2001年12月の記録

12/31(月) ようやく膨大な量の書類手紙写真の類を整理することができた。
 今年は死にそうな目にあったりもしたけど、結局死なずにすんだし、ロボット相撲にも出られたし、マイクロマウスでは完走できたし、母親が交通事故にあったけどたいしたこともなく、実家の引っ越しも無事すんだし、Yさんに出会うこともできたし、いいこともたくさんあった。こうして無事に年末を迎えられたのは実にありがたいことだ。「終わりがよかったら全部よい」という。だから、今年はいい年だった。来年もいい年であることを祈る。
12/30(日) アイマックスシアターでファンタジア2000を見る。すばらしかった。旧作はテレビで見たけど、やっぱり大画面は違うなー。とくに「魔法使いの弟子」は何回見てもいいと思う。他のところもよかったけど。なんだかんだいってもディズニーはすごいと思う。ところで、ミッキーの吹き替えの声は気持ち悪い。ドナルドの声が山寺宏一だったかどうかは確認できず。
 T同志の案内で、メガネの安売り店にいく。3000円でメガネが作れるとはお買得である。1/17以降取りに行くこと。普通の人は遠くがよく見えない時目を細めるが、私は目を見開くくせがあることがわかった。黄色い縁が「笑福亭笑瓶」、赤い縁が「タージン」、黒い縁が「松尾貴史」、黒い細い縁でレンズが大きいのが「松方弘樹」、レンズが丸くて小さいのが「戦中派」、レンズが六角形なのが「ウルトラセブン」。青い色のグラデーションがついたレンズは「おしゃれサングラス」だ。残念ながらジョンレノン仕様やトニー谷仕様の縁はなかった。
 その後飲みに行く。すごい人出だった。「ご注文のほういじょうでよろしかったですか?」の「ほう」とか「よろしかった」ってのは何だ、とか、「500円からお預かりします」の「から」って何だ、といった話をする。それから昔話などする。同じ国の同じ時期に生きていた人とは思えないくらい生活が違っていたことがわかって面白かった。大学の時は一年中ジャージにぞうり姿で、自転車でどこにでも行った。靴なんか走る時にしかはかなかったものだ。暑い時は頭に水をかけた。スポーツ刈りはすぐ乾くので便利だった。宴会はもっぱら川原で、水に入ったり相撲をとったりした。ダンパみたいな文化的なところには行ったことないなぁ。
 ピアスの穴あけは痛くないらしいが、どうも柔らかいところに穴があいているのを見ると恐ろしい。元冦の時の「捕虜は手のひらに穴をあけられて縄でまとめて繋がれ・・・」というホントか嘘かわからない話を思い出す。T同志は氷で冷やした耳たぶにふとん針を火であぶって突き刺したらしいが、パンチみたいな便利な道具もあるらしい。梶井基次郎の小説で、ネコの耳がぴくぴく動いているのを見ると切符きりのハサミでぱちんとやりたくなる、というのがあったが、そういうのではないと思う。あー、今の若い人は知らないかもしれないが、昔は自動改札ではなく、切符に人間がハサミでMとかUとかコの形をした切れ目を入れてチェックしていた。阪急梅田の「田」が「図」みたいな字になっているのは肉眼でのチェックがしやすいようにわざとそうしていたことのなごりなのだそうだ。閑話休題。ピアスとともに気持ち悪いのがコンタクトレンズだ。ソフトは気持ち悪くないらしいのだが、どうも目の中にものを入れるのに抵抗がある。昔ソフトレンズをつけていた石川吾郎が(柔道の)乱取り中に「あっ」と言って止まったことがあった。見ていると彼の目から透明な膜がぽろっと畳に落ちた。またはめ直すまでの間「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、・・・」(使徒9-18)というのはこんな感じだったのかな、などとどうでもいいことを考えていた覚えがある。コンタクト以上に気持ち悪いのが「近視を直す手術」だ。目のレンズに切れ込みを入れるなんて恐すぎる。何の話か収集がつかなくなってきたのでこれでおわる。
12/29(土) 書類の整理続き。昼から兄一家が来る。夕方から梅田で武田・中井とアジアンキッチンに行き、「世界一辛い唐辛子」を噛んで悲鳴をあげたりする。全くいつもどおり。「で、それはどんな子なんや」「どんなって。外見か?中身か?」「中身は」「普通の人だよ」「お前のいう『普通』は信用できんからなー」「そうかね」「かわいいんか」「俺はそう思うけど」「お前は伊藤みどりがええ、っちゅうやつやからな」「伊藤みどりええやないか」「どこがや」というふうな会話をする。ここを読んでいる人のほとんどにとってどうでもいい話である。携帯電話がどこかにいってしまい、中井が困っていた。俺は伊藤みどりは好きだったけどな。
メモ:「ロンドン橋落ちた」と「メリーさんのひつじ」、「しょうじょう寺のたぬきばやし」と「でんでんむしむしかたつむり」、「京大柔道部遠征歌」と「尊師マーチ」は同時に歌うことができる。
12/28(金) 書類の整理。浜学園に通っていた頃のテストとかプリントが全部保存されていたのだが、さすがに15年間見なかったということはいらないということだろうと、ほとんど捨てる。浜学園のテストは隣の席同士で交換して採点するので、採点者欄には懐かしい名前がたくさん残っている。「羽尾」「藤原」「野田万太郎」「大谷」「棚田」「釜口」「江上」「小林」「村上」「樽本」「門口(もんぐち)」「北口」「野中」「間嶋大陸」「田中(雅之)」などである。それにしてもうんざりするぐらいたくさんある。週に三回算数・国語・理科の授業があり、土曜日(?)は「最高レベル特訓」というのがあり、日曜日には「日曜特訓」とか「公開テスト」というのがあった。その他志望校別特訓というのや、夏期講習といった季節ものの授業もあった。授業度にテストがあったわけだからすごいものだ。しかも結構高級なことをしている。自分は電流とか電圧について全然習ったことがないと思い込んでいたのだが、小学校ですでに習っていた上に、中学の物理でレポートを集団で出していた。何度も習っていたくせに完全に忘れていたのである。結局自分からすすんで勉強しないと身につかないということだろう。あと、当時はまだ「ゆえに」「すなわち」などを使ってちゃんとした答案を作る技術をしらなかったので、算数は計算しかできていない。
 中学校・高校のテストも大量にある。1学期から3学期までの各学期に全科目の中間考査(テストのこと)・期末考査があり、長い休み明けには宿題考査というのがあり、単語テストや数学の小テストみたいなのが無数にあったのだからすごい量にもなる。意外なことに高一ぐらいまでは平均程度の成績だったこともわかった。もっと悪かったような気がしていたが。高2がやっぱり一番ひどい。これは記憶通りだ。しかし、なぜか国語(現代文)と「倫理」だけはいい点なのだった。しかし高校で一番面白かったのもやっぱり高2の頃だった。高1までは勉強もしなければと思っていたのを、高2で投げて遊びに専念したからだ。今俺は優等生のふりをしているが、この頃と大学の時は本当にだらけきった生活をしていた。しかし今一番役にたっているのがだらけていた頃身につけたり作ったりしたものだというのが皮肉である。
 中学1年生にスエーヴィ族とかデーン人とか東ゴート族とかアリウス派とか三位一体とかマニアックな内容を教えまくっていたオクヤミは子供相手にも容赦なくてすごいと思う。でも細かすぎてかえって分かりにくかった。今見ると面白いんだけど。プリントの一部:「◇西ゴート王アラリック2世とは友好関係 ロアール川は西ゴートとの境界 ◇アラマン族(北のリプアリ・フランク族、南のブルグンド族を脅かしていた)をケルン付近のトルビアック(現在のチュルピッヒ)で撃破→ラインの対岸へ押し返す 496」断っておくが、これは中1の授業用プリントである。
 物理も、中1に微分なんかやらすなよ。俺はここでつまづいて文系になってしまい、今になって苦労してるんだ。
 高校時代の恥ずかしい写真や手紙も大量に発掘される。塾の「クリスマス会」の余興でポッキーを女の子と端っこから同時にかじっている写真とか、夜書いたけど朝見て恥ずかしくなり出さなかったラブレターの類である。みんな処分処分。大学も文学部だったんだし、思っていたほど女性と全然縁がなかったわけではなかったらしい。むしろこっちが避けていたようだ。昔は劣等感が強かったから。もったいないことである。
 製図用具など、便利そうなものも見つかった。これはちょうどよかった。
 落書きの中に「三島由紀夫死して20年」というのがあった。時代がわかる。ちなみに三島由紀夫は昭和45年に死んだ。
 兄の家族が来るらしいから明日までに片付けなければならないのに、なかなかすすまない。作業中に「風の谷のナウシカ」やら「力道山と日本プロレス史」をよみ直したりしているからいけないのだろう。
12/27(木) 一日中部屋の整理。昔の塾の英語のノートの中から2000円を発掘する。ラッキー。他にもどこにいったかわからなくなっていたノートなんかもいくつか見つかる。「大山聖書」とか。しかし今見るとやっぱり面白くない。面白いところは他の形で残してあるから、やっぱり残らなかった部分には理由があるということか。他には駿台時代の「Ascent」とか大学の「らいふすてーじ」。昔の身体測定や体力測定のデータ。12年前は今と同じ身長で体重が63キロしかなかったのか。貧弱なものだ。ちなみに今は74キロである。小学校の昔の集合写真が見つかるが、写っているガキどもがみんな実に不細工で貧相である。記憶と大分違うな。ノートのすみの方に「この世界は腐っている、滅んでしまえ」みたいな、ありがちなポエムが書いてあったりする。ほかにもいろいろ落書きとか思いつきを書き付けたものが見つかるが、ほとんどがどうしようもないものである。もうちょっといいものが見つかると思ったが、結局子供が考えることなんてたいしたことがないらしい。改めて思うが、創造性豊かな子供が大人の硬直した思考でがんじがらめに、なんていうのは嘘っぱちである。今のほうがよっぽど創造的だし、面白い。昔のほうがよかったと思うのは、できがいいところしか覚えていないからで、テストの解答用紙とかノートの落書きといったなまなましいものを見ると、いかに当時のほとんどの時間が不毛なものだったかわかるというものだ。
12/26(水) 昼から学校で昨日の作業の続き。夜までになんとか形になった。
 ハリボのリコリスグミを食べる。電気のコードそっくりな形状の黒い飴が、渦巻き状にしてある。これを伸ばして食べるのだが、味はカッツェンそのままで、全然甘くなく、非常に変な味だった。例によって他の人たちにも食べてもらったが、やっぱり不評だった。これにくらべるとゼリービーンズは相当ましだったので、口直しに食べていたのだが、中に白いのがあって、トウモロコシみたいな異常な味だった。なんだこれは、とジェリーベリー社のページで調べると「Buttered Popcorn」味らしい。なんでポップコーン味の飴なんか作らなきゃならんのか!?日本でも数年前、桂三枝プロデュースの「たこやき飴」という狂った味の飴があったが・・・。
 コンビニで「漂流教室」の復刻版を売り出した。いいことだ。「お姫さまと呼んでもらいたいわね、お姫さまと!」(女番長のセリフより)
12/25(火) 昼から学校で「基礎情報活用」の宿題。集団作業なので集まったのだが、あんまり進まず。途中実家から電話。パソコンがつきっぱなしだがいいのか?という。そういえば朝エロサイトをみていてフリーズしたのだが、それをそのまま忘れてきたのだった。マッキントッシュがフリーズしたら横の穴から針を差し込むと直るのだが、たまたま尖ったものが見当たらず、そのままにしてしまったのだ。まあ、文字ばっかりのページでまだよかったが、恥ずかしいことである。
 相撲ロボットの設計も少々すすめる。増設部分はマイクロマウスの回路を流用できそう。4040を使わずCTCでRS232Cのクロックを云々というところがよくわからない。ここは後回しにして、プログラムを先に書いてしまうことにする。これは家でもできる。
 リコリスのゼリービーンズは、学校ではさんざんな不評だった。予想通りでうれしい。
12/24(月) 今日はひたすら実家でノート類の整理をしていた。
 それで終わりというのもつまらないので、関係ないことを書こう。「一言でいえば」という遊びがある。映画の内容とかを一言でまとめてしまうのだ。
「椿三十郎」:「椿三十郎がやくざを切り殺す話」
「七人の侍」:「七人の侍が野武士を撃退する話」
「ベン・ハー」:「ベン・ハーがキリストに出会う話」
「日本沈没」:「日本が沈没する話」(そのままや!)
「ポセイドン・アドベンチャー」:「船が転覆する話」
「タイタニック」:「船が沈没する話」
「天空の城ラピュタ」:「天空の城から人がゴミのように落ちる話」
という具合だ。
 私の考えでは、一言で説明できる映画はいい映画である。なんだかよくわからない話は苦手だ。例えば、私は「スターウォーズエピソード1」があまり好きでないのだが、理由は「一言でまとめられないから」である。確かこんな話だった。
 「カエル星人がギャーギャーわめくので、潜水艇で水の底に潜ると大きな魚に食われそうになるが、もっと大きい魚がそいつを食ってくれて助かる。田舎の村で少年を拾い、レースに出させたら勝つ。赤鬼みたいなやつが長い棒を振り回しながら襲ってくるが、なんとかやっつける。なにやら経済がどうたら複雑な事情から戦争になる。さっきの少年が悪戯で宇宙船のボタンをおしたら勝手に発進して敵の母艦をあっさり爆発させてラッキー。カエル星人たちが花火をあげてバンザーイ」
 なにがなんだかよくわからない。これに対して、最初の「スターウォーズ」はこんな話だ。「白いロボットと金色のロボットと毛むくじゃらの獣人と若者と中年男が、黒いおっさんから囚われの美姫を救い出す話」。なんというわかりやすさであろうか。ややこしい話なら高級だと思っている人には猛省を促したい。バルス!
12/23(日) 神戸でT同志と会う。リコリス味の黒いゼリービーンズ、カッツェン(ドイツ製リコリスグミ)、ハリボのリコリスキャンデーをもらう。ゼリービーンズは意外とまずくなかった。カッツェンはT同志もさすがに吐きそうになっていた。私は水で無理矢理飲み込んだ。ハリボの飴は細長い黒い飴を渦巻き状にしたもので、子供がよろこんでいる絵のパッケージだった。「くせのある味ですので少しずつ食べて下さい」だそうだ。これは大きいのでまだ食べていない。
 元町から高架下を探索する。「双頭の鹿の剥製」がどこかにあったと思ったが、みあたらず。ピンクのおっちゃんも見つからなかった。神戸駅の中国百貨公司では人民帽を見つけられなかった。どれも高校生の頃見たものばかりだから今はなくなってしまったのかもしれない。全然知らなかったが、このあたりには軍服やフィギュアの店がやたらとある。ここで「リカちゃんの生き別れの姉はリエちゃんといって耳の下にほくろがある」といった興味深い話を聞くことができた。
 この後いろいろ喋りながら面白いものを飲食した。その中でも一番印象的だったのはペルノPernodという酒である。これはリコリス味のリキュールで、店の人によるとフランスで一番売れているリキュールだということであった。本当かよ。ドイツ人といいフランス人といいやっぱり少しおかしいんじゃないか。しかし、グレープフルーツで割るとはじめの印象とは違いそんなに悪くなかった。というかむしろうまかった。面白いので何杯か飲んだ。リコリスに始まりリコリスに終わるすごい一日だった。
注:本当はリコリスの話ばっかりじゃないのだが、読者のみなさんが読みたいのは奇妙なお菓子とかドリンクの話だろうからこういうことにしておく。
12/22(土) 朝起きたら昼だった。阪急で実家へ。道に迷うかと思ったが迷わなかった。すぐ近所に市立図書館があるのがすばらしい。今後はできるだけ借りて読むことにしたい。本を片付ける作業の続き。大分減った。「宇宙人大図鑑」をやっと掘り起こす。その後電話のケーブルを別の部屋から引いたりする。
12/21(金) 部室にいっぱい人が来た。春頃に比べるとずいぶんメンバーが変わった。この時期に人がいっぱいいるというのは、去年は考えられなかったことだ。やはり暖房は偉大である。
 朝までC++。どうしてもバグが取れないからとりあえず寝る。起きて昼にやってみたらあっさりできた。教訓:寝ないと頭が悪くなる。
 これで今年の授業はオシマイ。あー疲れた。他の校舎の奴らは授業だけでこんなにしんどいところがあるなんて信じられないんだろうなー。うどん食って寝る。夜中に起きだしてこれを書く。これからまた寝る。
 西山君が引越しのとき出てきた「6年の学習教材・歴史人物コンピュータボイス」というテープをMDにうつしてくれた。十数年ぶりに聞く。「弥生人」以外はまるっきり忘れていたので、かなり新鮮である。いろんな意味でショッキングな内容だった。いくら清少納言が嫌いだからって「馬鹿な女です」はないだろう、紫式部。「それに、あの人の文章は自分で言うほどうまくありません」だって。
12/20(木) 朝までかかってC++が進まず、とりあえず寝る。すると朝の授業(論理設計4)を全部寝過ごしてしまった。
 昼から起きだして「観光都市・京都」というパワーポイント資料をでっち上げる。1月はじめに発表なので25日以降また集まって続きをやらねばならない。めんどくさいなあ。
 その後はまたC++宿題の続き。昨日のお姉ちゃんと今日の西山君の助言のおかげでなんとかできそうな感じになってきた。まことに先達はあらまほしいことであるよ。どうせあしたの朝まで同じことをしているに決まっているから、今日はさっさと(今18:30)更新することにする。
 雑談。(きのう人に送ったメールの文章に手を加えたもの)
 漫画における電気の描かれ方は間違いが多く、電気好きとしては嘆かわしい限り
。たとえば劇画「プロレススーパースター列伝」の、タイガーマスク(初代)がメキシコで修行していたときのエピソードでこんなのがある。

「メキシコの荒野に立つ塔の屋上に、おそるべきレスラー養成所がある。そこにはさまざまな練習道具がある。たとえばガラスがびっしり生えたサンドバッグ。正確にキックをしないと血まみれになる。また、棒にとげが生えているバーベル。胸におろすと突き刺さる。さらに、鉄板でできたリング。これには、電気が通してある。投げられてすぐに起き上がらないと感電して泣きわめくことになる。このような設備で、メキシコの一流レスラーたちは鍛えぬかれているのだ。」

 鉄板と人体と、どっちのほうが電気が流れやすいか?鉄板だ。ならその上に裸で寝たところで、電気は鉄板の中を通るはずである。もしこれで感電するなら、電線の鳥も感電して落ちるはずではないか!!
 昔のロボットアニメでよく出てきた、「電撃ビリビリでもがき苦しむ主人公」も怪しいと思う。車に落雷しても車体から地面に電気が流れるので中の人は大丈夫である。ロボットもたぶん金属製だから、中の人は大丈夫なはずだ。だから、あれはきっと装甲に流れる大電流のせいで温度が上昇して苦しんでいるのである。神谷明なら本当のことを知っているかもしれない。
12/19(水) 自動制御の宿題を朝までかかってやる。ついでに部室の掃除もする。
 授業が終わった後この間のマウスの修理。電源部分とセンサの一部が壊れていた。最近鴨川校のエネルギッシュなお姉ちゃん(といっても私と同じ歳だが)がよく来る。何というか、世の中にはすごい人がいるものだ。このところ自分と同じ歳の人によく知り合うが、皆面白い。そして、面白いのはいいことだ。
 修理後C++の宿題。
 メカトロゼミの人たちとの相撲ロボット対戦が1月中旬らしいので、授業が始まって1週間は突貫作業となる。新年いきなりまたアレをやるのかと思うとしんどい。今3時半なんだけど、まだ宿題が終わらない。眠い。
12/18(火) 差分増幅回路にステレオの音楽を入れるとカラオケになるという。楽器は左右で違う音がしているが、声はたいてい真ん中で左右おなじレベルだから、差をとるとゼロになってしまうのだ。面白そうだからこれをオペアンプの自主テーマ課題にする。
 ニンジャ映画の世界の英訳をそろそろ再開しなきゃいけないなー。
 今日も特に何もなかったので今年&来年の予定でも。
 冬休みは22日から。今年は12月23日以外年末まで特に予定はない。部屋の整理のためたいてい家にいると思う。
 1月8日 講義再開 1月はレポートが多いと予想される。
 2月14日 春期休暇開始
 3月24日 石川吾郎結婚式
 4月10日ぐらい 前期授業開始
 4月21日 情報処理試験「エンベデッド」
 5月19日 工事担任者試験(申し込みは2月はじめなので注意)
 8月15日 大文字焼き(中継云々・・・詳しくは未定)
 8月25日 電験3種試験(申し込みは5月なので注意)
 8月?日 フレッシュマンマウス名古屋遠征
 9月末 ロボット相撲大阪
 10月 情報処理試験「ネットワーク」
 10月 エキスパートマウス名古屋遠征
 11月23日 マイクロマウス2002
 ○ティーチングアシスタントあれば入れたい。
 ○時間があればプログラマのアルバイトをしたい。マイコン関係で何かないだろうか?
12/17(月) クリスマスも近いことだし、小ネタを一つ。今日は何もなかった。宿題あと2つ。
12/16(日) 雨戸を閉めた上押入れの中にいるので、目覚めても真の闇である。昼まで寝る。頭が痛い。昼から作業つづき。背の高さまで積み上げられた圧倒的な質量を見てうんざりしながら、とにかく箱を開けて本棚につっこむ。分類は後だ。半分ぐらいあけたところで夜になったので、夕食後京都に戻る。
12/15(土) 8時半頃、引越し屋がくる。私の部屋の本やノートは結局65箱になった。これに今まで倉庫にあった書類などを足すから80箱以上が次の私の部屋に運び込まれることになった。しかし、本職の人はさすがである。紙を満載した箱を二つまとめて運ぶのだ。それでも予想外の多さだったらしくて、かなりしんどそうだった。
 この家にきたのは1980年だから、20年以上いたことになる。まだ感慨がわいてこないが、だんだんわいてくるのだろう。20年分のほこりがすごかった。荷物がなくなってみると、思いのほか広かった。壁で声が反響するのだ。大体うちは荷物が多すぎる。
 その後、新しい家で作業続行。18時半頃移動が終わる。引越しといっても隣の市に移っただけだ。はじめて入ったのだが、なかなかきれいな家である。私の部屋は12畳と、わりと広いのだが、本棚および本が入った箱のおかげで埋め尽くされ、結局押入れで寝る羽目になった。寒かった。
12/14(金) とくに何もない日だったので、昔の思い出話でも書こう。私は以前、車であちこちの工場を回って色見本にする車体パーツを集める仕事をしていた。車の中では音楽テープを聞いたりラジオを聞いたりするしかない。私が好きなラジオは「FMこころ」という外国人向け?の放送で、特にパキスタンの歌が流れる番組やチリの調子のいいおっさんがしゃべくる番組が気にいっていた。テープは筋肉少女帯やパキスタン(また!)の謎の曲、それに軍歌や行進曲といったものをよく聞いていた。高速道路で軍艦マーチ(「海ゆかば」つき)を大声で歌うのは爽快だった。しかし、同行者がいる時はいつも別のものに取り替えられてしまうのが残念だった。
 軍歌を聞く楽しみはもう一つある。歩道に高校生とかばあさんが見える。そこでいきなり大音量にして、窓をあけるのである。ターゲットが怪訝な顔できょろきょろしたら成功である。もちろん気付かれる前に車ははるか遠くに去ってしまっているというわけだ。
12/13(木) 論理設計、8255からの出力でLEDがちかちかするプログラムをC言語で書く。あれをLEDじゃなくてドライバICにつなげばモータが回ることになる。
 「形式言語と有限オートマトン」と自動制御とC言語の宿題がたまっているのだが、引越しが終わるまではできそうにない。あと10日ぐらいで今年の授業も終わりだ。

 

 五筆上人と応天門ダーツの図 説明

12/12(水) 駅前校で狂言の会というイベントがある。演目は「二人大名」だった。「がってんか」「がってんだ」「がってんがってんがってんだ」「やるまいぞやるまいぞ」
 早く帰って荷物整理の続き。昔の写真や手紙の類が次々発掘される。昔の恥ずかしい思い出が次々に蘇ってくる。ああ、今あの頃に戻れたら。あの時ああしていれば、あるいは。といった思いが次々にわいてくる。私は後悔はしないことにしている。しかし後悔して過去が変えられるならいくらでもするだろう。
 机だのなんだかんだいらないものを捨てにいく。箱がさらに増える。
12/11(火) 吉野屋で、正面に座っていた二人組がルートビアの話をしていた。「中国の薬酒みたいなもんか?」「アメリカ人が作ったらしいんですけどね、湿布を甘くしたみたいな味で。カルチャーショック受けますよ」いくら説明されても、結局飲まないと分からないんだアレは。
 実家で引っ越しの準備。ひたすら箱詰め。今のところ本を満載した箱が45箱私の枕元に積み上げてある。私の部屋だけでこの騒ぎだ。まだ廊下に本棚が5つあるし、引っ越し屋の人には不運だったと諦めてもらおう。
12/10(月) 自分の名前をローマ字で書いて(FUJIKAWAMASAO)並べ替えると

 「じゃかましわ、UFO!」(JAKAMASIWAUFO)

 という電波入ったメッセージが出現することを発見する。いろんな人の名前でやってみると結構いいひまつぶしになる。たとえば武田直也(TAKEDANAOYA)だと

 「あーあかん、出たよ」(AAKANDETAYO)

 という具合。できるだけ人名から離れた言葉が面白いようだ。待ち合わせのとき、つい目の前の車のナンバープレートの数字を足したり引いたりして10を作ってしまう。そんなあなたにおすすめの遊びです。
 この手の金がかからない遊びは昔いろいろした。「しりとり話」(しりとりをして出てきた単語を題に話をする)、とか。
 たまっていた宿題をしようとすると、全然わからないので、本をはじめから読み直す。
 夜西庄がココ壱番屋で10辛制覇する場面を目撃する。もらったレシートには「6辛以上」としかかかれていなかったが、彼が10辛を制覇したことはこの私が証人になろう。
12/9(日) 昼から鴨川校でJ検1級受験。この試験のことは2、3日前まで忘れていた。去年菅野の結婚式の後で二日酔いの中受けたやつの2回目だ。Bluetoothの話とか出たがわからなかった。知らないものはしかたがない。明日あたりえらい人が解答を発表してくれるだろう。ロッテリアでえびバーガーを買って、帰って食う。それから寝てしまう。
 夜起きだして昨日買った「蓮如音頭」と「正信偈 真宗大谷派勤行集」を聴いてみる。「蓮如音頭」は本当にただの音頭だった。

 正しき教え 説きひろめ(ソレ)
 心明るく あたたかく
 人にやさしく 思いやり
 いつも笑顔でニコニコと
 お慈悲の中で お念仏(ソレ)
 そんなお方が そんなお方が 蓮如さんだよ

 ま、「アラレちゃん音頭」とノリは同じである。「懈怠」(けだい)とか「娑婆」(しゃば)といったテクニカルタームが出てくるところが違いか。普通すぎてあんまりよくない。
 「正信偈」は当たりだった。「なー、んむあーんみ、だー〜」の合唱はかなりかっこいい。怪しいのがそのあとの「同朋奉讃式」というやつで、急に西洋音楽風合唱になり、さらにオルガンみたいな伴奏が入るのが奇妙である。「ぶっだーん さらなーん がっちゃーみー だんまーん さらなーん がっちゃーみー さんがーん さらなーん がっちゃーみー」も伴奏付きで、オペラ歌手みたいな人が歌っている。明治以降で日本人の歌の歌い方が西洋化してしまったということがよくわかった。
12/8(土) 朝10時に京阪五条集合で、京都高いところ見学ツアーに出発する。参加者は本来渕野西山両名&私だったのだが、渕野氏はこれなかったので二人でいった。
 まず清水寺から行こうと思ったのだが、途中六波羅蜜寺があったので立ち寄る。ついでのつもりだったが、口から仏を吐く空也聖人像・平清盛像・運慶像といった有名な像を見られてなかなか良かった。空也聖人は思ったより小さかった。運慶は頭がとがっていた。どちらも写真と同じで大変満足した。平清盛は私のイメージと違って、ガリガリの僧形の老人だった。私の平清盛はもっとムキムキで精力的なおやじだったので(ヨロイを着て馬に乗ったり弓を引いたりするんだからムキムキに決まっている!)違和感があった。そういえば井出らっきょが昔「平清盛のマネ」というのをしていた。「タイラのキヨモリです」とか変な声で言うだけだったが。
 思えば我々はあったこともない人の声を勝手に想像して「こうでなければならない」と勝手に思い込んでいる。西郷隆盛は「おいどんは、西郷隆盛でごわす」と太い声で言わなければならないし、貴族は「」と情けない声でおろおろしなければならない。ひょっとしたら西郷隆盛だって「やあ、僕西郷。ヨロシク!」なんていうさわやかな声だったかもしれないし、貴族の中にも大仁田厚みたいな暑苦しい喋り方の人がいたかもしれないというのに・・・。
 閑話休題。ここを出てから次に清水寺に向かった。一年前と全く同じだが、今日の方が天気がいい。「清水の舞台」の上からの写真も首尾よく撮り終え、別の場所に向かう。清水の舞台の場合、山の上にあるので実際よりも高く見えるのだということがよくわかった。地主神社のそばに気になる横道があったので、しばらく登ってみる。すると、山の中に入ってしまった。
 立て札があり、「森の小径↑将軍塚」とか書いてある。面白いので七条方面に行くらしい道をたどってみる。騒がしい町のすぐ裏にこんな静かな道がかくされているとは思わなかった。こんなことなら運動靴で来れば良かった。ずいぶん歩いた後、「ロトのせきひ」を発見した。しらべてみると、石積みの間に1ゴールドをはっけんした。取ろうとすると奥に入ってしまい取れなかった。(なんだかよくわからない石碑を見つけ、1円玉が挟まっているのを発見したが取れなかったということを我々はこんな風に称して喜んでいた。)この辺りから下りになり、やがて人里におりて来ることができた。
 さらに下界に向けて前進すると急に墓場に入った。空も白っぽく曇り、ススキがざわざわいって、なんだか不思議な世界に続く道に迷い込んでしまったかのようである。鬼太郎なんかではこういう道を抜けるとたいてい「地獄の一丁目」に着くことになっている。ここの墓場は金光教徒のものが多いらしく、かわったものが多かった。例えば、「○○之墓」ではなくて「○○之奥城」になっているとか、墓石のてっぺんがとがっているといった特徴があった。もっとも、これが金光教の教えに基づくのかどうかは知らない。そのうち道が終わると、ただの車道に出た。ここでトンネルを潜る。すると、急にまた全然違う雰囲気の町に出た。全然人がいない。いや、いることはいたがどうもこの世の人のようではない。ついに不思議な世界にたどり着いたのか?しかし、その坂をおりると馬町の京都女子大の前にいきなり出た。結局不思議な世界にたどり着くことはできなかった。ここでプリンシェイクを五回振って飲む。
 しかしあの道がこんなところに続いているとは思わなかった。どうも森の中の道は比叡山から大文字山を通って清水寺の裏を続き、伏見稲荷にまで通じているらしい。長年住んでいたのに全然知らなかった。このルートを利用すると清水寺にただで入れる!デートコースに最適かも。ただし靴は運動靴で。
 次に東に向かって歩をすすめる。豊国神社および「耳塚」を通過する。耳塚というのは豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争の時もって帰った塩漬けの耳や鼻を埋めた跡である。横にある児童公園の名前は「耳塚児童公園」だった。いい名前である。さらにかるたの任天堂のビルの横を通過し、河原町正面のものすごく長い間壁が続く場所を通る。ここはいつもバスで通過する度になんなのか不思議だった。塀の上の瓦には「本願寺」と書いてある。入り口をさがしたが、なかった。結局なんだったのかは今日も分からず。
 さらに東進し東本願寺に。ここは西山君(真宗坊主)の得意な場所である。ここで去年以来気になっていた「蓮如音頭」CDその他を入手する。まだ聴いていないが、そのうち感想を書きたい。子供向け企画で「スタンプラリー」というのをしていたので、する。スタンプを全部おしてくると、金属でできたきれいなしおりがもらえた。
 次に七条のプラッツ近鉄で昼食、スパゲッティを食べる。「ヤング大盛り」というのにすると麺が二倍になり、大変苦しい目にあうことを発見した。ただの大盛りにすればよかった。うまいことはうまいのだが、同じ味のものを食べ続けるのでつらいのである。しかし「ヤング大盛り」という言葉の響きはすばらしいと思う。
 次に隣にある京都タワーに登る。初めて登った。高かった。タワーの設備がなんというか、昭和40年代を思い起こさせるような、なんともいえないキッチュな味わいに満ちていてすばらしかった。エレベータの中の変なイントネーションの観光案内(「どすえ」なんて言葉ほかで聞いたことないぞ!)。入り口で出迎えてくれる舞妓ロボット、暗い部屋にあり入るといきなり動き出す鬼のロボット、竹取の翁のロボット・・・(なんでいちいちロボットにする必要がある!?)。メダルに名前を刻む機械、100円で覗ける望遠鏡、からくり人形おみくじ、相性占いマシン・・・ここだけ時間がとまっているのか。まるっきりポートピア81の時代(いや、もっと前かも)とかわらないものがここにはあった。ここでも写真をいくつか撮り、外に出た。
 次に(これでようやく最後)、八条の東寺に向かった。宝物殿の「両手両足口で同時に字を書く空海」の絵を見るためである。しかし、苦労してやっとたどり着いたのに宝物殿は閉まっていた。次の公開は3月20日からだそうだ。いちおう土産物店の写真集をチェックして、同じシーンを描いたほかの絵を見つけたが、宝物殿のもののキテレツさには及ばず、残念なことであった。例の絵は明治時代以降に描かれたものなので、あんまり貴重だとは思われていないのか写真集には載っていないのである。ああ。だがいつかまたここに来てあの絵をみたいものである。
 いちおうもともとの目的は「高いところ見学」なので、五重塔を見る。高い。さすがにあそこから落ちたら清水の舞台のようにはいかないだろう。
 ・・・とまあ、一日かけてずいぶんうろうろした。移動手段は全部徒歩だったので、さすがに最後の方は足の裏のマメがひどくてしんどかった。運動靴で行っていたらそうでもなかっただろうとは思う。長々と書いてきたが、落ちもなくこれで終わりである。たまには観光もいいもんだ。
12/7(金) 江戸時代までは、正式の文章の書き方というのは口語とは別に決まっていた。いわゆる「文語体」である。その後明治時代に、より口語に近い新しい日本語の書き方というのが開発された。これが「口語体」である。さらに、かなづかいをより「発音通り」に近付けた「新かなづかい」というのが戦後定められた。しかし、本当に「発音通り」の表記というのはまだまだこんなものではない。「えい」「おう」「いあ」「いう」「いえ」「いお」はそれぞれ「ええ」「おお」「いや」「ゆう」「いぇ」「いよ」と書かなければならない!「正々堂々」は「せえせえどおどお」、「皇后」は「こおごお」、「命名」は「めえめえ」、「衛生」は「ええせえ」、「経営」は「けえええ」、「法皇」は「ほおおお」、「慰安」は「いやん」、「イオン」は「いよん」と、書かれなければならない!正しい日本語のためにがんばろう、エイエイオー。
 じっかでひっこしのさぎょおのつづきおする。わたしのほんわはちわりがたはこにいれてしまったのだが、あにゃちちのほんがなぜかわたしのへやにたいりょおにあり、それおわけるのがたいへんだ。すでにだんぼおるばこでにじゅうごこある。それでもまだまだおわらない。わたしのへやだけでもこれだ。ろおかにおいてあるやつとかもあるし、いったいさいしゅうてきにわいくつぐらいになるのだろおか。
12/6(木) 「基礎情報活用」の授業で「観光都市京都」という題名でプレゼンをしなければならないので、そのネタ集めをする。清水の舞台から飛び降りる話を元にいろいろ考えてみた。まずは復習。

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http://web.kyoto-inet.or.jp/people/akio53/tobiori.htm より転載
清水の舞台から飛び降り234件

「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉で有名な本堂。

江戸期の庶民信仰 願いがかなう? 江戸時代、多くの庶民が願をかけて飛び降りた清水の舞台
 「清水の舞台」からの飛び降り事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが、清水寺の古文書調査で、このほど分かった。ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景に「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。

 調査は、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめた。記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。

 調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生した。年間平均は1.6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算という。男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では10代、20代が約73パーセントを占めた。ハ

 清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85.4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを超す。60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人がが最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。ハ
 門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る。明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。ハ

 お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。
*******************引用終わり

 さてここに体重60kgの人がいて、それぞれの「高いもの」の高さからまっすぐに自由落下するとする。ただし空気抵抗は無視する。その場合、以下の数字が得られる。

高いもの

高さ(m)

地表までの時間(s)

地表到達時の速さ(m/s)

地表到達時の速さ(km/h)

衝撃の強さを武蔵丸(225.5kg)の時速に換算(km/h)

肩車

2

0.6

6.3

22.5

5.3

清水の舞台

13

1.6

16.0

57.5

13.5

東寺五重塔

57

3.4

33.4

120.3

28.3

京都駅ビル

59.8

3.5

34.2

123.2

28.9

京都タワー展望台

100

4.5

44.3

159.4

37.4

大文字山

466

9.8

95.6

344.1

80.8

比叡山

848

13.2

128.9

464.1

109.0

ジャンボジェット機

10000

45.2

442.7

1593.8

374.3

気象衛星ひまわり

36000000

2710.5

26563.1

95627.3

22456.5

 こうしてみると「清水の舞台」は意外と高くないことがわかる。たしかに頭から落ちなければ大丈夫そうだ。しかし時速13.5キロで走ってくる武蔵丸に体当たりをされると考えれば、老人の死亡率が高いのもなるほどといった感じである。(ちなみに歩く速さは時速4キロぐらい)
 実に「観光都市京都」のタイトルにふさわしい調査結果が得られたといえよう。
12/5(水) 今日は「文化教養」の日だと思っていたのだが、12日の間違いだった。午後の授業出損ねた。ああ。家賃払う。23000円+電気代。11月は電気を2kwhしか使っていなかった。ほとんど学校に住んでたからね。夜マイクロマウスのビデオをDVからVHSにダビングを行う。山本様に感謝。
 ドクター中松ピョンピョンの話をしていて、前「ロシア軍が空飛ぶ靴を開発したけど、問題は止まれないということだ」というニュースがあったのを思い出したのだが、他の人たちは知らないという。探していたら見つけた。毎日新聞ニュースより。
2000年7月8日

ロシアの大学:
時速40キロで走る高速靴を開発ハ
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 【モスクワ7日石郷岡建】ロシア・ウラル地方のウファ航空工業大学はガソリンを燃料に時速40キロで飛ぶように走る「高速靴」の開発・製作に成功したとこのほど発表した。
 発表によると、高速靴は底部に燃料入れがあり、足に力を入れると靴の両側を支える鋼鉄シリンダーの外側に設置された小型エンジンに燃料が入り、瞬間的に爆発、はいている人間は靴とともに宙に飛び上がる。着地すると再び足に力が入り、燃料が供給され、また飛び上がるという動作を繰り返す。テレビで公開された実験の映像では、月面を歩いた米国の宇宙飛行士のように、大きな歩幅で走る奇妙な光景が展開された。

 この高速靴の研究は27年前のソ連時代に始まり、当初は歩兵部隊が戦車を追いかける目的で作られた。85年には歩兵部隊と空挺部隊から50足ずつの注文があったが、支払いがなく、量産体制はとん挫したままになっている。

 91年に高速靴の国家機密が解禁となり、民間使用も可能となったため、広く販売に乗り出した。現在、米国からノウハウの問い合わせが来ているという。

 大学側は軍や警察、消防、特殊治安部隊などのほか、映画の特殊撮影やショービジネスなどにも利用できると宣伝している。値段は量産すれば300ドル程度と安いが、難点はスピードを出しすぎるとなかなか止まらないことで、まだブレーキ装置は開発されていないという。
12/4(火) 洗濯して干していた寝間着が雨でびちゃびちゃになってしまい、しかたなくジャージで寝ていたら寒くて風邪を引いてしまった。給料がもらえるようになったらもっと暖かい部屋に住みたいものだ。今2回生の12月で、4回生までいるからあと2年と3ヶ月の辛抱である。考えてみると前の会社には独身寮や社宅があって便利だった、実家から通っていたのであまり関係はなかったが。給料の数字だけではなくそういうところも大事だと、今さらながら痛感している。
 明日は学校の「文化教養」の授業の関係で駅前校に昼過ぎに行けばいいので、これ幸いと実家で引っ越し作業の続きをする。駅前校に行く時は北大路から行くより実家からいった方が便利なのである。ところがさっき書いたように風邪を引いて調子が悪かったのでなんとなく眠ってしまい、実際の作業は5日の朝4時頃からやっている。寝たら良くなった。
 リコリス続報。リコリス味のゼリービーンズ(ジェリーベリー)を周りの人たちに食べさせたらみんな吐き出してしまったらしい。これは期待大か?
 チンドン屋とかサーカスの綱渡りでお馴染みのあの曲は「美しき天然」という歌だと教わった。別に「サーカスの歌」とかそういうのではなかった。(「サーカスの歌」という歌は別にある)歌詞は検索したらいっぱい出てくる。
 昨日の記事に出てくる人は評議会長ではなかった。「評議会長の手下」と訂正。評議会長の手下め30分も遅れてきたくせに「評議会に出ないクラブには、こちらも考えるところがあります」などと高圧的なことを抜かすとはなんだ。
12/3(月) 石川吾郎の結婚式が3月24日にあるそうだから、この日は空けておかなければならない。忘れそうなのでここに書いておく。大学院を卒業して就職前にするんだそうだ。それは思いつかなかったが、いいかもしれない。
 クラブ評議会に呼ばれて駅前校に行ったが、名前を書くだけだった。それはいいが、評議会長め30分も遅れてきたくせに「評議会に出ないクラブには、こちらも考えるところがあります」などと高圧的なことを抜かすとはなんだ。俺は1時間もかけて来て、また1時間かけて北大路まで帰ってきているのだ。まあ、ここにこんなことを書いても仕方がないが。
 カレー屋にいったら2000円札をくれたので得をしたような気がした。2000円札に出会うのは2回目だ。まだ2回目というのがおかしい。
 Tさんからリコリス味のゼリービーンズを食べたという情報をもらった。わりとうまいそうだ。あのドイツの「KITTEN」はちっともさわやかじゃなかったけど・・・。
12/2(日) 今日は一日中引っ越しの荷造りをしていた。また本をたくさん売りに行ったが千円しかくれなかった。本を箱につめてもつめても減らない。本棚に二重に本を入れたりしていたので、見た目より多いのである。もっとも私が集めているものといえば本ぐらいだからこれさえ片付ければたいしたことはない。ところで引っ越しはもともと11月末の予定だったが、延びて12月15日になった。
 「野人」というポエムを作れという宿題があったので、こんなのを作ってみた。

 やじんのうたが きこえてくるよ
 ンガー ンガー ンガー ンガー
 ンガンガンガンガ ウホッウホッウホッ

 しかし西庄に聞かせたが「盗作はあかん」ということだったので、また作り直しだ。この間も忍びの歌とかいって「しのびのうたが きこえてくるよ ぐわ ぐわ ぐわ ぐわ」とかイルカの歌とかいって「イルカのうたが きこえてくるよ 『汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる君は何か言おうとしている東京で見る雪はこれが最後ねと寂しそうに君がつぶやくなごり雪も降る時を知りふざけ過ぎた季節の後で今春が来て君はきれいになった去年よりずっときれいになった』」とか言っていたのから全然進歩がない。
 かっこいい言葉の覚え書き。
「お父さん、僕は満員電車に揉まれていても、前のように腹がたちませんね。僕はずっと高いところから、この人たちを瞰下(みおろ)しているように感じるから。僕の目だけは澄み、僕の耳だけは天上の音楽を聴くことができると思うから。この汗くさい奴らは何も知らないが、こいつらの運命は本当のところ、僕の胸一つにかかっているんだものな」(三島由紀夫「美しい星」より、主人公の宇宙人一家の長男(水星人)の言葉。「ぼくたちは、選ばれた人間なんだ!」)
12/1(土) 難波で行われた「伊賀・甲賀忍者フェスタ」に行く。別の用事でこの日会ったTさんとなりゆき上一緒に行くことになった。この人と直接には初めて会ったのだが、予想とは大分違う極めてふつうの人だった。しかしその口から出てくる話はどれもこれも極めて面白かった。「オリゴミン」というオロナミンCのパチモンが欲しくて箱買いした話など。記念に「梅仁丹ドリンク」をあげたのだが、ビンを見た時の台詞が「このビンの模様は縄文式なのでミンナミンと同じですね」(うろ覚え)というのが実にすばらしいと思った。
 阪急梅田駅中央口の横にある店でルートビア(DAD'S)を売っていることを教わる。怪しい食べ物・飲み物がいっぱいあるすばらしい店だった。SPAMや「チューリップ」(SPAMみたいなもの)もあった。またこれはイベント後の話だがこの人に教えてもらった店でルートビア(A&W)味のゼリービーンズをついに入手した。リコリス味のゼリービーンズも見つけたが、これは値段が高いので見送った。
 それはともかく難波の話。

忍者衣装で来てくれた人には記念品贈呈!とのことだったがその勇気はなかった。
「黒党忍者ショー」:伊賀の「黒党」(くろんど)という団体が演ずる忍者ショー。鎖鎌の使い方や人の縛り方が参考になった。「ここで会場の人にも演じてもらいましょう」というとき恥ずかしくて手をあげられなかったのが残念。修行が足らないね。もっともスタッフははじめから子供用の衣装しか用意してなかったみたいだが。
「忍者道具展示会」:「忍術手品のひみつ」で見た本物の忍者道具が無造作に置いてあって感動した。フィルムを使いまくってしまった。
「忍ジャーズダンス」:伊賀のボランティア団体がやっているらしいダンス。変な格好をしたおばちゃん達が踊っていた。にこやかに踊るおばちゃんと無表情に踊る女子中学生の取り合わせがよかった。背中の刀をつかんで走り回るような動きなどがちょっと忍者らしかったかな。
「本物の手裏剣なげ」:本物の手裏剣を投げるコーナーがあった。重くてとがっていて回転させながら投げると向こうの壁に「ドスッ」と音をたてて刺さった。的にはあたったがささらなかったので残念賞の「かたやき」をもらった。「かたやき」というのは伊賀のお菓子らしい堅くて甘いせんべいである。
「忍者マジックショー」:忍者衣装を着た人が手品をやっていた。前に座っていた女の人がむちゃくちゃ受けていた。
「似顔絵コーナー」:無料で似顔絵を描いてくれるコーナーがあった。漫画家らしき人とその弟子らしき女性二人がやっていたが、近所のヤンキー達に「ただやで、ただ!」「似てへん」「学園長!3人つれてきました!!」などとたかられて大変そうだった。ただ、というのも考えものだ。私も描いてもらったが残念ながらあんまり似ていなかった。

 イベント終了後喫茶店で話す。みんなのうた、アメリカの青いケーキなどについて。みんなのうたには谷山浩子と大貫妙子がやたらとでてきた、なんて話が通じる人がいるなんて思わなかった。

個人的な連絡:扶桑社の「ザ☆ジュース大図鑑」にオロナミンCのパチモンの写真が、「ザ☆飲みモノ大百科」にガラナの歴史が出てきます。

 この後ルートビア味のゼリービーンズを入手。噛んだとたんルートビアの風味が口一杯に広がった。なんでこういうものを商品にしようと思うのか理解に苦しむ。

 帰ってから引っ越しの作業再開する。