昔は六甲アイランドという島自体がなかったものだが、なんて関係ないことを思った。
 しばらく北上したところで足が痛いのでバスに乗ろうと思ったが、ないのでまた今出川に戻り、バス停に行ったがいい路線がないので結局歩いて北大路まで帰った。途中屋根に「ヨルダン」とだけ書いてある民家や、「きたいち」というお好み焼き屋(「期待値」かと思った。「コンパ以来コンパ以来」を「コンパイラコンパイラ」と聞き違えたのを思い出す)、前見つからなかったゲル(モンゴル人のテント)でやっている串焼き屋台(営業していなくて、入り口に黄色いシマネコが2匹と黒っぽいぶちネコが座っていた)とか、いろんなものを見たが、カメラを持っていなかったので写真は撮れなかった。

2/6(木)昼

昨日の夜、一回生たちがアセンブラの課題で「パソコンを8台RS−232Cケーブルでつないで対戦テトリス(音楽つき)」を作ろうとしていた。テトリスは完全にできていたが、音楽のタイミングが合わず苦労していた(和音を作ろうとしていたらしい)。面白そうなので見ていたが、さすがに次の日試験なので2時ごろ帰った。
 今駅前校にいる。さっき一つ目の試験が終わった。もうひとつは14時からなのでパソコン部屋にいる。朝食は吉野家で納豆定食、バスで駅前に来て試験後「このみ」でコロッケ定食。量が多くて幸せである。
 ニンジャハンティング2の構想を練る。サブタイトルは「Save the Geishas」。上のほうをときどきゲイシャが通過する。弾が当たったら自分が死ぬ。10面に一度ボスが出てくる。ボスは大きな顔で、ゆっくりと上から降りてくる。まずすばやい左右移動から乱射。つぎにゆっくりと上下しながら砲台を狙い撃ち。その次にぐるぐる回転しながら口から火を吐く。回転が終わったらちょっと下がってから体当たりして元の位置にもどる。で、左右移動に戻る。150発弾を撃ち込むと爆発する。爆発するとゲイシャを一人助けたことになる。このあたりスーパーマリオとかドンキーコングの面クリアのシーンみたいに。

2/5(水)

朝まで起きていた。昼まで寝て、その後夜まで寝ながら試験勉強をしていた。昼無印良品の「韓国生冷麺」を試してみたところ、かなりよかった。ちゃんと具を入れたらもっとうまいと思う。

2/4(火)

実際に出場したときのプログラムにいろいろ埋め込んで、マイクロマウスと通信してパソコンの画面上をうろうろする実験がようやく本格的にうまくいく。レポートを書かないといけないのだが、なかなか進まない。
 「あれ」な人たちはなぜパソコンがフリーズすることを「お亡くなりになる」と言うのか?なぜ「某M$社」とか「約一名」とか、わかっていることをわざわざ伏字にするのか?(ちなみにM$社というのはマイクロソフト社のことである)普通の人にとっては256はキリ番じゃないぞ!!

2/3(月)

Ninja HuntingをJavaの課題ということにして提出した。その他の課題もやろうとしたのだが眠たくてどうしてもできず。
 合唱は現代音楽が盛んな珍しいジャンルである(「くるってる くるってる くるった人がまわってる」という歌があるらしい)とか、電話でそういう話をする。

2/2(日)

試験勉強をするつもりだったのだが、ついついSNOODやぷよぷよをやってしまう。
 最近ペットボトルに湯を詰めて布に包み、それを抱いて寝るということをよくやっている。密封されていて空気とふれあわないし、金属製の湯たんぽと違って熱伝導率も低いのでいつまでも温かい。宇宙空間は寒いけれども対流が起こらないので、水のかたまりを外に出しても意外と温かさが持続する、と聞いた。対流が起こりにくい物質(葛湯とか)を詰めるともっと温かいと思うが、洗うのが難しいので仕方ない。中身をいちいち詰め替えずに湯煎をするようにしたらいいかもしれない。

2/1(土)

金曜日はあまりにも眠かったので実家に帰ったらすぐ寝てしまった。
 この日は一日中酒ばかり飲んでいた。元町の南京町で祭りをやっていて、すごい人だかりだった。
 言われてみて気が付いたのだが、俺の喋り方が周りの人たちにうつっているらしい。

  1. 「いっしょにしないで下さい」
    (例)「だから電柱とか鉄塔がな…」「電柱と鉄塔をいっしょにしないで下さい!!」「電柱も鉄塔も似たようなもんやろ」「違います」
  2. 「それをすると、どういういいことがありますか」
    (例)「ただいまカードの会員登録が無料になっておりますが」「登録をすると、どういういいことがありますか?」
  3. 「じゃあなにをするわけ」
    (例)「納豆とかヨーグルトとか、あんまり好きじゃないし」「じゃあいったい何を食べるの?」
  4. 「○○しなければいけない」
    (例)「ブルース・リー対ニンジャっていう映画があるんだよ」「それは見なければいけない
  5. 「『あっ!!』っていうような人」
    (例)「この間京都駅に行ったらな、『あっ!!』っていう感じのイイ顔の人がいてな…」
  6. 「ガーッとなってギャーッとあれして」
    (例)「シュークリームを噛むと、クリームが『ぶちゅっ』と出てきて…」「あれ、なんやったかな。あれ、あれがな、ダーッとなって、ハリウッド映画の、ズバババーッと、でな、ガーッとあれすんねん」
 他にもありそうである。