2001年9月の記録

9/30(日) いらない本を売る準備をする。夜京都に戻る。
9/29(土) 日本橋でICなど買う。
9/28(金) 夜実家に帰ったら兄親子がきていた。結婚式があったらしい。
9/27(木) マウス回路設計。
9/26(水) 誰もいない。畳などを倉庫に片付ける。重かった。マウス回路設計。
9/25(火) 京都に戻る。めずらしく部室に人がたくさん来たので、土俵の鉄板を片付け、かわりにマウスの迷路を運んでくる。重かった。
9/24(月) 実家に帰る。今度引っ越すからいらないものを捨てるようにいわれる。24年も引っ越さなかったからそんなことは考えたこともなかった。まあ、小学校時代の友人たちは地震で家が壊れたり結婚したりして全国に散らばってしまったし(そもそも私は中学から別の市の私学に行ったし、大学も京都だったので、あの地域とはほとんどつながりはなかった。成人式にだって出ていない。それが普通だと思っていたのだが、今の学校に来てからどうもそうではないらしいことを知った。普通の人たちはもっと地域に根ざした生活を営んでいるらしいのだ。生まれた町で高校を出たらすぐ働いて、そのまま地元で結婚するのが普通らしいのだ。私も中学ぐらいは公立のに行って、そこで彼女でもできていたらそれに近い生活を送ることになったかもしれない。今となっては「かもしれない」としかいえないし、そのほうが良かったのかどうかもわからないのだが。)、昔を思い出すよすがになるようなものもすっかりなくなってしまったから、別にあの家に固執することはない。夏でも風がとおって涼しかったのは良かったけれども。
 少々書類の整理などする。風邪がひどい。
9/23(日) 凍えそうになりながら30分ほど眠り、バスで出発。6時35分の近鉄急行で橿原神宮前〜古市〜藤井寺へ。ずっと眠っていたので景色は見ていない。子供が多かった。大方スポーツの試合があるのだろう。9時すぎに迷いつつも現場に到着。すごい数の人が着ていた。北海道地区大会で2位だったおっさんがなぜかいて驚いた。
 残念ながら不死川機・西庄機ともに2回戦(1回戦はシードされていた)で敗退した。西庄戦はよく見ていなかったので自分の分だけ書く。
 相手は強豪「ロボット相撲愛好会」http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuwat/frameset2.htmlの「TMR−N5」、前後に鉤爪を備えた吸引型のもの。
 まず、1回目はスタートボタンを押すのが早くてフライングとなり、警告(0.5本相当)を受けた。
 2回目は正面からぶつかったが、圧倒的なパワー差でそのまま押し出され転落した。
 3回目はスピード差を利用して横から回りこみ(秘技「三角とび」)、真横から突っ込んだが相手に何の影響も与えることができず、そのうち爪で引っ掛けられて落とされた。
 これで2本先取されて負けとなった。
 負けたとはいえ、自爆とかそういうのではなく、モータもセンサもプログラムも意図したとおり完全に動作し、しかも正面からも横からも攻撃した挙句それが通じなかったのだから、これはもうしかたがないというものであろう。ちなみに私の相手は3位、西庄機の相手は2位になった。強い相手の胸を貸してもらったと思ってあきらめよう。
 ともかく2ヶ月という期限内に「白線から出ず、相手を追尾して攻撃する」という機能を持ったロボットを作ることができた。車体やセンサについて相当勉強になった。次の大会、あるいは他のロボットコンテストでその経験を生かしていきたい。
 そもそもプロジェクトは星の数ほど立ち上げられるが、最後までそれが無事に終了するということは稀なことである。それができただけでも幸せなことであった。
 ロボット相撲大会はたいそう面白くて、自分の出番が終わった後も熱心に見た。やはり相手がいる競技のほうが面白い。
 夕方また3時間かけて京都に帰還。駅前校から先生に車で送っていただいた。テープのあまりで不死川・西庄対決(時間の関係で今まで一度もやったことがなかった)を撮る。
 その後、お好み焼き屋で飲んで解散。風呂に行って部屋で本を読んでいたはずなのだが・・・朝の5時ごろ気が付いたら裸同然で布団もかぶらずに寝ていた。下手をしたら凍死していたところだ。目がさめて自分の部屋にいるのを見つけて、「ああそうか、自分の部屋で眠ってたんだな」と驚いた。夢の中では全然違うところにいたらしい。今となってはどういう夢だったのかわからないが。柔道で「落ちた」とき、目を覚ましたらまず緑色のもの(畳)が見えて「なんだここは?」「そういえばらんどりの途中で首を絞められて・・・」とだんだん思い出すのに似ていた。
9/22(土) 明け方シールド完成、車体完成。大きさ・重さともに規定をクリア。しかし、またセンサ(特に後ろ)の調子が悪くなり、調整する。試験運転を繰り返す。先生の作ったラジコン機(1キロぐらい)と対戦させるが、重さとパワーで圧倒できた。また、逃げるのを追尾することもできた。これでプログラムが完成ということで、ROMにプログラムを焼いた。この作業のため先生には2時近くまで付き合っていただき大変申し訳なかった。その後、タイヤのラバーを張り替えたがこれが失敗で、ちゃんと動くよう戻すのにすごい時間がかかった。結局完成は朝の4時半になった。この3日間で6時間寝ていない。
9/21(金) 駅前校で「文化教養」として宇宙の話を聞く。日本橋に買出しに行く。その後徹夜で作業。
9/20(木) 駅前校で後期のガイダンス。シールド続き。プログラム少々調整。
9/19(水) 吸着力を弱めたりセンサの調整をしたりする。車体全体を覆うシールドの製作を開始する(大まかなところを桑原に依頼)。
9/18(火) ブレード取り付け時の索敵センサ外乱を減らすため、ブレードの内側を黒く塗りつぶしたりプラスチック板で受光素子を覆ったりする。いったいセンサのために何十時間費やしているのか!?なんとかセンサもうまく動作するようになったので試運転するが、ブレードが床にこすれたり吸着力が強すぎたりして思ったように動かない。しかし、吸着力を強めたことで転落の危険はなくなった。
9/17(月) 近所の模型屋で電池購入。ブレードを取り付けるとセンサが壊れた。また調整。外乱にこんなに弱いとは思わなかった。リモコンの受光素子なんかはどこから赤外線が入っても反応するのが都合がいいんだろうが、こういう用途の時は指向性が高いものの方がいい。やっぱり高い一体型センサは高いだけのことはある。
9/16(日) 床センサが一つ調子が悪いので調整。
9/15(土) とにかくセンサの調整。
9/14(金) ダーリントン接続にしたり抵抗を増やしたりいろいろいろいろする。距離は25センチぐらいならなんとか見れるようになる。異常動作はなくなった。夜からプログラムを組む。白線から出ないだけのプログラムはなかなか良好。
9/13(木) 鉄板を黒く塗って土俵を作成する。無茶苦茶重い。索敵センサ正体不明(壊れた無線マウスの中身を取って使ったりした)のLEDを使っていたためか異常発熱する。先生に素性のはっきりした黒い赤外線LEDをいただく。
9/12(水) 索敵センサなんとか形になる。しかし動作が一定しない。トランジスタをFETに差し替えたりとにかくいろんなことを試す。このころから倹約のため集団で自炊をはじめる。
9/11(火) 索敵センサ続き。なかなかうまくいかん。
9/10(月) 索敵センサ続き。一応反応させるのに成功する。
9/8(土)〜9/9(日) 会社の人たちと会う。いまだに呼んでくれるなんて大変ありがたいことである。うなぎの刺身というものをはじめて食う。味はヒラメやカレイの「えんがわ」に似ていてうまかった。イルカの肉が手に入るかもしれないとの事だったが、なかった。残念。細かいことは時間がないのでそのうち書く。
9/7(金) 索敵センサ実験続き。初めての試みだったので本に載っているものをそのまま作ったのだが、うまくいかない。実は38kHzを作る部分の回路図に間違い(?)があったのだが、それに気づくまで大変時間がかかった。発振回路はよくわからん。たぶんもっといろいろ変な現象が起こるに違いない。
9/6(木) 日本橋に買出しに行く。いろいろ必要なものや面白いものが手に入った。その後部室で桑原に車体の加工をしてもらったり索敵センサの実験(まだできていない)や「白線から出ないプログラム」を書いたりした。実験用土俵を作った(黒い板に白線を引いただけ)。
9/5(水) ピンに信号は来ているのだがプログラムがうまく動かない。先生に質問したりして調べ、2行ほど追加したら解決した。去年のマイクロマウスでは8255による拡張回路をいきなり作ったのでZ80PIOの入出力の設定がよくわかっていなかったのだが、これでわかった。
9/4(火) 桑原が京都に帰還。大会のビデオを見る。やたら強いおやじがいた。ししゃもを食いながら国士無双という酒を飲ましてもらう。うまかった。
9/3(月) 西庄がCPUボードを完成させていた。初めてにしては相当早い。床センサ完成。センサに延長線をつないだり絶縁したりするのに手間取った。
9/2(日) 西庄は金曜日に先生に48時間以内でCPUボードを作ると宣言したため、死にそうな目にあっていた。センサ続き。
9/1(土) センサ製作続き。西庄がCPUボードを作り始める。