2001年6月の記録

6/30(土) 朝起き上がることができない。さすがに最近無理しすぎたらしい。結局昼の2時頃起きてバス・阪急で神戸に帰った。電車の中でも「はじめてのWindowsプログラミング」を読んでいるうちに眠ってしまう。今日は何もできなかった。
 ゴッホは変人だった。自分の耳を切り落として人に送りつけたりした。伝記なんかでは「天才には凡人にははかり知れない苦悩があったのだろう」なんてわかったようなわからないようなことが書いてある。はかり知れない理由ってなんだよ。「やめてくれー!電波飛ばさんでくれー!!」とか?ゴッホが隣に住んでいたら困るぞ。いきなり郵便受けに耳が入ってたりして。しかも理由がさっぱりわからなかったりして。
6/29(金) 初代学院長の墓参りというイベントがあった。
 この日こそは夕方から寝てしまおうとしていたのだが、部室のカギを開けてほしいという依頼があり、また、学校に来てしまうと目が冴えてきたので、結局眠らなかった。学校に来たら来たで面白かったのでずるずると長居し、結局寝たのは2時頃だった。
6/28(木) 最近あまり寝ていないので、昼寝でもしようと帰ったのだが、あまりの暑さに辟易して学校に戻った。
 ここに会社があって、部があって、課があるとする。ある日突然社員の一人が、部長や課長には何も知らせず、後輩に置き手紙を残して消えてしまう。彼等は混乱するが、「まあ、出ていくからには何か彼なりの事情があったんだろう」とそれなりに納得して、後の処理をする。ところが1週間後、当たり前のような顔をして「奴」が開いている机に座っているのを発見する。課長は「まあ、部長には何か話があったんだろう」と考えて、部長に聞いてみる。すると部長は、「ええっ?お前に話があったんじゃないのか?」とびっくりする。
 または、こんな話を想像してみる。ここに空手道場があって、そこで稽古をしている空手バカ一代みたいな奴がいるとする。そいつが何かの事情で私闘をすることになり、自らを破門する意味で道場の自分の名札を外して、置き手紙を置いて道場から姿を消す。「いろいろあって今は理由はいえません。もう道場には二度と戻らない覚悟です」云々。道場主や仲間たちは「そうか、そこまでしてやらなければならない何かがあったのだなあ」と、それなりに納得する。ここまでは、漫画なんかでおなじみのパターンだ・・・ところが1週間後、当たり前の顔をしてそいつが道場に復帰している。名札もしっかり元の場所に戻してある。しかも、他の連中に「背中がまがっているぞ!」などと偉そうに指導までしている。何も聞いていない道場主はびっくりする。「???」
 現実は想像をはるかに超えている。そこが面白いといえば面白いのだが。結局遅くまで学校におり、その後私の部屋で西庄とビールを飲んだりしたので、寝たのは朝になってからだった。「だから大人なんて!」「そうとも、私は汚い大人だ」「そんな大人修正してやる」「これが若さか・・・」
6/27(水) 最近部室が平和で非常に居心地がいい。ただ、ものすごく暑いのが困りものだ。また、最近宿題がたまり過ぎてマウスの続きがなかなかできないのも困ったことだ。
 ひさしぶりに倉さんが来てくれたのに、私しかいなくて恥ずかしかった。プログラミングにはまってる奴はおらんのか、と、寂しそうだった。私も自由自在にWindowsプログラミングができたら楽しいだろうなとは思う。しかし、余りにも時間がない。研究のために時間がないのならまだいいが、雑用や政治(こんな初小学校の1クラスよりも少ない人数しかいない場所でも「政治」は存在する!)のために時間がないというところが情けない。
6/26(火) 加工したニンジャの声などをtripodとgeocitiesにアップする。宿題を一つ終わらせる度に新しいのが一つ増える。蟻地獄だ。データ通信の先生は台湾人を自称しているが、全く外人らしさが感じられない、デーブスぺクターみたいな奴だ。宿題も容赦なく出す。たまらない。
 「私たちのサンボア」Web版をgeocitiesに作る。
6/25(月) 音の編集加工などする。暑い。計算機アーキテクチャの宿題をやる。
6/24(日) 「私たちのサンボア」web版の編集作業を急ピッチで行う。もう予定から1年半もおくれている。「ニンジャ」と同じように独立のページとして立ち上げるつもりである。
 夜、京都に帰る。北大路駅を出たところで、昔インド学研究室にいた女の人に数年ぶりに出会う。ほとんど印象が変わっていなかった。名簿がないので正確なことはいえないが、私が学部生の頃すでに博士過程だったから、かなりの先輩である。まさかまだ京都にいて、しかも研究室に残っているとは思わなかった。この人とは、就職活動で東京に行く新幹線の中で出会ったこともあり、なかなか変わったところで出会うことの多い人である。私が「らいふすてーじ」に投稿したこと(「芸能人流出ビデオ」の広告が実家に届き、それが下宿に転送されてきたのは恥ずかしかった、とかいう内容)とか、柔道をしていたこととか、いろいろ細かいことまで覚えていてくれた。この間文学部の建物で人が死んでいたことがあったでしょう、と聞くと、詳しいことを聞かせてくれた。ちょうど死体が発見された時研究室で酒を飲んでいた人がいて、その人が警察の事情聴収を受けたこと。研究室の僧職の人に「供養してあげて下さい」と頼んだら、「ただではできない」と断られ、「だから日本の仏教は!」と思ったこと。そのことを研究室の他の人に言ったら、「えっ?ただで頼んだの?」という反応しかなかったこと。あの死体の人はいまだに誰だかわかっていなくて、しばらくの間「この人を知りませんか?」と死に顔が廊下に張られていたが、余りにも気味が悪いので撤去されたこと、等等。
 思えば研究室の人たちには不義理ばかりしてきた。あの頃のことを思い出すと恥ずかしいことばかりだ。もう一度学部生の時に戻れたら、・・・。
 本屋で「Yomiuri PC」誌を立ち読みするが、ニンジャ映画の世界の紹介記事は載っていなかった。没になったらしい。つまらん。
6/23(土) 向日町の武田邸にて、ニンジャの声をwavファイル化する作業を行う。「シャー」「トー」「ペーイ」「レツー」「とまれー。このかたなあげるからとまれー。」「レツザイゼンカンシュゾー」「ニンジャー、カムバーック」ついでに「仏様を大切にしないやつは・・・」と「そりゃそうだ」も。「わたしわおーいしくらのすけだー」もとるつもりだったが、ビデオが借りられなかった。残念。
 近日中に加工して公開する予定。
6/22(金) Windowsプログラミングはよくわからない。丸や直線を書くことができるようにはなったが、一旦ウィンドウを隠すと消えてしまうのをどうしたらいいのか、まだよくわからない。困ったものだ。 
 一日中ソバ。
6/21(木) 夜の2時ごろついにC言語のエラー問題が解決する。変数の初期化をしていなかったのが問題だったらしい。その部分ができたらあとはほとんどエラーなしに進んで、4時頃には終わった。しかし、まだこれで課題1が終わったところであり、あと2と3をやらなければならない。
6/20(水) 一日中ハヤシライス。6時から定例部会。部長不在のため私が司会をした。次の部長が私になることが正式に決まった。その後宿題、C言語どうしてもエラーが解決しない。ポインタを使ったリスト構造で、二つまったく同じ構造のものを作っているのに、なぜ片方だけエラーが出つづけるのか?
 この頃「私たちのサンボア」デジタル化作業の続きを1年半ぶりに再開する。
6/19(火) まな板を買う。ハヤシライスを作る。これは割とうまくいった。これはつまり牛丼だな、などと一人で納得する。
 夕方からすごい雨。今日は部室に誰もいない。こんなに静かなのは久しぶりだ。しかし考えてみれば前はずーっと一人だったのだし、元に戻っただけともいえる。みんな頭がどうかしていたのだ。・・・田舎町があって、平和に地味な農作業なんかをして暮らしていたのだが、ある日金が見つかって、俺も金持ちになれるかも知れんと地面を掘り返しまくって、そりゃもう大騒ぎさ。で、金はそのうち出なくなって、後には地味な町と疲れきった人たちが残ったと。
 C言語の宿題をやりつづけるがなかなか進まない。脳がどうかなりそうだ。
6/18(月) C言語の宿題をやりつづけるがなかなか進まない。そんな中また課題が追加される。ああ。
6/17(日) 梅田HEPナビオにて「ASIMO」見学。人型ロボットが出てくると会場が「おお!」というどよめきで満たされた。私も感心した。しかし、ホンダは本来自動車メーカーだから車のほうも見てもらいたいわけで、レースクイーンのおねーちゃんを呼んだりいろいろ努力していたのだが、来ていた人はロボにしか興味がなくて、そちらのほうは盛り上がらないことおびただしかった。ちょっとおねーちゃん達がかわいそうだった。
 下宿に帰ってからカレー(鶏肉、玉葱、アスパラのみ)を作る。油が多すぎる上に味が薄い。まだ工夫が必要か。
 朝の太陽がまともに射し込み、暑くてたまらない(カーテンでは防げない。カーテン自体が熱くなって熱気がものすごい)ので窓にアルミホイルを貼る。「大家が電波飛ばすからよ!!」携帯電話の電波が届きにくくなったのは確かだ。
 いろいろ(いろいろ。便利な言葉だ!!)あって疲れた。
6/16(土) 帰ったのは朝の5時半で、すっかり夜が明けていた。その後大阪で電力の3回目。訳がわからん上に、眠い。あたりまえか。
6/15(金) C言語の宿題、情報理論の宿題。Cはいつまでたっても完成しない上に新しいのが出るからたまらない。
 西庄邸で飲みつつF91を見る。主人は「支離滅裂じゃないっすか!駄作じゃないっすか!」と憤懣やるかたない様子であった。俺は好きなんだけどね。まあ、普通の目で見れば駄作だわな。
6/14(木) 昼寝する。Z80ボードの設計図をCADで作成。CADは初めてだがすぐ慣れた。その後論理設計の課題(8255資料作成)。
 丸山茂夫不安倶楽部様から相互リンク希望の旨連絡をいただいたので、もちろん快諾。まさかこの世に丸山茂夫先生のファンサイトがあるとは思わなかった。私と相当似た趣味(電波好き)の人で、文面からするとおそらく「人生解毒波止場」とか「トンデモ本の逆襲」とか「誰が新井将敬を殺したか」など、私の好きな本は全部読んでいると思われる。かなり濃くて面白い。この人と電波について語ったら徹夜しても終わらないに違いない。知り合い以外で「塗料と塗装について」にリンク依頼があったのは初めて。
6/13(水) 大雨。徹夜でZ80ボードの設計。
6/12(火) みんな論理設計の宿題をしていた。
 桑原は山の中でコロボックルを見たことがあるという。コロボックルは裸で長いヒゲを体に巻き付けていたという。すごすぎる話だ。
6/11(月) そういえば今日は「聖なる実験」1周年だ。
 なんだか疲れた。「俺はマシーンじゃない。父親代わりなどできない!」とか叫んで「どこか遠く」に行きたいが、今俺がいなくなったらプロジェクトが崩壊するので、行けない。大将は最後まで逃げ出してはいけないのだ。まったく、弱い人間が多すぎる・・・。俺にも「君のような助けがいる」といって甘えさせてくれるナナイみたいなお姉様(声:榊原良子希望)がいてくれたらいいんだがな。まあ、空想世界に逃避しても仕方がない。
 改めて思うが、京大柔道部の1人は、その他の10人に匹敵する。これは本当です。断言できます。
 実家に荷物(教科書・鍋等)を取りに来て、その日のうちに京都に戻る。しんどいっちゅうねん。
 うろうろ散歩する。
6/10(日) 簿記2級in同志社。全然わからんので、1時間で出てきた。その後、武田と三条のアジアンキッチンで飲み、それから玉突きをして遊ぶ。たまにはよその世界の人間と会うのもいいもんだ。
「これでは道化だよ」「子供とつきあっていられるか!」「そんなものでは!」「くそっ・・・あんな小娘に気を取られて」「大佐、私達を見捨てるつもりなんですか!」
6/9(土) 電力2回目。予習のおかげでまあまあ。「鳩はスイスイ」、「スリーシーズンはダブダブ」だ。京都に戻る。漫画「うずまき」を途中まで読む。「この町はうずまきに汚染されているんだ!!」
6/8(金) DCモータドライブ回路作成開始(桑原)。Z80ボード設計開始。たとえ何があっても、マイクロマウスも相撲ロボットも完成させる。たとえ何があってもだ!
6/7(木) 前センサも完成。さすが4回目、早い早い。その後いろいろ(いろいろ。便利な言葉だ)あったが、面倒臭いから書かない。
6/6(水) 田中、CPUボード(AKI80)実験成功。不死川、左右センサ完成。桑原、壊れていたCPUボードの修理終える。
6/5(火) 特に成果なし。
6/4(月) 桑原・不死川DCモータ用ICの実験に成功。
6/3(日) 山に登ったりする。あの頃は本当に楽しかった・・・。
6/2(土) 日本橋でパーツを買う。電力1回目。内容は面白いのに講師が極めていい加減で、(えー・・・と言って5分ぐらい止まったりする。テキストあらかじめ見てこなかったんかい!)とても眠かった。
 携帯電話なんかどうでもいいやと思っていたが、慣れてくるととても便利だった。とくにメールは金がかからなくて良い。まだ十日しか使ってないのに、すっかり染まってしまった。「インターネット世代特有のインスタント感覚」がなせる業(わざ)とでもいうのか?
6/1(金) ようやくモータが両方回った。しかし、右の方はすぐに動作がおかしくなる。理由はよくわからない。この日ははやく(といっても11時頃だが)帰った。